渡辺私塾文庫

リーフ

所蔵品目録


【2】恩地孝四郎アルス日本児童文庫関連は所蔵品目録(1)を参照の「アルス日本児童文庫関連」には、同文庫表紙絵恩地原画54点、多数の恩地挿絵原画についての記事掲載(末尾の「アルス日本児童文庫関連」をクリックしてください) 

 渡辺私塾美術館について  2016年11月20日より新キャンペーンスタート(2017年11月現在展示作品数802点、粗末な展示作品目録を来館者で希望者に進呈) 「美術館所在地 真岡駅東口より少し南下し、信号の有るT字路を左折し、右奥。渡辺私塾駅前校に隣接」
     (ヤフーまたはグーグルで、「渡辺私塾美術館」で検索出来ます)
◎10月23日「月に吠える」より3点、「月映」1号より4点の恩地木版画を展示
◎10月23日貧弱な展示作品目録作成、希望者にプレゼント
◎(9月4日より、
恩地孝四郎作品342点展示を記念して「渡辺私塾美術館」のサブ名称を「恩地孝四郎ミュウジアム」と致します。)(2016年12月4日、南都麗(私のペンネーム)の意味不明で不気味なペン画4点追加。南都作品は全部で31点展示)

2015年真岡駅前SL館東に「渡辺私塾美術館」を開館。(日曜日午後1時〜4時開館、入館無料、但し3名以上のご来館で月〜土曜日午後1時〜4時臨時開館致します。рO90 5559 2434にお問い合わせください。当面オリジナル版画プレゼント。)
「新キャンペーン」
 「以前アイオーのオリジナル版画を受け取って頂いた方々には、当分の間、2度目の来館時別作家のオリジナル版画をプレゼント、3度目、4度目の来館時にも、それぞれ別作品プレゼント。5度目以降は来館の度に、お好きな洋書(英・独・仏・露)1冊プレゼント。」(久保貞次郎氏の小コレクター運動(一人一人がオリジナル作品3点以上を蒐集し、生活の中に芸術を浸透させる)、という思想のささやかな継承を目指して)
2016年10月29日第3回企画展として恩地幸四郎展開催(恩地作品335点展示。他計795点展示)ご来館お待ちしております。
「渡辺私塾美術館」(真岡市台町101−20)・お問い合わせ先〒321−4306、栃木県真岡市台町3362−2、渡辺淑寛まで・電話090 5559 2434)


               
恩地孝四郎小目次     はじめに 1
                                        はじめに 2
                                        はじめに 3
                                        {T}恩地孝四郎関係本
                                        {U}恩地孝四郎装幀本
                                        {V}恩地関連図録、恩地特集誌、恩地記事掲載誌
                                        「附」恩地孝四郎の市場評価の変遷
                                        {W}恩地孝四郎版画作品
                                        {X}恩地孝四郎後刷り作品について
                                        {Y}恩地孝四郎賛歌  その1
                                                       その2
                                                       その3
                                                       その4
                                                       その5
                                                       その6
                                                       その7
                                                       その8 
 

                                           

「はじめに」1

 恩地孝四郎は、1891年(明治24年)7月2日、東京府南豊島郡淀橋町元柏木村(現新宿区柏木)に、裁判所検事恩地轍の4男として生まれる。恩地家は、漢学者を招いて「恩地塾」を開き、東久爾宮や朝香宮の教育係を務める程の名家であった。1909年医師を目指し、第一高等学校を受験(超難関の現東大医学部を目指していたことになる。)し、失敗。同年白馬会洋画研究所に通っているとき、「夢二画集春の巻」にふれ、竹久夢二を何度も訪ね強い影響を受ける。翌年1910年東京美術学校洋画科予備科に入学、翌年彫刻科塑造部に転科し、数ヶ月後退学、1912年洋画科予備科に再入学し、1915年中退する。この数年間に、夢二と洛陽堂主人に本の装幀を勧められ、1913年には「夢二画文集どんたく」を装幀をし、田中恭吉、藤森静雄と共に木版画も始めた。翌年1914年には不朽の名作木版雑誌「月映」を田中、藤森と出版、夢二の店「港屋」で「月映小品展」を開催し北原白秋、萩原朔太郎、室生犀星らと交流する。この年、まだ23歳、ある意味で早熟の天才であった恩地は、以後、人類史上稀代の装幀家、抽象木版画の祖、山本鼎が提唱した自画自刻自摺の創作版画運動の一方の旗頭、版画と音楽・写真の融合の先駆者、多くの優れた版画家が巣立っていった版画研究会「一木会」の主宰者、詩人等と称され、未だその全貌が霧の中の巨人である。もし一高に合格し医者になっていたら医学史上に名を残す名医になっていたであろうが、この神のいたずらは、我々にとっては福音であった。なぜなら恩地がいなかったら、我々の愛する本達は、遥かに貧弱なものになっていたであろうから。
 1955年(昭和30年)6月3日午後6時3分他界。

「はじめに」2

 生前、装幀家として多くの作品を残した恩地であったが、恩地の版画を買う日本人は皆無に近かった。しかしそれが1点摺りの抽象木版に没頭出来る環境を恩地に与えたとすれば、運命の皮肉である。時代を先取りする真の前衛には孤立が付きものだが、それでも僅かながら理解者もいるのが世の常で、恩地の場合は、それは米国人であった。「恩地孝四郎版画集」(1975年、形象社)のオリバー・スタットラー「恩地孝四郎 回想のうちに新たに思う」の中で、数少ない恩地の理解者スタットラーが、シカゴの現代美術コレクターであるアルバート・L・アレンバーグ夫妻を恩地家に案内した件がある。夫妻が、恩地の見せる木版を次々に「いただきましょう」と言って16点即決で買い続けたとき、最初は気をよくしていた恩地も、困惑の表情で「もうこれで終わりにしてください」と言ったという。この16点が現在のシカゴ美術館恩地コレクションの核になっているのだが、私はこの文章を読んだ時、不覚にも落涙した。恩地の「困惑」は、貴重な1点刷りが自分の手元から離れてしまう不安と寂しさの「困惑」であろうが、私の「落涙」は、9割の喜びと1割の悲しさである。一流のコレクターが次々に即決するという事は、恩地作品の溢れ出る芸術性の高さの証左に他ならない。1割の悲しさは、当時の日本人の鑑識眼の欠如への落胆と失望である。
 恩地は、異国の人々がもたらした戸惑いと歓喜の一夜を過ごし、3ヶ月後他界した。
「はじめに」3

 バブル崩壊後、稀覯本・美術品の値崩れは想像を絶するものがあり、10分の1,20分の1は当たり前で、当文庫でも定価50万円前後の作品をオークションで数千円で購入したことが多々あった。ところが恩地作品は一向に値下がりせず、かえって年々購入しづらくなっている。理由は幾つか有って、一つは恩地作品が異常に少ないこと。二つ目は、日本でも、多くはないが熱狂的愛好家がいて数少ない恩地作品を奪い合っていること。三つ目は、恩地は日本よりアメリカのほうが遥かに評価が高く、秀作は米国に渡り高額で取引されていること。これらの理由もあって、恩地オリジナル作品を観賞するためには、シカゴ、ロス、ボストン等に行かなければならないし恩地研究者も日本よりアメリカの方が多い。この様な例は、日本美術史上希有である。
 日本では自然科学のみならず、人文科学の分野でも細分化が進み
日本のアカデミズムは総合的研究が極めて弱い。そこに、恩地が未だ「霧の中の巨人」である理由がある。恩地には一般に「版画家」、「装幀家」、「詩人」の3面があり、この3面の総合的研究は日本のアカデミズムには荷が重すぎる。その意味で「版画家」に光を当てた「恩地孝四郎版画集」(1975年、形象社)の発行は、恩地研究の礎であり、関係者諸兄に心より敬意を表したい。それでも恩地没後50年を経た今、3分野の研究者達が連携協力して恩地の全貌を明らかにする事が、後世に生きる我々の不可避の責務である。
 以前、前述の版画集発行に関わった恩地研究者に、「恩地装幀本は2,3千冊と言われているけれど、未記載本、異装本を含めると1万冊近く有るのでは」と話したとき、長年恩地に関わってきた我々の臭覚からすれば、あながち大げさでないような予感を共有出来た。結論は「永遠の謎でしょうけれど」であったが、恩地の全貌も永遠の謎にならないように、早急に困難な作業に取りかかる時期に来ているのであろう。私も微力ながら、この「霧」の中に彷徨い込み、「巨人」の輪郭だけでも微かな光を当てる難行に既に参加しているという、強い自覚を持っている。


【T】恩地孝四郎関係本     アルス児童文庫恩地原画は【1】アルス日本児童文庫参照
       (主に恩地著作本、恩地木版挿画本、恩地原稿、写真等で当文庫所蔵品)


  1. 季節標「」(特装本1セット、並装本2冊、、昭和10年、アオイ書房、木版画、虫、魚、鳥入り、恩地孝四郎版画集NO176〜178,以下「版画集」と呼ぶ。)(写真) (特装本は、版画3点と、版画無しの仮装本が付いており、並装本には版画1点が入っている。
  2. 博物譜」(青園荘、昭和25年、限定250部、恩地木版5枚、版画集NO350〜354、一木会)5冊所蔵 (写真)黒色箱(布装)、緑色箱(茶革背装、緑革紐)、薄青色箱(茶革背装、茶革紐)の3種の異装本を所蔵
  3. 海の童話」(版画荘、昭和9年、恩地木版6枚、帯無し本、帯有り本計2冊、版画集NO165〜170) (写真)
  4. 蟲・魚・介」(アオイ書房、昭和18年、限定250部、版画集NO214〜223) (写真)
  5. 書窓」64冊,創刊号から第11巻1号まで(1号から63号まで、終巻は103号)(アオイ書房、昭和10年〜16年、13号に木版画花入り、これは昭和3年卓上社展の同版木による600部の後刷りと推察、28号に恩地木版書票1枚入り)
  6. 東京回顧図絵」(富岳本社、昭和20年、恩地木版3枚入り、東京駅(写真)、二重橋(写真)、上野動物園(写真)でこの3点は、昭和3〜7年の新東京百景恩地13点の内、、東京駅口、二重橋早春、動物園初秋を同一版木で刷り直ししたものと推定される。)
  7. 版芸術」1巻1号(白と黒社、昭和7年、恩地木版叙情「私は信じる」入り、版画集NO150) (写真)
  8. 版芸術」5号(白と黒社、昭和7年、恩地木版「新膚」入り、版画集NO152) (写真)
  9. 風」1号(昭和2年、恩地木版表紙、恩地機械刷り木版「男の首」入り、版画集NO101) (写真)
  10. 日本の花」(富岳本社、昭和21年、恩地木版本紙直接刷り12枚、版画集NO263〜274) (写真) 8冊所蔵。9冊目2017年10月31日ハードカバー特装本を入手。恩地直筆書き入れ、署名、印   書き入れは「緑の氾濫のなかで  この花々はさいた  君が手かけた花々  そして君は改めて自分の手で  更に美しい花片を加えた  ーーそれを私が汚してる  丁度この見返の色の空を眺め  うすれ日のなかに夏を感じたら  不必要に長い月日を手かけさせた  この花々   いまその花園の入り口で  君のためにVRAVOをいう    六月、一九四六 孝 印   わが園丁  青園荘主人のために」 (注)青園荘主人とは、内藤正勝のこと、VRAVOは仏語でブラボーのこと。もしかすると、特装本というより、恩地が内藤に頼んでハードカバー本1冊を作ってもらい、識語というより詩を書いて献呈した1部本であるかも知れない。少し調査してみるが、いずれにしろ超稀覯本である。この文から、稀覯本出版者内藤に対する恩地の深い尊敬の念、恩地の本に対する強い思いれを感じる。
  11. 日本の山水」(富岳本社、恩地装幀、昭和21年)
  12. 新東京百景」(平凡社、昭和53年、限定330部、恩地後刷り木版3枚入り、井の頭池畔暮色米田刷り、日比谷音楽堂米田追加刻刷り、東劇斜陽米田追加刻刷り)
  13.                         同、特装10部本、(特装10部本は、木版3点のうち1点が額入りだけで、定価その他一切330部本と同一本と推定される)
  14. 博物志」(玄光社、昭和17年、限定1500部)
  15. 恩地孝四郎版画集」(特装本限定55部〜2冊所蔵、1冊は版画1点欠〜、並装本日本版380部〜3冊所蔵〜、海外版170部〜1冊のみ所蔵だが1番本〜、特装本恩地後刷り木版7枚、並装本同1枚入り、形象社、昭和50年、木版挿画本等多少の混乱がみられるが、版画レゾネ本として充分機能している。但しレゾネ本ではないというご指摘を受けましたので、以下「版画集」とさせて頂きます。また予約特典として、版画集423番の木口木版画米田刷りが添付されている。この米田刷りには300部限定のナンバーがあり米田のエンボスがある。オリジナルは当文庫で所蔵している作品と推測されるが、詳細は不明。 【W】恩地孝四郎版画作品、17番参照。当文庫所蔵作品の方が米田刷りより、刷りは精緻。)       (特装限定55部本の後刷木版は、@リリック1,A抒情 いとなみ祝福せらる、B抒情 真実ひとり輝きめくる、Cリリック2,楽曲によせる抒情 ドビッシー 金色の魚、Dリリック2,楽曲によせる抒情 ラベル 道化師の朝歌、E季節標より 虫、F季節標より 魚。日本版380部本には「のこるこころ」、海外版170部本には「そらにかかるもの」が添付されている。以上9点全て米田刷りで、「米田」のエンボスサインとナンバーが書かれている。)
  16. 「恩地孝四郎版画集内容見本」、昭和50年、形象社、本間正義、ハワード・リンク、萩原葉子、小林中、駒井哲郎、池田満寿夫の短文所収
  17. 日本の憂愁」(龍星閣、昭和30年、恩地木版表紙口絵)、愛蔵100部本と並装本、愛蔵100部本には、口絵1(木版手摺ー形象)、口絵2(木版手摺ー形象)、口絵3(木版手摺ー幸福への思慕)、口絵4(オフセット印刷ー抒情)  並装本には、表紙絵(表)(木版手摺ー幸福への思慕)、表紙絵(裏)(木版手摺ー形象)、口絵1(木版手摺ー抒情)、口絵2(オフセット印刷ー抒情)が入っている。愛蔵本1部、並装本6部所蔵、愛蔵本と並装本1部に、「恩地孝四郎遺作頒布会について」のパンフレット在中。  
  18. 草・蟲・旅」(龍星閣、昭和18年)
  19. 日本現代版画」(オリバースタトラー、タトル、昭和34年、「あるバイオリニストの印象」のアダチ版画工房によるエスタンプ1枚入り、スタトラーサイン入り本、サイン無し本)
  20. 創作版画賀状集」(文房堂、昭和6年、恩地木版賀状6枚)、版画集補、No4〜9 (写真)
  21. 日本の現代版画」(創元社、昭和28年)
  22. 恩地孝四郎抒情」5種(ギャラリー東京ユマニテ、2001,限定25部、恩地邦郎摺り5枚)
  23. 人間の作る美」(六三書院、昭和24年)
  24. 工房雑記」(興風館、昭和17年)
  25. 本の美術」(誠文堂新光社、昭和27年(ハードカバー総皮製特装本1冊、山下慶助手製カバー山下旧蔵本1冊) 復刻版出版ニュース社、昭和48年、1冊)
  26. 日誌帳」(アオイ書房、恩地装幀、昭和18年) (写真)
  27. 恩地孝四郎「装本の業」(三省堂、1982,恩地邦夫編)
  28. 愛書票歴」(日本書票協会、恩地木版書票10枚、昭和18年4月(写真)、22年8月(写真)、23年2月(写真)、24年8月(写真)、25年1月(写真)、26年7月(写真)、27年7月(写真)、28年8月(写真)、29年9月(写真)、30年7月(写真)、特に30年7月の作品は、恩地の遺作といわれている。) 
  29. 文華」1号2号8号(富岳本社、昭和21年7月8月、恩地表紙カット)
  30. 人体頌歌」(富岳本社、昭和22年)、恩地編、装幀、「人体考察NO13」,「人体考察NO14」,「雲」の恩地詩3篇掲載
  31. 恩地孝四郎詩集」(特装本、並装本、六興出版、昭和53年、特装本限定100部、米田刷り木版書票1点、木版小品1点)
  32. 愛書票アルバム」(日本書票協会、昭和19年、恩地装幀) (写真)
  33. 月に吠える」、萩原朔太郎、大正6年、感情詩社、恩地木版「抒情 よろこびあふれ」、「抒情 よろこびすみ」、「抒情 ひとりすめば」3点入り、版画集NO76,77,78                                                                      同復刻版、大和書房、昭和40年、限定1000部                                                       同復刻版、昭和49年、日本近代文学館                                                            同復刻版、昭和43年、無限創立十周年記念、無限編集部 
  34. タゴール有閑哲学の装幀画稿」(昭和4年、東京朝日新聞社、和田富子訳、題字、カット、表紙図柄等ペンによる画稿10枚)
  35. 林次忠舞台と史蹟の装幀画稿」(昭和5年、朝日新聞社、同9枚)
  36. 無為の設計」(川路柳虹、富岳本社、昭和22年、限定600部、恩地木版「作者心象像」入り、版画集NO282,この作品は、同年15回版協展出品作だが、同じ版木で無為の設計のために600部制作したと推察される。恩地は、富岳本社刊本とアオイ書房刊本には惜しみなく増刷したもよう。ただし、無為の設計の木版画には下段に「作者心象像」と明記されており、出品作にはそれが無い) (写真)
  37. 恩地孝四郎小品版画集」(版芸術第3年10号、昭和9年10月、白と黒社、限定400部、恩地木版本紙直接刷り12枚、表紙含む) (写真)
  38. 詩と版画」第7集(詩と版画社、大正13年9月、恩地木版「秋幸」(口絵貼り付け機械刷り木版)(版画集NO8)(写真)、裏表紙に恩地機械刷り木版「ハアプドマン」、28,29ページに恩地短文2篇入り、
  39. 新頌富士」(前田夕暮、富岳本社、昭和21年、恩地木版2点入り、新頌富士、富士山、版画集NO245と283) (写真)
  40. 前田夕暮、「煙れる田園」、アルス、大正5年、恩地装幀挿絵、恩地木版表紙
  41. 恩地草稿4百字詰めペン書き3枚、「装幀展第3年」、昭和26年第3回装幀美術展用原稿
  42. 版画集きつつき」1号、2号、創作版画倶楽部、昭和5年、限定500部  (写真)     1号に、恩地木版「樹幹蒼天」入り (写真)
  43. 文華」8号、富岳本社、昭和22年、2〜22ページに恩地「夢二回想」が掲載
  44. 日本女俗選」、富岳本社、昭和21年、恩地木版「桜」(版画集NO236),「湯上がり」(版画集NO237)の2葉入り。(写真) 他に、関野木版2葉、前川千帆木版3葉、斉藤清木版2葉、川西英木版1葉入り。
  45. 室生犀星、「寂しき都会」、聚英閣、大正9年、恩地装幀、挿画3葉、(写真)(印刷だと思われるが、銅版のような力強い刷りで、恩地独特の秀作である。)
      *参考 大正7年6月の「感情」20号の「チュウリップ開花態」と(写真)、線の鋭さ、白黒の対比など、類似性が多い。写真の作品は、20,恩地孝四郎抒情5種の1枚で、同版木による恩地邦郎後刷り。なお「チュウリップ開花態」については、抽象の表情(阿部出版)130ページに掲載。
  46. 短歌雑誌「日光」表紙裏表紙絵、大正14年第2巻第九号、日光社(「7」雑誌、70,と重複)  (写真)
  47. 詩と版画建艦献金作品集成「大東亜の花ごよみ」第1集〜第3集、昭和18年
    第1集、「こまくさ」、恩地孝四郎画、尾崎喜八詩、11x16、木版 (写真)
    第2集、「山百合花」、熊谷守一画、佐藤一英詩、11x16,木版
    第3集、「紫陽花」、鈴木信太郎画、千家元麿詩、11x16,木版
  48. 風」再刊1号、恩地木版、人体考察NO3(写真),4(写真),5(写真、6(写真),7(写真)入り、版画集NO120〜124、地平社、昭和5年      
  49. 線」創刊号、恩地木版、朝、13x21、版画集未収作品、日本木版画協会、昭和5年 (写真) 恩地には1947年、昭和22年作の「朝」(43.3x33.3,木版、国立近代美術館所蔵、版画集NO287)という作品がある。図柄もにている。17年後、「線創刊号」の自作「朝」を見て、再度同タイトルで創作したのかも知れない。
  50. 詩集梅」、井上康文、昭和22年、富岳本社、恩地木版「詩人の像(心象図)」入り
      版画集NO281作品(15回版協展出品作)の版木でこの本のために600部増刷したと推察される。ただし、34,無為の設計と同様、600部のほうには左下に「作者心象像」と有り、版協展出品作にはそれが無いと思われる。 (写真)
  51. アトリエ美術大講座」2、図案創作法、新傾向図案構成法を恩地が担当、103p〜117p、アトリエ社、昭和11年
          同     3、平面図案法、装幀図案法を恩地担当、113p〜128p
                付録「アトリエ通信」に「精髄的なるもの」なる短文掲載
  52. 少年少女自習画帖」1,47ページ恩地画「陸軍大将」、昭和5年、大日本雄弁会講談社、小学校の教科書 (写真)
  53. 飛行官能」、版画荘、昭和9年、飛行官能T〜Y(版画集NO249〜254掲載(写真)
  54. 戦後版コレクション」第35号表紙添付木版書票、吾八、昭和43年 (写真)
  55. 創作版画賀状集」1932、昭和7年、創作版画倶楽部、恩地木版賀状1点、「くくりざる」入り。 (写真)
  56. 名作蔵書票集」7,昭和37年、緑の笛豆本の会、限定30部、10番に恩地木版書票1点入り。この書票は昭和28年8月の愛書票暦作品と同一書票。(26)愛書票暦参照
  57. 版画手本」第1輯、武藤完一編、昭和10年、東邦社、2番に恩地木版「廣告用小版画」入り、版画集未掲載作品 (写真)
  58. 版芸術」第3年第10号、昭和9年、白と黒社、限定400部、恩地孝四郎小品版画集号、モノクロ22点(表紙、裏表紙含む)、(おそらく機械刷り木版)、(56は35と重複) (写真)
  59. 恩地随筆原稿「母の手料理」、400字詰め原稿用紙1枚、掲載誌等不明
  60. 室生犀星、「動物詩集」、昭和18年、日本繪雑誌社、恩地装幀、表紙絵口絵挿絵計67点
  61. 関野準一郎、「版画を築いた人々」、昭和48年、美術出版社、限定200部、恩地木版「人体ー少女」(1926,「詩と版画」11号口絵の後刷り)入り
  62. 世界の絵本 杜子春」、新潮社、昭和25年、「クモの糸」に恩地挿絵5点(カラー2点、モノクロ3点)掲載
  63. 軍事郵便絵葉書」3点、恩地油彩画絵「武昌遠望」、「紫金望見」、「廟へ登る道〜杭州西湖畔」
  64. 「国粋」2卷1号、大正10年1月号、国粋出版社、恩地木版「青空」入り、(21x18,多色木版15度刷り)
  65. 「詩と版画」6号、大正13年7月、恩地口絵貼り付け機械刷り木版「仮睡」入り、(青色単色、20x15)、14〜15ページに恩地詩「月の出」、28ページに恩地短文「築地小劇場」入り
  66. 「科学畫報」第11巻第3号、科学畫報社、昭和3年9月、恩地表紙絵「火星より見たる土星とその衛星」
  67. 「虹を追ふひと」、萩原朔太郎、昭和45年、青女我書房、限定1000部、扉カットに恩地絵
  68. 「風再刊4号」、昭和4年、風発行所、恩地多色刷り木版「ロマンス」入り(20x13)、版画集NO128,他に24〜29ページに恩地詩「備忘録雑抄」掲載、44,45ページに「日記風随感」62ページに「編集後記」、巻末に恩孝四郎版画作品特別提供として第四回「海にいる人物」をモノクロ写真で紹介
  69. 「版芸術第1巻3号」、昭和7年6月号、白と黒社、恩地モノクロ木版「用刀試練」入り、(版画集NO151)、34〜35ページに恩地文「版画時感」掲載、35ページに「用刀試練」の解説文掲載。
  70. 「愛の詩集」、室生犀星、大和書房昭和41年復刻版、限定1000部、恩地挿絵8点掲載
  71. 「愛の詩集」、聚英閣、昭和3年、恩地扉絵1点「みまかりたまえし父上におくる」、挿絵2点、1点は「「朝日みなぎれ 朝日みなぎれ」
  72. 「婦人クラブ」、昭和2年、第4巻第4号、国際情報社、表紙に恩地カラー木版「ヒヤシンス」(十数度刷り、と記載)
  73. 版画家中川雄太郎宛、恩地孝四郎書簡1通、葉書1通、恩地のぶ書簡1通、昭和9年
  74. 「女子標準図画」卷二、和田三造、石井柏亭共編、昭和8年、帝国書院、16ページに恩地多色画「木の実の図案(考案画)」9点掲載。(編者2名と恩地の他に、南薫造、山下新太郎、深沢紅子、津田青楓、武田弘、鈴木信太郎、青山熊冶、岡野栄、川崎小虎、中川紀元、岡田三郎助、中澤弘光の作品が掲載されている。
  75. 「榛の会封筒貼り込み帖」江南史朗宛257枚のうち、恩地から江南宛2点が添付されている。(榛の会は昭和10年から29年まで20年間続けられた賀状交換会で、武井武雄が主宰し、会員は50名であったと言われている。)
  76. 「未刊詩画集 海の表情」、木版17点(邦郎摺り)、1987、WKO版画研究所、限定20部、他EA7部、(17点のうち3点、「海の見える窓」が版画集NO238,「稚戯」が版画集NO276,「神経」が版画集NO275として、形象社恩地孝四郎版画集に掲載されている。「海の表情」は未刊なので、1987年本は復刻本でなくオリジナル本だが、木版は邦郎摺りと分類されるべきであろう。)
  77. 「公刊月映W」、大正4年、洛陽堂、田中恭吉木版「埋葬」、藤森静雄木版「ほろびゆく肉」、「枝をはなれし一つの果」、「聖なる夜」、「墓穴をほる人々」、「妹の葬らる日」、「へだてられたるもの」、「悲しきねがい」の7点、恩地木版@「扉(詩によりてあげらるる生)」版画集NO27,A「泪してあふぐ日」版画集NO28,B「おさむるものと地の哀傷」版画集NO29、C「とぶもの・つけるもの」版画集NO30、D「のこるこころ」版画集NO31、E「そらよりくだるかげ」版画集NO32入り。
    (当文庫では、長年「月映」を所蔵することが夢であったが、地方の弱小文庫では「月映」全7冊を入手することは資金的に不可能であるので、1冊だけ所蔵しようと決めていた。今回その夢がやっと実現した。1冊所蔵するなら、妹芳子の死の悲しみを昇華結実させた藤森の傑作7点が入っているW号がよいと思っていた。また恩地作品が6点入りなのはW号と終刊のZ号だけである。この恩地木版6点の中では、背後に腕が描かれている「のこるこころ」を田中恭吉は絶賛しているが、Cの「とぶもの・つけるもの」の色彩と形態に異様なエネルギーを感じる。この印象は、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの「プロセルピナ」(3点にうち1874年作、テートギャラリー蔵)を間近で見たときと似ている。時間があったら検証してみたい。)
  78. 「恩地孝四郎写真6枚」、岡鹿之助旧蔵品、5枚のうち2枚は恩地の版画制作風景、3枚は恩地肖像写真、1枚は、昭和28年12月6日、創元社、恩地著「日本の現代版画」出版記念会の写真で恩地を含め56名の関係者が写っている。岡鹿之助も右から2番目に写っているようだが定かではない。昭和28年12月と言えば恩地が他界する1年半前で、他の写真5枚も同時期の物であると推察される。恩地と岡鹿之助の交流についての論評は少ないが、両氏の誕生日が同じ(恩地、1891,7,2,岡、1898,7,2)であることは、両氏の研究者の間では周知の事実である。昭和28年(岡54歳)までには、岡氏も日本洋画界ではかなりの立場を築いていたであろうが、同じ誕生日の7歳年上の孤高の芸術家恩地に、畏敬の念を禁じ得なかったことは容易に推測される。岡氏が帰天するまで大切に所蔵されていた写真が、在野の恩地研究機関「渡辺私塾文庫」の所蔵品になったことを、天の導きとして感謝したい。
  79. 銅版画原板」、昭和24年作木版「藤懸先生像」56.3x43.3(国立西洋近代美術館蔵)、版画集NO319,の縮刷原板で、12.7x9.3の大きさ。(形象社版画集に、「9月、10月、中間公表、どうも版をつめすぎてうまくゆかぬ。やり直す要あり。」と書かれている。やり直しの過程で、縮小銅版を試作したのかも知れない。実際刷られたかどうかは不明。或いは後刷り作品として縮小銅版画を制作した原版なのだろうか。いずれにしても恩地作品の原板は極めて稀少。今後調査の予定。)
  80. 「銅版画原板」、昭和27年、リリックNO19,の縮小版で12x10,77番と同じ原板。他作家の有名版画の縮小原板も多数出品されていたので、どこかの出版社が有名版画集を出版したときに、縮小原板を制作して版画集を出版した可能性もある。詳細は不明。
  81. 「版芸術」昭和8年3月号、棟方志功版画集」(草花と竹」欠)、恩地小論「志功・棟方氏の界」掲載。(この小論は恩地「抽象の表情」1992,阿部出版、254頁に所収。
  82. 「高等科用自習画帖」、昭和6年、大日本雄弁会講談社、恩地画「文字の図案化」(1)、「カットの図案」、「表紙装幀」の3ページ所収。
  83. 「恩地轍掛け軸 般若心経」、轍は恩地孝四郎の父
  84. 「第14回榛の会作品集」、昭和23年、木版賀状49点、6番に恩地木版作品「Lyrique No7」所収、「Best wishes  1st 1948 Onch」の版上サイン、1950作「Lyrique No7 悲哀の包囲」とは、異なる図柄。
  85. 「公刊月映T」、大正3年、落陽堂、恩地木版1点欠(夏日小景)、田中恭吉木版2点、藤森静雄木版5点入り、恩地木版「伴病めり」、「抒情T」、「抒情V」、「ただよえるもの」4点入り。(「月映」は、高額稀少であるため、1冊所蔵できれば良いと考えていたが、恩地木版1点欠で、完本の四分の一の価格で販売されていたため、思い切って購入した。恩地作品は版画集NO3〜6の木版で極めて入手難と言われており、幸運であった。もしかしたら残り5冊の「月映」も縁があって入手出来るのかも知れない。
  86. 恩地孝四郎版画展目録」、昭和38年、秋山画廊
  87. 「詩と版画第1輯」、大正11年9月、アルス北原鐵雄、恩地木版「薄暮」(版画集NO85)入り、7ページに恩地詩「友を偲ぶ」、13ページに「同人語」の短文、27ページに短文「文ディレッタントの辨」入り。
  88. 「手工研究」昭和8年1月号(第150号)、日本手工研究会、恩地文「必然に即する手工教導」掲載(4ページ)、1992年阿部出版 恩地芸術論集「抽象の表情」に未所収論文
  89. 「HANGA」第5輯、大正14年(1925)、版画の家、恩地木版「静物」入り(版画集NO96)
  90. 「家庭」昭和6年7月号(第1巻第2号)、日本連合婦人会、連載小説「山静かに」(吉田絃二郎)、挿絵3点、カット2点、挿絵1点は1ページ大、K・ONCHIの版上サイン
  91. 「詩と版画第9輯」、大正14年1月、詩と版画社、恩地機械刷り木版「人貌」入り、26〜28ページに恩地小論「私の版画作程」(26ページと28ページにに自作「叙情」機械刷り小木版画別作品2点入り、24ページに恩地詩「実在」入り、32ページに第6回日本版画協会展覧会恩地出品作「人体」を絵入りで紹介
  92. 「詩と版画第13輯」、大正14年8月、詩と版画社、恩地機械刷り木版「夏」いり、19ページに恩地詩「八月」入り
  93. 「桜さく国・白風の巻」、明治44年、落陽堂、1ページに恩地詩「うすさいわい」、13ページに恩地木版「大経師」、裏表紙に恩地木版「アメリカの旅芸人が演じた「ムスメ」」入り
  94. 「版画」、昭和8年、白と黒社、限定300部、谷中安規作品24点、棟方志功作品6点等版画107点入りの豪華本。恩地作品は「用刀試練」(昭和7年版芸術3号)、「新膚」(昭和7年版芸術5号)の2点入り。恩地短文は「版画時感」、版芸術方途」、「贅言多々」の3編入り。編集者の料治熊太が「版芸術」、「白と黒」などから選んだ贅沢な大アンソロジー稀覯本。この本の存在は以前から知っていたが、まさか入手出来るとは、望外の喜びである。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        【U】恩地孝四郎装幀本(当文庫所蔵品のみ掲載)

     恩地の装幀本が何点有るかは、余りに膨大な数のためまだ定説はない。3000点説が有力だが、アルス日本児童文庫のように76冊全部が異装なので、一般に1点とカウントしているが、76点と数えるべきであろう。また「恩地装幀」と明記されていない装幀本が相当数有る。(理工系の本はほとんど無記名。昭和10年前後の多数のアルス社写真関係本もほとんど無記名であるが、阿部出版「装本の使命」367ページには、恩地装幀本と明記されている理工系本も多少ある。)、24番の鉄道工学もその例で、この種の本では、著者から受け取った設計図、鉄道図を写真製版用に全て恩地が100図近くも書き直していると推察される。(写真)  (写真)  その刻苦は常軌を逸しており、西洋の細密画など、はるかに凌駕していて背筋が冷たくなる。ここで私はまた言わねばならない、恐るべし恩地孝四郎。
     いずれにしても全集物の異装本、無記名本を合わせると、私見だが1万点に近いと思われる。しかし正確な数字はもはや永遠の謎であろう。(「美術手帖」1952年3月号、42ページのインタビュー記事で、装幀本の数について問われた恩地は「そうね、万にはならないけれど数千にはなるでしょうか」と答えている。このインタビューは1952年2月4日実施とあるので、1955年6月3日に他界する3年4ヶ月前の事であり、この3年間で相当数の装幀を手がけたであろうから、私見「装幀本数は1万点に近い」は、あながち荒唐無稽な数では無いであろう。)

  1. 日本詩集、新潮社、大正15年
  2. 回想の白秋、鳳文書林、昭和23年、恩地装幀、恩地口絵「追憶像」、19ページの恩地文「追憶画像」を掲載
  3. 小学児童文学読本、イディア書院、大正15年
  4. 児童自由詩集成、北原白秋、アルス、昭和8年
  5. 白秋詩集1,アルス、大正9年昭和3年普及版の2冊白秋詩集U、大正10年
  6. 緑の触角、北原白秋、昭和4年
  7. 萩原朔太郎全集4,小学館、昭和18年
  8. 昭和8年キング付録、偉人はかく教える
  9. 鶴見祐輔、ビスマーク、昭和10年7月3日、大日本雄弁会講談社
    バイロン、昭和10年9月5日、大日本雄弁会講談社
    ( 「注」 アルス日本児童文庫と同様、この2冊は同じ英雄天才史伝でありながら、全く異なった装幀をしている。恩地が装本に労を惜しまなかった証左であろう。)
  10. 前田夕暮、耕土、新紀元社、昭和21年
  11. 日本小国民文庫、新潮社 @昭和10〜12年版全16卷のうち9冊、第1巻「人間はどれだけのの事をして來たか(T)、第2巻「人間はどれだけの事をして来たか(U)、第4巻「これからの日本、これからの世界」、第6巻「人生案内」、第8巻「人類の進歩につくした人々、第9巻「発明物語と科学手工」、第10巻「世界の謎」、第11巻「スポーツと冒険物語、第13巻「人間はどれだけの事をしてきたか」                A改訂昭和17〜18年版全16巻のうち5冊、第2巻「人間はどれだけの事をして来たか」、第3巻「日本人はどれだけの事をして来たか」、第4巻「日本人はどれだけ鍛えられるか」、第5巻「日本の偉人」、第8巻「大東亜ものがたり」       B昭和23年改訂版全11巻のうち1冊、第7巻「世界のなぞ」、            C昭和31年新編全12巻のうち5冊、弟1卷「心に太陽を持て」、第3巻「人間はどれだけの事をして来たか」(科学編)、第6巻「君達はどう生きるか」、第7巻「世界のなぞ」、第12巻「世界文学選」                 D1998年復刻版世界名作選全2巻(恩地装幀、一部恩地挿絵)                                                                                                                       (山本有三編集の新潮社、「日本少国民文庫」は前述のように計4回出版され、美智子皇后が感銘をうけられた本とのことで、「世界名作選」2冊が1998年に復刻された。この復刻版を入れると計5回の刊行となり、かなり話題となったシリーズである。しかし恩地が他界する昭和30年までに出版された計3回の43冊のほとんどが恩地装幀本であることはあまり知られていない。「ほとんどが」と書いたが、恩地装幀でないときは、恩地は挿絵を担当している。例えば昭和23年改訂版「世界のなぞ」では、装本原弘、さし絵恩地孝四郎、となっているが、昭和11発行原本「世界の謎」では、装丁、挿絵恩地孝四郎と明記されている。そして恩地他界後の昭和31年新編では、装丁、挿絵とも恩地から複数の者に代わっているが、挿絵は恩地の絵を基に描き換えている場合が多い。何れにしても、「アルス日本児童文庫」ほどではないが、昭和23年改訂版までは、「日本少国民文庫」と恩地の関わりは少なくないであろう。全5回の出版本全冊所蔵できる時を待って、詳しい解説をしたいと考えている。) 
  12. 児童詩の本、北原白秋、帝国教育出版、昭和18年
  13. 日本裸体美術全集4冊、富岳本社、昭和23年   第1回配本 七巻(昭和21年12月15日発行)「昭和前期」                                                           第2回配本 三巻(昭和22年4月25日発行)「江戸中期」                                                                                     第3回配本 四・五巻(昭和22年11月15日発行)「江戸後期」、明治篇」                                                                           第4回配本 一・二巻合併号(昭和23年3月15日発行)「平安期〜江戸初期」、「江戸初期〜中期」                                                (長年第六卷欠本として、セット販売する古書店が多く、私も六巻を含め、全揃いを20数年捜したが、その存在すら確認できなかった。当文庫所蔵の3セットも全く同じ、1〜7巻で6巻欠である。30年以上の恩地研究家の臭覚としては、上の4冊で全揃いであると推察される。第三巻に入っていた広告チラシには、「全八巻」と書かれていて、「第2回配本第三巻昭和22年1月30日、第3回配本第五巻昭和22年2月30日、第4回配本第八巻昭和22年3月30日」と明記されているが、発行日も大幅に遅れ、第3回配本も実際には、四・五の合併号になっている。戦後の資材不足等の事情で、上記の4冊で終了した可能性も充分ある。なお、同じチラシに、「装幀 恩地孝四郎、編集 恩地孝四郎 井上康文、主宰 上村益郎」と書かれており、「表紙其他の木版手摺りは富岳本社所属高見澤木版本社工房の所謂高見澤版研究所の工匠により行われたものなり。」と記載されている。)          
  14. 野薔薇のうた、増進社、昭和17年
  15. 尾崎士郎、たく居随筆、酉甘燈社 、昭和22年
  16. 尾崎士郎、天皇機関説、文芸春秋新社、昭和26年(同書の尾崎士郎原稿を当文庫で所蔵)
  17. 句集母子草、富安風生、武蔵野書房、昭和24年、限定300部
  18. 白南風、北原白秋、アルス、昭和21年
  19. アルス文化大講座合本2冊全、昭和4年、アルス
  20. アルス西洋音楽講座全8巻、アルス、大正14年
  21. アルス西洋音楽大講座全8巻のうち第3巻欠7冊、アルス、昭和4年
  22. 美の国第3号、美の国社、昭和23年、恩地表紙
  23. 西洋美術の知識、一氏義良、アルス、昭和4年
  24. スケッチの描き方、中澤弘光、森脇忠、アルス、大正10年
  25. アルス土木講座9鉄道工学,アルス、昭和11年
  26. 同2の下、応用力学、アルス、昭和12年
  27. 前田夕暮、朝青く描く、昭和6年、白帝書房
  28. 山田耕作楽譜、なくした鉛筆、昭和3年
  29. 現代随想全集全30冊、創元社、昭和28年〜30年
  30. 水の構図、北原白秋、アルス、昭和18年所蔵品2冊のうち1冊は、文楽研究者で文学博士の吉永孝雄旧蔵本。見返しに、北原白秋自筆原稿断簡「朝日はごたごたした色で」が添付され、吉永のサインと落款がある。
  31. 水の構図、昭和45年復原版、柳川ロータリークラブ、白秋の故郷、柳川のロータリークラブ10周年記念として刊行された復刻版
  32. ふるさとの料理、伊藤永之介、中央公論社、昭和30年、表紙デザイン
    惣菜歳時記、柳原敏雄、同、上と同一デザイン
  33. 現代日本文学全集、筑摩書房、昭和28年〜33年
  34. 萩原朔太郎詩集X、遺稿詩集、小学館、昭和22年
  35. 野口米太郎定本詩集3,友交社、昭和22年
  36. どんたく、竹久夢二、実業之日本社、大正2年
  37. 新日本少年少女文庫、B加藤武雄、「愛国物語」、昭和16年、新潮社A「海外に雄飛した人々」、菊地寛、昭和18年、I「世界探検物語」、豊島興志雄、昭和18年、P「海洋の話」吉村信吉、昭和17年、Q「南方の國めぐり」、武富邦茂、昭和18年、全23巻のうち5冊、装幀恩地孝四郎と銘記、挿画、挿図、地図等手書きの図はほとんど恩地によるものと推定。
  38. アルスカメラ臨時増刊アルス写真年鑑、昭和26年
  39. 前田夕暮、詩歌年刊歌集第3集、白日社、1936,恩地著「本の美術」93ページに掲載
  40. アルス大美術講座全2巻、昭和2年、第1巻に恩地文「美術図案」29ページが掲載。
  41. アルス美術大講座全10巻、昭和4〜5年、この10冊は39,アルス大美術講座を再編集したもの。どちらにも恩地孝四郎装幀と明記。恩地「美術図案」は第7巻に掲載。
  42. 現代商業美術全集全24巻、アルス、昭和3年〜5年
              第2巻27ページに恩地ポスター2種
              第12巻31ページに恩地ポスター3種
              第21巻42〜44ページに恩地短文「表紙についての雑考」
  43. 山田耕筰楽譜、蝉、昭和3年、日本交響楽協会
  44. 藤井清水楽譜、何を騒ぐぞ、同
  45. 山田耕筰楽譜、葱坊主、同
  46. 山田耕筰楽譜、カッコ鳥、同
  47. 講談社世界名作童話全集第4巻、イソップ物語、昭和28年、第5巻ライオンのめがね、昭和31年
                    第40巻、人魚のお姫様、昭和28年
    ,他同シリーズ21冊、この全集は全冊同一装幀
  48. 久保田万太郎、春泥・市井人、昭和26年、筑摩書房
  49. 小川未明、生活の火、大正11年、精華書院
  50. 小山嘉壽栄、南方見学、昭和19年、アルス
  51. 堀辰雄「大和路・信濃路」、昭和29年、人文書院
  52. 大東亜戦争海軍作戦写真記録T・U2冊、昭和17,18年、朝日新聞社
  53. 室生犀星、蒼白き巣窟、冬樹社、昭和52年
  54. 山田耕筰、音楽の法悦境、大正13年、イアデ書院
  55. 野村胡堂集、「万五郎青春期・隠密縁起」、昭和30年、河出書房
  56. アルス最新写真大講座全20巻、昭和11年、12年、アルス社。恩地装幀とは記されていないが、15回配本第12巻の付録「カメラクラブ」2巻4号、昭和11年4月号の6ページに、恩地の写真入りの囲み記事で、「氏は、わが写真大講座の装幀をされた方で装幀家としてあまりにも高名。」という証左がある。この時期のアルス社のカメラ関係本は、無記名ながら、ほとんどが恩地装幀本と推察される。
  57. ポートレートの写し方、尾崎三吉、アルス、昭和15年
  58. アルスアマチュア写真講座全10巻、佐和九郎、昭和11年、12年、アルス
  59. 写真の失敗とその原因、鈴木八郎、昭和11年、アルス
  60. アルス美術叢書1,セザンヌ、有島生馬、大正14年、特装本
  61. 同3,ピカソ、神原泰、大正14年、特装本
  62. 同18,浦上玉堂、橋本関雪、大正15年、特装本
  63. 同7,ルウッソウ、大正14年、特装本 、 昭和3年、普及本(アルス美術叢書にも「恩地装幀}とは、明記されていないが、阿部出版「装本の使命」348ページに、「美術叢書28,信実」が恩地装幀と記されている。おそらくアルス美術叢書全冊が恩地装幀本であろう。)
  64. 竹久夢二「小夜曲」、大正9年、6版、新潮社
  65. 大串兎代夫「日本国家論」、昭和17年、大日本雄弁会講談社、2000部
  66. 小山いと子「高野」、昭和15年、中央公論社
  67. ファブル科学知識全集全13巻、昭和4年、5年、アルス(全巻とも同一装幀だが、表紙に異なる印刷色彩画が添付されていて、異装本と言えなくもない。また興味深い点は1、2,3,6,8,10巻に恩地孝四郎装幀と明記されているが、4,5,7,9,11,12、13巻にはその記載が無い。不思議なことだが事実である。更に、何の記載も無いが、動植物、地質、機械等の夥しい細密ペン画の挿絵は、アルス日本児童文庫の場合と同様、恩地の作であると推察される。繰り返しになるが、その数量と緻密さは尋常ではない。)
  68. 「レーニンとガンジー」、昭和5年、アルス、福永換訳、恩地装幀と記されていないが、阿部出版「装本の使命」365ページに「恩地装幀」と明記されている。
  69. 前田夕暮「雪と野菜」、昭和4年、白日社、カバー、表紙、カット繪など恩地作、特にカバーと表紙絵は木版のように思える。
  70. フロイド精神分析大系9「洒落の精神分析」、昭和5年、アルス
  71. 山田耕筰楽譜「たたへよ、しらべよ、歌ひつれよ」、昭和3年、日本交響楽協会
  72. 「初級英語」昭和18年新年号、研究社、恩地表紙絵(目次に、表紙絵「恩地孝四郎画伯」と明記。阿部出版「装本の使命」には未掲載。)
  73. 「アルス楽聖叢書ショパン」、アルス、昭和5年
  74. 「佐和写真技術講座」全6冊、アルス、昭和28〜31年
  75. 「明治大正文学全集」全60冊のうち57冊、昭和2〜7年、春陽堂
  76. 木村義雄「将棋一代私の50年」、昭和27年、世界社
  77. 中村汀女「ふるさとの菓子」、昭和30年、中央公論社、恩地表紙
  78. アルス写真年鑑、昭和12年、アルス、恩地装幀と明記されていない。
  79. 「小国民のための大東亜戦争詩」、昭和19年、国民図書刊行会、恩地装丁・カット
  80. 徳永壽美子「さくら貝」、昭和20年、東亜春秋社叢書
  81. 大木惇夫「神々のあけぼの」、昭和19年、時代社、恩地装幀、15点の恩地白黒版画(印刷)の挿絵(6x8前後)入り
  82. 三宅克己、「私の写真」、大正12年、アルス
  83. 楽譜「秩父の宮さま」、北原白秋詩、山田耕筰曲、昭和3年、日本交響楽協会、恩地表紙絵
  84. 三宅克己、「写真術講習録」第1巻、大正11年、アルス
  85. 川端康成「日雀」、昭和21年、新紀元社
  86. 平凡社職業科事典全5巻、昭和25年
  87. 平凡社世界地名事典全6巻、昭和25年
  88. 「籠の中より」、三宅克己、昭和8年、アルス
  89. 「スナップ写真の狙い方写し方」、渡辺義雄、昭和12年、光玄社
  90. 「カメラハイキング」、吉川速男、昭和10年、光玄社
  91. 「一人行く旅」、吉田絃二郎、昭和24年、美和書房、恩地装幀、恩地表紙絵
  92. 「人物写真のうつし方」、勝田泰雄、アルス、昭和3年、(カメラ関係本の半数以上は恩地装幀と明記されていないが、この本には、「装幀・恩地孝四郎氏」と書かれている。)
  93. 昭和12年婦人倶楽部2月号付録「傑作長編小説三人集」
  94. いじんものがたり「美しい話」一年生、昭和30年、金の星社
  95. 金原省吾、「東洋美術」、昭和17年、大日本雄弁会講談社
  96. 「写真の新技法」、宇高久敬、アルス、昭和8年、恩地装幀と明記されていないが、阿部出版「装本の使命」装幀本目録366ページに掲載
  97. 「花の文化史」正・続、春山行夫、昭和29年、31年、中央公論社、恩地装幀表紙
  98. 「アルス写真年鑑1926」、アルス
  99. 昭和15年版「年刊歌集」、大日本歌人協会、恩地装幀、恩地表紙絵
  100. 「悪の華」、ボオドレエル、版画荘、昭和11年
  101. 「日本名文観賞 古代中世」、高須芳次郎、昭和11年、厚生閣
  102. 世界名作家庭文庫「国旗掲揚式」、昭和17年、主婦之友社、恩地装幀、挿絵
  103. 同「ナイチンゲール」、昭和17年、主婦之友社、恩地装幀、「世界名作家庭文庫」も「アルス日本児童文庫」と同様全点異装で、異なった装幀作品として数えるべきであろう。恩地装幀作品数1万点という説も、あながち荒唐無稽の数でないのかも知れない。
  104. 「推理小説叢書 芥川龍之介 春の夜其の他」、昭和21年、雄鶏社、恩地表紙絵と装幀
  105. 「短編集 ある夫人の手紙」、三宅やす子、大正15年、アルス、見開きは木版で書名著者名
  106. 「フロイト精神分析大系9,洒落の精神分析」、昭和5年、アルス
  107. 「子供の村」、北原白秋、アルス、大正14年
  108. 北垣恭次郎、「大国史美談」全8巻の内3巻欠、7冊、昭和16年、実業之日本社
  109. 「整色写真の研究」、佐和九郎、アルス、昭和9年 
  110. アルス大衆写真講座,「カメラの知識と選び方」、鈴木八郎、昭和12年
  111. 同                「正しい露出の決め方」、鈴木八郎、昭和12年 
  112. 「西洋哲学物語」、アルス、村松正俊訳、昭和2年
  113. 「秘録大東亜戦史」全12冊、富士書苑、昭和28年
  114. 「改訂縮刷決定版 秘録大東亜戦史」全6冊、富士書苑、昭和29年、「110,全12冊」とは全くの異装。どちらにも恩地装幀と明記されている。改訂版の方が、戦記物とは思えないほどモダンで恩地らしい。
  115. 「アルス美術叢書 信実」、下店静市、昭和3年、著者から新村出への献呈本、恩地装幀と明記されていないが、「装本の使命」364ページに恩地装幀と掲載
  116. 「整色写真のうつし方」、鈴木八郎、アルス、昭和6年
  117. 「密着と引伸」、佐和九郎、アルス、昭和8年
  118. 「原板の手入」、南実、アルス、昭和7年
  119. 「私の引伸」、吉川速男、玄光社、昭和11年
  120. 「露出の秘訣」、佐和九郎、アルス、昭和6年
  121. 「フィルムの写真術」、高桑勝雄、アルス、昭和5年
  122. 「現像の実際」、佐和九郎、アルス、昭和7年
  123. 「緑草心理」、前田夕暮、アルス、大正14年
  124. 「近代歌劇選集」、服部龍太郎、アルス、大正11年
  125. 「世界童話の泉 お話12ヶ月」、小出正吾、実業之日本社、7月〜9月の巻、10月〜12月の巻、2冊は色違いだが同一装幀
  126. 「山岳写真の研究」、小池晩人、アルス、昭和8年 
  127. 「アルス最新科学図鑑」、第1巻、2巻、3巻、6巻、7巻、8巻、10巻、11巻、14巻(全18巻のうち9冊)、(昭和6年、7年)、恩地装幀と記されていないが、「装本の使命」143ページに写真入りで恩地装幀と紹介されている。「アルス日本児童文庫」と同様に、写真以外の数多くの手書きの機械類は、恩地によるものと推察される。
  128. アルス電気工学大講座内容見本」、昭和2年、恩地装幀、恩地表紙絵。理工系本なので恩地装幀と明記されていないが、恩地独特の抽象版画風表紙絵で恩地装幀本であることは一目瞭然である。
  129. 「アルス泰西名詩選3,サマン選集」、堀口大學訳、大正10年、恩地装幀、恩地扉絵
  130. 「新しき欲情」、萩原朔太郎、昭和21年、小学館、恩地装幀、表紙絵                                                                                 大正11年、アルス、恩地装幀、扉絵、計2冊
  131. 「萩原朔太郎詩集1,月に吠える」、昭和21年、小学館
  132. 「詩の原理」、萩原朔太郎、昭和22年、小学館
  133. 「父浜口雄幸」、北田悌子、昭和7年、日比谷書房
  134. 「出帆」全3冊、竹久夢二、昭和15年、アオイ書房、限定400部
  135. 「野口米次郎定本詩集」3,昭和22年、友文社、表紙恩地孝四郎と銘記
  136. 「アルス機械工学大講座」第1巻、2巻、3巻、昭和8年、アルスの自然科学関連本にしては珍しく、「装幀 恩地孝四郎」と明記されている。
  137. 「アルス写真大講座」全14巻、昭和4,5年、アルス社、53の「アルス最新写真大講座」全20巻(昭和11,12年)と別シリーズ。53と同様恩地装幀と記されていないが、装幀、扉図、手書きの写真部品は全て恩地の手によるものと推定される。
  138. 「修整の実技」、久米福衛、玄光社、昭和12年、この本も恩地装幀と明記されていないが、昭和6年から17年の間の玄光社写真関連書の多くは恩地装幀であることを考慮し、私見で恩地装幀とした。なお昭和17年恩地著「博物誌」も玄光社版である。
  139. 「中級写真術」、加藤直三郎、昭和6年、アルス
  140. 「図解印画修整のコツ」、寺岡徳二、昭和16年、玄光社
  141. 「微細粒子現像法」、飯田政雄、昭和9年、アルス(134〜136まで、恩地装幀と記載されていないが、私見で恩地装幀とした。)
  142. 「山田耕作童謡百曲集」100冊全揃い、日本交響楽協会出版部、昭和2年〜4年、1〜20番までVOL.Tと記された帖入り、21〜40番までVOL.Uと記された帖入り。この2点の帖も恩地装幀。100冊とも、恩地装幀と記載されていないが、阿部出版「装本の使命」364ページに恩地装幀と明示されている。帖は2点しか制作されなかったという話もあるが、詳細は不明。なお、100冊全揃いはかなり貴重。
  143. 「象徴詩集」、三木露風、大正11年、アルス、「恩地装幀及び扉畫」と記載されていて、鋭いエッチング風の屹立したペン画4点が扉絵として挿入されている
  144. 「ノアノア」、前川堅市訳、大正15年、アルス、装幀・恩地孝四郎氏と記載
  145. 「印画修整の実際」、寺岡徳二、昭和11年、玄光社、装幀・恩地孝四郎と記載
  146. 「アルス鉄筋コンクリート工学、材料と施行」、昭和13年、恩地装幀と明記されていないが、デザイン、文字等から確信を持って恩地装幀と推定。
  147. 「アルス電気工学大講座」全19冊のうち12巻欠、18冊。昭和2年、工学関連書としては珍しく、全冊に、恩地孝四郎装幀と明記されている。
  148. 「アルス名歌選第14編 長塚節選集」、大正15年、巻末付録に「恩地孝四郎氏装幀」と明記。
  149. 歌集烈風」、前田夕暮、昭和18年、鬼澤書店、初版3000部、恩地装幀と記載
  150. 「青い猿」、室生犀星、昭和7年、春陽堂、綴じ込み小紙片に「題箋・挿絵 恩地孝四郎」と記載
  151. 「萩原朔太郎詩集U 青猫」昭和21年、小学館、装幀 恩地孝四郎と記載
  152. 「写真実技大講座」3,4、7,8,9,10卷、昭和12年、玄光社、3,4,7,9,10卷には「恩地孝四郎装幀」と記載されているが、8卷には記載無し
  153. 「菊地寛集」、昭和4年、春陽堂、初版限定1000部
  154. 「逢ひぬれば」、室生犀星、昭和22年、富岳本社、限定1000部、恩地木版装
  155. 「アルス婦人講座」全3巻、昭和2年、大正10年から昭和12年頃のアルス講座ものは、ほとんどが恩地装幀。恩地装幀と明記されているものとそうでない本がある。「アルス婦人講座」は未明記本。
  156. 「日本の自然美」、武田久吉、昭和21年、富岳本社、恩地装幀と記載されていないが、「装本の使命」(1992,阿部出版)369ページに恩地装幀と明記。富岳本社本のほとんどが恩地装幀と考えられる。また、私見ながら、表紙絵と23図の植物図も恩地の手画きと推察される。
  157. 「1928詩人年鑑」、昭和3年、アルス、恩地装幀と記載されていないが、表紙デザインから、私見で恩地装幀と断定
  158. 「秋に見る夢」、大木篤夫、大正15年、アルス、恩地装幀と記載されていないが、前述「装本の使命」369ページに「恩地装幀」と明記。
  159. 「白秋小唄集」、北原白秋、アルス、大正8年、恩地装幀と記載されていないが、「装本の使命」359ページに「恩地装幀」と銘記。
  160. 「一眼レフの使い方」、アルスカメラの使い方全集6,永田二龍、昭和13年、恩地装幀と銘記されていないが、私見で恩地装幀と断定。
  161. 「聖処女」、室生犀星、昭和11年、新潮社、恩地装幀・挿絵
  162. 山田耕作楽譜、「からたちの花」、昭和5年、日本交響楽協会出版部、恩地表紙 「白秋兄に 耕作」の署名
  163. 山田耕作楽譜、「月光に棹さして」、昭和5年、日本交響楽協会出版部、恩地表紙
  164. 「吉田絃二郎童話集」全5冊、改造社、昭和7〜8年、恩地装幀挿画、(アルス児童文庫と同様、恩地独特の挿絵多数)
  165. 「西洋音楽十二講」、前田三男、アルス、大正13年、恩地装幀と明記されていないが、私見で恩地装幀本と断定。
  166. 「発掘」、伊藤靖、大正11年、新潮社、恩地装幀と明記されていないが、阿部出版「装本の使命」359ページに恩地装幀と記載。
  167. 「図画指導講座」、昭和6年、学校美術協会出版部、恩地装幀と記載
  168. 「山の随筆」、井上康文、昭和16年、三杏書院、恩地装幀、扉絵
  169. 「基礎英語」、昭和24年4月号、5月号計2冊、日本放送協会、恩地表紙絵(恩地孝四郎表紙絵と記載)
  170. 「朝の散歩」、土岐善麿、大正14年、アルス、恩地木版装、「装幀 恩地孝四郎氏」と記載
  171. 「歌集 海鳴」、山西敏郎、昭和10年、立命館出版部、恩地木版装、「装幀 恩地孝四郎畫伯」と記載
  172. 「労農露西亜の研究」、山川均、山川菊榮共著、アルス社会科学叢書1編、大正10年、(恩地装幀と記載されていないが、アルス社会科学叢書2編「私有財産の進化」が、阿部出版「装本の使命」359ページに、恩地装幀と明記されていること、装幀の文字が恩地特有のものであること、この2点から私見で恩地装幀と断定した。
  173. 山田耕作楽譜、「JOAK」、昭和5年、日響楽譜128,シンフォニー楽譜出版社、「表紙 恩地孝四郎」と記載
  174. 山田耕作楽譜、「ヴァイオリン独奏曲 野薔薇」、昭和3年、日本交響楽協会凸版部、「表紙恩地孝四郎」と記載
  175. 山田耕作楽譜、「ヴァイオリン独奏曲 母の子守歌」、昭和5年、シンホニー楽譜出版部、「表紙 恩地孝四郎」と記載
  176. 山田耕作楽譜、「ヴァイオリン独奏曲 とまり舟」、昭和5年、以下174と同じ
  177. 山田耕作楽譜、「松島音頭」、北原白秋作詞、シンホニー楽譜出版部、昭和6年、恩地表紙絵
  178. 「萩原朔太郎全集」「遺稿下」、昭和19年、小学館、目次の最後に「詩装幀 恩地孝四郎」と書かれている。
  179. 「川上音二郎」、村松梢風、昭和27年、太平洋出版社、装幀 恩地孝四郎と明記。
  180. 「ビアズレイの生涯と芸術」、式場隆三郎、昭和23年、建設社、限定300部、目次頁末に「恩地孝四郎装幀」と明記。
  181. 「海の少年飛行兵」、与田準一、昭和19年、大和書店、恩地カバー表紙絵1点、1頁大挿絵8点、3X3センチ挿絵7点
  182. 「校異源氏物語」全5巻、昭和17年、中央公論社、限定1000部
  183. 筑摩書房、「現代日本文学全集」見本チラシ表紙絵
  184. 「短歌研究」昭和21年10月号、日本短歌社、恩地表紙絵
  185. 「婦人公論」昭和18年2月号、中央公論社、堀辰雄「大和路、信濃路」挿絵2点
  186. 推理小説叢書「文学少女其の他」、木々高太郎、昭和22年、雄鶏社、装幀 恩地孝四郎と明記
  187. 「詩集「雲に鳥」、佐藤清、昭和4年、柴田書房、装幀者 恩地孝四郎と明記
                                                                                                                         {V}恩地関連図録、恩地特集誌、恩地記事掲載誌

    ’(当文庫で所蔵している書籍のみ掲載。詳しくは「抽象の表情」、「装本の使命」(1992,阿部出版)を参照。
  1. 第24回日本版画協会展覧会目録、1956,東京都美術館、日本版画協会 
    恩地遺作146点の目録と4点の図録掲載
  2. 一木会展、昭和54年、リッカー美術館
  3. 恩地孝四郎の油絵展、1988,フジイ画廊
  4. 恩地孝四郎と「月映」、昭和51年、東京国立近代美術館
  5. 特別展恩地孝四郎、1982,渋谷区立松波美術館
  6. 近代の美術35号、昭和51年、恩地孝四郎と「月映」、至文堂
  7. 月刊本、1964,第1巻4号、恩地特集、麦書房
  8. 美の国、第3号、昭和23年、美の国社、「氷島の著者」の作品と恩地の短文掲載
  9. アトリエ、昭和25年12月号、アルス、版画2点の写真と恩地「版画・新美術の方法として」の短文掲載
  10. 版画芸術第7号、阿部出版、恩地三保子と畦地梅太郎と料治熊太の恩地論文
  11. 同55号、飯沢匡、桑原規子、品川工、多木浩二、ロべール・ベルジェス、中村義一の恩地論文
  12. 同60号、恩地邦郎の「恩地孝四郎創作の源泉T」
  13. 同61号、恩地邦郎の「恩地孝四郎創作の源泉U」
  14. 同62号、恩地邦郎の「恩地孝四郎創作の源泉V」
  15. 同63号、恩地邦郎の「恩地孝四郎創作の源泉W(最終回)」
  16. 同65号、酒井哲朗の「幸福の形体・恩地孝四郎の女体賛歌」掲載
  17. 同79号、特集木版画百年で「人物交流にみる近代木版画」(阿部出版編集部)の中に「恩地孝四郎ー来る者拒まず」掲載
  18. 同109号、松山龍雄の「現代版画の舞台裏T」で恩地とGHQの関連が述べられている。
  19. 雑誌本の本、1976年第4号に志茂太郎の「恩地孝四郎と書窓」掲載
  20. アトリエ第十二巻6号(昭和10年)に恩地の「版畫立夏」(4ページ)掲載
  21. 美術の窓1996年1・2月合併号(美術の窓社)、「国展70周年記念座談会」で恩地と平塚運一について述べられている。
  22. 同1993年7・8月合併号でタピエスと恩地の作品を比較した短文が有る。
  23. 同1993年7・8月合併号で、秋山修「新画商日記A」恩地孝四郎の版画その1
  24. 同9月号で、恩地孝四郎の版画その2
  25. 同10月号で、恩地孝四郎の版画その3掲載
  26. にっけいあーと1993年5月号で「企画展レビュー・恩地孝四郎(ギャルリーユマ二テ)」1ページの記事掲載
  27. 同1993年8月号、福田俊「版画収集王への道D・抽象木版の台頭」掲載
  28. 季刊銀花第62号(1985年夏号、文化出版局)で「恩地孝四郎の装本の美」、恩地邦郎「装本家恩地孝四郎の友人たち」掲載
  29. 月刊美術1997年6月号に、瀬尾典昭の「抒情画と抽象表現・恩地孝四郎と抒情的抽象の一展開」掲載
  30. 月刊美術1988年2月号44ページに、恩地木版「オブジェNo3」(邦郎刷り)がカラーで掲載
  31. とれーでゆにおん第2号、田川憲発行、昭和30年、限定100部、9ページに「恩地孝四郎を悼む」という田川の短文有り。田川と恩地の接点を証明する貴重な資料。
  32. 浮世絵芸術4巻2号、昭和10年、99ページ、現代版画座談会に恩地出席、(昭和9年12月11日、場所は浮世絵芸術社)
  33. 美術手帖32号(1950年7月号)58〜59ページ、美術出版社、恩地による「美術館」というタイトルのアフォリズム12点と恩地挿絵4点
  34. 美術手帖37号(1950年12月号)20〜21ページ、
    「ドビッシー、子供の領分、それが画になるまで」の短文。他恩地版画の写真5点。2点はレゾネNO344(ドビッシーの羊飼の娘)とNO349(ドビッシーのゴリウォグのケーキウォーク)他3点は「パルナスムへのグラデュス博士」、「子象の子守歌」、「人形へのセレナード」で、レゾネには未掲載。レゾネ未掲載の恩地作品はまだかなりあるのではと推察される。
  35. 文芸読本「萩原朔太郎」、昭和51年、河出書房新社、69〜70ページに「朔太郎残影」という恩地短文
  36. 伊藤信吉「萩原朔太郎」U虚無的に、昭和51年、北洋社、521〜562ページの病める生命の芸術で、朔太郎と恩地と田中恭吉関わりについて書かれている。
  37. カメラ、大震災写真号、アルス、大正15年、529ページに「徴發されたので」という800字前後の恩地短文掲載。関東大震災という未曾有の大災害を目の当たりにしても、こういう時こそ芸術・美が必要だと主張している。人類と芸術の堅い結びつきに対する恩地の確信は、想像以上である
  38. 恩地編集「書窓」第6巻6号「夢二スケッチ帖抄」の復刻本、1984,未来社
  39. 生活美術創刊号、昭和16年、アトリエ社、40ページに「美術は如何にして生活を生むか、美術家は如何にして生活者たるか」の葉書回答として、良い美術は                           暗黙のうちに生活の質を高めるのだ、と言う130字程度の回答を寄せている。
  40. アルス最新写真大講座12巻付録「カメラクラブ」2巻4号、昭和11年4月号5〜6ページに「僕の素人写真」というタイトルの短文。恩地自身が撮った5点の写真も掲載されている。
  41. 恩地孝四郎初期抽象作品展ー「月映」を中心にー1989,ギャラリーユマ二テ
  42. 詩と版画第7号、1924,詩と版画社、28ページに「印象と夢想」、30ページに「「詩と版画題名のこと」
  43. 風創刊号、昭和2年、風発行所、13〜16ページに恩地詩「萬華鏡U」、23〜25ページに恩地詩「初夏童話風物U」、30〜33ページに恩地詩「消耗される肉                    体」、40〜42ページに「「何にもならない感想」、44,45ページに「詩!」、46,47ページに「創作版画について」、48ページ                    に「編集雑記」
  44. 風再刊1号、昭和4年、風発行者、28〜33ページに恩地詩「説話体四篇」、40〜45ページに「美術展望T・U、窓」、60,61ページに「人工動物園」
  45. きつつき創刊号、1930,創作版画倶楽部、巻末の作者の言葉に、「樹幹蒼天にそえる」で、「六月」というタイトルの5行の詩が掲載されている。
  46. 版芸術創刊号、昭和7年、白と黒社、34,35ページに恩地評論「版芸術」(末尾の4行が削除され昭和17年の「工房雑記70〜76ページに「音と色と」と改題さ                                             れ所収。)
  47. 版芸術4号、昭和7年、34,35ページに恩地評論「版芸術方途」(「工房雑記」242〜247ページに所収)
  48. 版芸術5号、昭和7年、34,35ページに恩地評論「贅言多々」
  49. 書窓創刊号、昭和10年、アオイ書房、限定700部、78,79ページに恩地文「初号を送り出す」(以下ページ数は一定期間の通し番号、以下書窓では「恩地文」、「恩地評論」等は省略する。)
  50. 書窓2号、昭和10年、111ページに「自著自感」、135,136ページに「謝辞その他」、156,157ページに「書窓・書架」
  51. 書窓3号、昭和10年、228ページに「編集後記風に」、232,233ページに「書窓書架」
  52. 書窓4号、昭和10年、304ページに「書窓書架」、307ページに「いわずもがなのことながら」
  53. 書窓5号、昭和10年、343,345ページに井上康文詩「心の連峰」の挿絵として幾何学紋様風の恩地カット7点、366〜369ページに「書窓書架」、377ペー             ジに「夏の輯」
  54. 書窓6号、昭和10年、437ページに「書窓書架」、453ぺージに「爽涼を迎える」
  55. 書窓7号、昭和10年、38〜45ページに「装本雑俎」、46,47ページに「工房日記抄」、60,61ページに「夢二の旅鞄をひらく」、70,71ページに「書窓書架」
                 72〜76ページに「本の美術」、77ページに「編輯後」
  56. 書窓8号、昭和10年、106ページに「書窓書架」、120〜125ページに「自著詩文集の構成」(季節標について詳しく書かれている)、132〜137ページに「書              籍の風俗」、140,141ぺージに「第2巻を歩みつつ」
  57. 書窓9号、昭和10年、178ページに「挿絵小感」、240ページに「無軌道の名文」、254〜256ページに「書窓書架」、257〜262ページに「装本材料」、264,265に「編輯者より」
  58. 書窓10号、昭和11年、278ページに「日本児童文庫」3冊と口絵2点が掲載、308,309ページに「夢二少年本の思い出」、337〜343ページに「飾書手段」              344,345ページに「書窓書架」、347ぺージに「年頭辞」
  59. 書窓11号、昭和11年、514,515ページに「書窓書架」、520〜526ページに「装本意匠」、531ページに「編輯言」
  60. 書窓12号、昭和11年、548〜552ページに「版画の新聞挿絵」、564,565ページに「書窓書架」、586〜591ページに「装本図案」、607ページに「萬1年譜」
  61. 書窓13号、昭和11年、19〜22ページに「出版創作」、40〜44ページに「私の出版作」(「飛行官能」と「海の童話」について写真入りで紹介されている。)、59〜65ページに「季節標について」、68,69ページに乾直恵氏の詩「曇日」の挿絵カット(幾何学模様)、76,77ページに「書窓書架」、86〜88ページに「文字ー字体その他」、108ページに「迎第二年」
  62. 書窓14号、昭和11年、122,123ページに山村順氏の詩「天国には神様はゐない」の挿絵カット(直交する2本の半直線と黒点のみ)、124,125ページに恩地詩「曇天」(大円1個と小円16個のみによる挿絵カット)、140,141ページに「三度季節標」、143〜147ページに「書装散策T」、148〜151ページに「書窓書架」、167〜172ページに「配字」173,174ページに「早梅雨」
  63. 書窓15号、昭和11年、239〜245ページに「夢二の芸術・その人」、343〜345ページに「書窓書架」、351,352ぺージに「青天」
  64. 書窓16号、昭和11年、393〜396ページ北原鐵雄写真「船」に恩地は4篇の短い詩を書いている。(画賛でなく写真賛とでも言うべきか。いずれにしても恩地は時代を超越している。) 401〜409ページに「海の幸」(青木繁の作品の美術評論)、426〜428ページに「書窓書架」、413〜422ページに「仏蘭西現代書籍挿画」、439,440ページに「亡夏」
  65. 書窓17号、昭和11年、492〜519ページに「RRR管見」(恩地による武井武雄論)、543〜547ページに「書装散策2」、548〜551ページに「書窓書架」、555ページに「重荷を卸す」
  66. 書窓18号、昭和11年、575〜590ページに「エキス・リブリス」、612、617,618ページに「書窓書架」、613〜616,619,620ページに「書装散策3」、632ページに「書窓日記装容」、642,643ページに「病気静養編輯」
  67. 書窓20号、昭和12年、49〜56ページに「書装散策4」、65〜69ページに「書窓書架」、81ページに「静養編輯試作」
  68. 書窓23号、昭和12年、245〜248ページに「書装散策5」、249〜251ページに「書窓書架」、253ページに「夏至る」
  69. 書窓23号別冊「紙帖」に恩地図案「書窓箋」1枚入り、(薄クリーム色の紙に黄色の木の葉で縁取りしたB5の便箋1枚だが、目にしみるほど美しく神々しくもある。)
  70. 書窓24号、昭和12年、259ページに「白の讃」
  71. 書窓25号、昭和12年、294,295ページに「一つの私家本ー山原について」、320〜324ページに「書装散策6」、325〜332ページに「書窓書架」、355ページに「夏へのわかれ」
  72. 書窓26号、昭和12年、359〜361ページに「枯芝に伏して」
  73. 書窓27号、昭和13年、363,364ページに「無題随筆」
  74. 書窓28号、昭和13年、恩地木版蔵書票(志茂太郎用)1点添付、恩地木版蔵書票7点を写真で掲載、404ページに「作者から」、408〜412ページに「書装散策7」、416,417ページに中村千尾の詩「山のLettle」の恩地挿絵カット2点、428〜433ページに「書窓書架」、434〜436ページに「工房雑筆1」、446,447ページに「冬籠もる」
  75. 書窓29号、昭和13年、453ページに「春遅々」
  76. 書窓30号、昭和13年、455〜457ページに「無題随筆」
  77. 書窓31号、昭和13年、5〜20ページに恩地写真、恩地詩の「植物の世界から」、53〜55ページに「工房雑筆2」、56〜60ページに「書装散策8」、73〜83ページに「書窓書架」97,98ページに「中喜・後記」
  78. 書窓32号、昭和13年、101〜103ページに「夢二のスケッチ帖」
  79. 書窓33号、昭和13年、109,110ページに「土岐さんの豆本」、110,111ページに「消息いろいろ」
  80. 書窓34号、昭和13年、113〜115ページに「秋冷雑信」
  81. 書窓35号、昭和13年、117〜119ページに「間刊間刊間刊間刊間刊間刊」
  82. 書窓36号「夢二スケッチ帖」、昭和13年、166〜174ページに「夢二のスケッチ帖」
  83. 書窓37号、昭和13年、最初の2ページに「歳晩雑信」
  84. 書窓38号、昭和14年、最初の2ページに「片々方」
  85. 版画芸術131号、2006年、阿部出版、84〜91ページに黒崎彰「続・版画史解剖 山本鼎と恩地孝四郎」(黒崎氏は、日本の創作版画運動を、山本鼎から恩地孝四郎の流れで簡潔に述べている。)
  86. 書窓39号、昭和14年、127〜130ページに「装書回想」、178〜182ページに「書装散策9」、184〜188ページに「書窓書架A]、192ページに「夢二輯後記」、193ページに「書窓書架B],204〜206ページに「工房雑筆」、210ページに「退役編輯」
  87. 書窓43号、昭和14年、413〜415ページに「じうぐんぐわかのまき」
  88. 書窓44号、昭和14年、417〜419ページに「地上の祭り漫歩」
  89. 書窓45号、昭和14年、2,3ページに「あはて書」
  90. 書窓46号、昭和14年、5〜7ページに「秋に入る」
  91. 書窓47号、昭和14年、11ページに「休日編輯者言」
  92. 書窓48号、昭和14年、13〜15ページに「雑」
  93. 書窓49号、昭和14年、16,17ページに「第5年を送る」、18ページに恩地詩「即興」
  94. 書窓50号、昭和15年、20ページに「出帆の出版」
  95. 書窓51年、昭和15年、1〜3ページに「早春閑想」、3ページに「書窓書架」
  96. 書窓52号、昭和15年、5,6ページに「春はまだ」
  97. 書窓53号、昭和15年、9,10ページに「風なぎの朝」、10,11ページに「書窓書架」
  98. 書窓54号、昭和15年、13,14ページに「古い日記」
  99. 書窓55号、昭和15年、17〜20ページに「六月」
  100. 書窓56号、昭和15年、21,22ページに「草、夏に入る」、22,23ページに「書窓書架」
  101. 書窓57号、昭和15年、1ページに「蜂月」
  102. 書窓58号、昭和15年、5,6ページに「浴室のスヰッチョ」、6ページに「書窓書架」
  103. 書窓59号、昭和15年、9〜11ページに「秋の書架」
  104. 書窓60号、昭和15年、13〜15ページに「逝秋語」
  105. 書窓61号、昭和15年、17,18,23ページに「書窓書架」、19,20ページに「夢二回想」、21ページに「砂がきを読んで」
  106. 書窓63号、昭和16年、1,2,11ページに「書窓書架」、3〜10ページに「夢二回想」、9,10ページに「砂がき読後感続」
  107. みずえ599号、1955年、美術出版社、60〜62ページに恩地評論「生きるよろこびーアメリカの版画家たち」」
  108. 日本版画美術全集第7巻現代版画T、昭和37年、講談社、56ページに恩地木版「水浴」(カラー版)、129ページに木版「氷島の著者」、「廃墟」、「円波」(モノクロ)、148ページに木版「日本の憂愁・リリックNo13」(モノクロ)計5点所収
  109. 感情復刻版全冊32冊、昭和54年、冬至書房新社、(大正5年から大正9年の復刻) 
    2号5ページ、木版「善き父上に送る」
    3号2ページ、木版「つくよみの出生」
    4号表紙、木版「ALL INNEN」
   
 7号表紙絵
    10号表紙絵木版「ある詩人の肖像」、24,25ページ恩地詩「すべりいずる」
    11号表紙絵木版「憂鬱から」
    12号表紙絵木版「デエメル肖像及びゴチツク西洋文字」
    13号、28,29ページに「手記片片」
    14号表紙「ゴジツク西洋文字」
    15号表紙絵木版「女体習作」、10,11ページ恩地文「友が結婚するに」
    16号、10ページ恩地詩「眠っている子供」、11ページ恩地詩「自然」、22,23ページ「愛の詩集」手簡
    17号、22ページ恩地木版「抒情その1」、23ページ「抒情その2」
    18号、14ページ〜18ページに恩地詩「母の手」、「一点」、「自分の家」、「子供は空中にある」4篇
    19号、18,19ページに恩地詩「ノート」
    20号、恩地孝四郎抒情画集、2〜13ページに抒情画12種と恩地文「抒情画について」、14,15ページに恩地詩「夜」
    21号表紙絵木版「アマリリス」、12,13ページに恩地詩「ノオトより」
    22号、2〜5ページに恩地詩「ノオトより」、20ページに恩地詩「六号雑詩」、23ページ編輯記事に4行の恩地文
    23号表紙絵木版「KINDESWERT]、11〜14ページに恩地詩「ノオトより」、23ページ「消息」に26行の恩地文
    24号表紙絵木版「習作」、7〜9ページに恩地詩「ノオトより」、22ページに恩地文「雑感」、22ページに恩地詩「わが愛する子よ」
    25号表紙絵木版、19〜21ページに恩地詩「ノオトよりーわが友へー」、28ページに恩地8行詩
    26号表紙絵木版「動揺せる母体」、2〜5ページに恩地詩「ノートより」、22ページに16行の恩地文
    28号表紙絵木版「肉体の喜び」、19〜21ページに恩地詩「万人の魂」、22ページに17行の恩地文
    29号、16〜19ページに恩地詩「万人の幸福」
    30号15,16ページに恩地詩「ノートより」、21ページに38行の恩地文
    31号、12〜19ページに恩地詩「夏」
    32号表紙絵木版「水ぐるま」、16ページに21行の恩地文
    感情同人詩集(33号)、7,8ページに恩地詩t飛ぶ魂」
109,竹久夢二「雑草」、昭和16年、時代社、巻末2ページに恩地跋書
110,田中恭吉作品集、1997,玲風書房、4ページに「上版のことば」(1916年2月の恩地文)、68〜74ページに「「田中恭吉の芸術」(1916年2月の恩地文)
111,「昭和の洋画100選」、1991,朝日新聞社、恩地木版「氷島の著者」、「アレゴリーNo2廃墟」がカラーで掲載
112,「アートマガジン」1989年1月号、45ページに、恩地木版「春のポエムNO3」がカラーで掲載
113,近代日本美術事典、1989,講談社、84〜85ページに恩地の項目
114,日本美術作品レファレンス事典、1992,紀伊国屋書店、恩地作品名36点掲載
115,日本美術史事典、1993,平凡社、137ページに恩地の項目
116,稲垣知雄全版画集、1982,形象社、9〜11ページに「恩地孝四郎先生」と題する稲垣氏の文掲載
117,嘉治隆一、「人物万華鏡」、昭和42年、朝日新聞社、140〜141ページに恩地ついての文章
118,「本の手帖」昭和37年1月号、昭森社、恩地夫人のぶの「夢二さん」
119,「本の手帖」昭和42年3,4合併月号、同、小野忠重「夢二と恩地孝四郎」
120,「夢二ロマン版画」、中右瑛、里文出版、昭和59年、81ページ、大正ロマン版画の作者たちとして、恩地を紹介
121,「The Book Of Art」、1965,ニューヨーク、Grorier社、第9巻、149ページで恩地紹介
122,昭和45年3月号「三彩」、小野忠重、本の美術史第3回87ページで、恩地について言及
123,昭和45年4月号「三彩」、小野忠重、同第4回91ページで、恩地について言及
124,昭和53年4月号「三彩」、53ページに「恩地孝四郎詩集」(六興出版)の1100字程度の書評掲載。
125,現代教養文庫、488,近代日本の美術、社会思想社、昭和39年、河北倫明編、114〜116ページで恩地に言及、「春の譜」(1940)モノクロ図版を115ページに掲載、また118,189ページでも恩地に言及。
126,渋谷区立松波美術館収蔵品目録T、平成3年、35ページ、1番に詩文集「季節標」、2番に「リリックNO9 はるかな希い」掲載(9ページにカラー図版)
127,日本美術全史6,「明治以降」、1969,美術出版社、184,185,188ページで恩地に言及、189ページに木版「少女」掲載
128,名作挿絵全集4,1979,平凡社、81ページに「アルス日本児童文庫」の挿絵4点掲載(当文庫でそのうち2点の原画を所蔵)
129,「織田一磨石版画全作品集」、1974,三彩社、17ページで、野田宇太郎が恩地に言及
130,町田市国際版画美術館収蔵品目録日本編、1987,89ページに「静物」、92ページに「浴室午前」、95ページに「樹幹蒼天」掲載、図版は「静物」のみ
131,「京都」第33号、昭和28年、白川書院、4〜5ページに恩地短文「失われないもの」(1400字程度)掲載、阿部出版「抽象の表情」には未収
132,「アトリエ」昭和10年6月号、24〜27ページに恩地文「版畫立夏」掲載
133,「アトリエ」昭和11年4月号、77〜78ページに恩地文「とはいふものの」掲載
134,「続現代日本の書票」、1994,日本書票協会、恩地木版書票10点モノクロ写真掲載、(T、恩地孝四郎関係本、26,愛書票歴参照)
135,「幼年クラブ」昭和21年8月号、多田裕計「蝶の一生」の恩地挿絵8点掲載
136,「NHK日曜美術館」第7集、昭和53年、学習研究社、52〜74ページに、「恩地三保子 私と恩地孝四郎」、恩地版画19点掲載
137,「毎日グラフ別冊 版画で見る懐かしの東京」、1976年6月号、73〜82ページに恩地作品13点掲載
138,「近代日本美術の歩み展」、1979,朝日新聞東京本社、恩地木版5点掲載
139,「1993−1997新収蔵品展」、1998,京都国立近代美術館、邦郎後刷り4点と「月映」T〜Zを平成7年に新収の記事、木版2点掲載
140,「木版画 材料と技法」、小野忠重、1967,美術出版社、113ページに恩地木版「海」(1929)のモノクロ写真掲載
141,「アトリエ」昭和27年、10月号、45〜47ページに恩地文「斎藤清との対話」掲載
142,「みずえ」1955年601号(昭和30年8月号)、62,63ページにオリバー・スタットラー「恩地孝四郎を思う」掲載
143,「ふくやま美術館所蔵品目録」、1991,117〜121ページに、写真入りで恩地木版22点掲載。驚嘆すべきは、幻の未刊詩画集「海の表情」からの17点が掲載されている点である。レゾネにも3点しか無く、恩地フアンには必見の作品である。
144,「愛知県美術館所蔵作品選」、1992,102ページに木版1点掲載
145,「みずえ」1955,10月(603号)、43ページ、59ページで恩地に言及、47ページに12回国展出品作「巌」掲載
146,「みずえ」1950,12月(542号)、32ページに恩地文「現代フランス創作版画展」掲載
147,「郡山市立美術館所蔵品目録」、1992,168ページと160ページに、「版芸術」所収の木版2点掲載
148,「アトリエ」、1952,7月号、24〜26ページに恩地文「国際展版画」掲載
149、「静岡県立美術館所蔵品総目録」,124ページに恩地木版33点掲載
150,「和歌山県立近代美術館所蔵作品選」、1994,71ページと74ページに恩地木版2点掲載
151,「近代日本版画展」、昭和55年、広島県立美術館、恩地木版4点掲載(1点カラー、3点モノクロ)
152,「限定版手帖」10号、昭和28年、吾八書房、1〜3ページに恩地文「「関野準一郎の世界」掲載
153,「限定版手帖」13号、昭和29年、吾八書房、1〜3ページに恩地文「書窓・追憶」掲載
154,「静岡の創作版画」、1991,静岡県立美術館、55ページに恩地木版2点掲載
155,日本経済新聞2007年4月1日号、「画家と文豪 名作挿絵の世界B」、(宝玉正彦)の中で、「月に吠える」を特集し、恩地木版2点掲載
156,「History of Japanese Art」、Penelope Mason、1993,ニューヨーク、352ページに木版「萩原朔太郎像」がカラーで掲載、379〜381ページで、恩地についてやや詳しく言及。
157,「近代日本の美術」、1969,東京国立近代美術館、9ページで恩地に言及、85ページに木版「春の譜」をモノクロで掲載
158、「日本の近代美術」12,1994,大月書店、81〜96ページで、桑原規子氏が「萩原朔太郎像」を中心に恩地論を展開している。桑原氏は日本のアカデミズム内では数少ない優れた恩地研究家。
159,関野準一郎、「版画を築いた人々」、昭和48年、美術出版社、限定200部、133〜150ページで恩地についての記述。関野氏の計らいで、岩崎通信社から資金と建物を提供してもらい、恩地家の隣りに在住の高見澤木版社の社主、上村益郎を社長に据え、富岳本社を作った話、柳宋悦氏が、棟方版画を激賞し、他の日本版画は外国の真似だと言った事に対して、恩地が珍しく興奮して「ああいう立場の人が偏見では困る」と言った話など、興味深い内容である。
160,「昭和の美術」1,1990,毎日新聞社、71ページに木版「人体考察」4点がカラーで掲載
161,「昭和の美術」2、同、116ページに木版「萩原朔太郎像」をカラーで掲載
162,「昭和の美術」3,同、197ページ版画家小事典で恩地記事掲載
163,「画集画文集全情報」、1991,紀伊國屋書店、84ページに恩地の項目
164,「日本史広辞典」、1997,山川出版社、385ページに恩地の項目
165,「大辞泉」、1995,小学館、416ページに恩地の項目
166,「THE 日本」、昭和61年、講談社、「日本歴史を彩った1000人」の1033ページに恩地の項目
167,「近代日本総合年表」、1991,岩波書店、409ページ、1955年6月3日芸術欄に恩地没記載
168,「日本美術家事典」1993,オーアンドエム リミテッド、物故作家欄721ページに恩地の項目
169,「玉川近代美術館」、昭和61年、34,35ページに「萩原朔太郎像」(平井摺り)をカラーで掲載
170,「大川美術館」、平成元年、128ページに恩地木版2点をモノクロで掲載、179ページに14点の所蔵品目録を掲載
171,「現代日本詩書総覧」、昭和53年、名著刊行会、18ページに恩地装幀本「風・光・木の葉」大木篤夫著を写真入りで掲載
                               96ページに恩地装幀本「夏の手紙」、「サボテン島」北園克衛著を写真入りで掲載
    同書別冊「著者別詩書刊行年次書目」40ページに、恩地の項目を掲載、「海の童話」、「季節標」など詩画集6点を紹介
172,「国立近代美術館所蔵品目録」1959(昭和34年)、54ページに恩地木版「春の譜」、「孤独」の2点掲載、「孤独」はモノクロ写真掲載
173,「近代日本の美術」、1974,東京国立近代美術館、106ページに木版「春の譜」がモノクロで掲載
174,「日本の版画家」、吉田正三、1986,トレンド出版、30ページ、130ページに恩地について言及、115ページに「藤懸先生像」がモノクロで掲載
175,「宇都宮美術館所蔵作品選」、1997年度版,19ページに木版「人体考察より衣をつけたる」がカラーで掲載、18ページに解説
                       1999年度版,29ページに油彩「自画像」(1919)掲載、28ページに解説
176,「茨城県近代美術館所蔵作品図録」、1988,91ページに「楽曲によせる抒情No2−2」がカラーで掲載
177,「沓掛コレクションー蔵書票」、昭和57年、八潮書店、恩地書標2点がカラーで掲載
178,「版画入門」、徳力富吉郎、昭和48年、保育社、48ページに、恩地木版「鏡」がカラーで掲載
179,「木版画の技法」、北岡文雄、昭和51年、雄山閣、41ページに恩地木版「リリック」が木版で掲載
180,「昭和物故の美術家たち 追悼文集」、1990、大日本絵画、73〜75ページに恩地文「竹久夢二追悼」、145〜146ページに恩地に対する石井鶴三の「弔辞」、147〜148ページに棟方志功の「版画の星落つ」掲載
181,「関野準一郎版画作品集」、1997,阿部出版、141ページに関野木版「恩地孝四郎像」がカラーで掲載
182,「関野準一郎版画集」、私家版、昭和36年、12ページに関野木版「恩地孝四郎心象像」、「恩地孝四郎像」の2点がモノクロで掲載
183,「人間を彫る」、関野準一郎、昭和57年、文化出版局、92ページに関野木版「若き日の恩地孝四郎」がモノクロで、93ページに「恩地孝四郎像」がカラーで掲載

184,「J−CAP ART AUCTION 22号,2004,5,29、 39ページに「ラベル・道化師の朝」出品
                        26号、2004,9,25, 30ページに「ラベル・道化師の朝」、「無題」出品
                      29号、2005,1,29, 34,35ページに「鏡」、「色と形への遍歴」、「ドビュッシイ 金色の魚」、「無題」出品                        47号、2006,10,21, 34ページに「季節標より 虫」出品
                        55号、2007,6,23, 42ページに「HANGA第1集より 母と子」出品
185,「日展史9,帝展編四」、昭和五八年、175ページに恩地木版「岩間」がモノクロで掲載、昭和4年第10回帝展入選作
186,「日展史13,新文展展編一」、昭和五九年、289ページに恩地木版「丘腹の稚牛」がモノクロで掲載、昭和13年第2回新文展無鑑査出品
187,同75ページに恩地木版「圓波」がカラーで掲載、446ページに同作品がモノクロで掲載、昭和14年第3回新文展無鑑査出品
188,「日展史14,新文展編二」、昭和五九年、177ページに恩地木版「白亞蘇州所見」がモノクロで掲載、昭和15年紀元2600年奉祝展出品
189,同365ページに、恩地木版「切通坂」がモノクロで掲載、昭和16年第4回新文展無鑑査出品作
190,「日展史15,新文展編三」、昭和六〇年、283ページに恩地木版「気球をもつ空」がモノクロで掲載、昭和18年第6回新文展招待出品作
191,同398ページに、恩地油彩画「疎開学園ひるどき」がモノクロで掲載、昭和19年戦時特別展無鑑査出品作
192,「日本の文学」全80冊、中央公論社、昭和41年
      第17巻「北原白秋、高村光太郎、萩原朔太郎」、朔太郎の「月に吠える」の挿絵3点がそのまま掲載、また付録で恩地を紹介
      第35巻「室生犀星」、「犀星詩集」に3点の恩地挿絵、付録で恩地を紹介
      第48巻「堀辰雄」、「大和路・信濃路」に9点の恩地挿絵、付録で恩地を紹介
    「日本の文学」全80冊で、恩地の挿絵はこの3冊のみ。
193,「日本現代詩辞典」、昭和61年、桜楓社、104ページに恩地の項目
194,「版画事典」、室伏哲郎、1985,東京書籍、カラー木版1点、モノクロ木版2点掲載、他項目、記事多数
195,「詩と版画」6号、大正13年7月、14,15ページに恩地詩「月の出」掲載
196,「庄司浅水著作集」昭和54〜58年、出版ニュース社、第2巻180ページ、第7巻224,230,311ページ、第8巻126,145,147,259ページ、第10巻254,259,260ページ、第11巻72,192,193ページ、第14巻246ページで恩地に言及。ただし図版等は一切無く、ただ名をあげて紹介しているのみ。
197,「美術手帖」1952年、3月号、美術出版社、38〜43ページに「創作版画家 恩地孝四郎氏を訪ねる」が掲載。インタビュー記事と、木版画3点、及び恩地の創作作業時の写真9点が掲載されている。恩地の工房の写真と作品「たよりない希望」(レゾネNO359)の制作過程の写真で極めて貴重。
198,「限定版手帖」第15号、11〜15ぺージに、関野準一郎「恩地追悼、不肖の弟子の合掌」、15ページに佐藤実「恩地さんのはがき」掲載。

199,「夢二は旅人」、秋山清、1979,毎日新聞社、15ページ〜29ページに「竹久夢二と恩地孝四郎」と題する対談(秋山清と、恩地の長女で翻訳家の三保子氏)が掲載。日本詩史に残る反戦詩「白い花」の作者秋山清が、夢二の作品より「生き方」そのものに、人間の真の自由を垣間見たが故に、優れた夢二研究家になったのであろうと推測されるが、秋山氏の、恩地への大いなる共感は意外であった。美校で、裸体を灰色に塗ったことで「お前は色盲か」と叱咤され、「ちがいます。こう描きたいんです。」と言って美校を去った恩地の持つ「反権力」への共感と、世俗の流行と逆行する恩地の「抽象」という「反時代性」への共感であったのかも知れない。(2008,6.25記)

200,「桃季帖」、秩父商會、2001,122ページに恩地木版「公刊月映T、伴病めり」の写真掲載

201,「書物と装釘」創刊号、昭和5年、装釘同好会、16〜18ページに恩地文「装幀案画者として」掲載

202,「マメノコブタイ」、昭和16年新日本幼年文庫の、ほるぷ社復刻版、恩地表紙絵、挿絵

203,「苦楽」、昭和22年4月号、苦楽社、中山義秀「奇遇」に恩地モノクロ挿絵3点掲載(160,164,167ページ)

204,「読書倶楽部」昭和22年7月、10月、11月、昭和23年、1月、2.3月号、読書研究会、恩地表紙、、各号5冊とも同デザインで色違い

205,「版画堂目録」、1994〜2008のうち28冊、恩地木版多数掲載(販売目録)

206,「昭和史全記録」、1989,毎日新聞社、575ページ、1021ページに恩地記事掲載

207,「版画芸術」、2008,冬号、NO142,54,55ページに恩地記事と木版4点カラーで掲載

208,「現代日本美人画全集」、12,名作選W、版画・挿絵編、27ページにカラー木版1点、81ページにモノクロ木版1点と記事、109ページに記事掲載

209.「月刊誌 ビジョン」1976年、9月号、ビジョン企画出版社、10〜14ページに、関野準一郎「恩地孝四郎と「月映」によせて、を掲載、恩地木版8点もモノクロで掲載。

210,「太陽と花」田中恭吉詩画集、昭和58年、龍星閣、特装限定240部、恩地三保子「田中恭吉と恩地孝四郎」が掲載された栞入り。この稀覯本は、恩地親子、龍星閣澤田親子の長年に渡る執念の結実であり、歴史的名著である。巻末に「本書を恩地孝四郎先生に捧げる」という澤田伊四郎の添え書き。

211,「日本洋画商共同組合、内外物故作家展第19回、2004年2月、4ページで、木版「ポエムNo4,5月の風景」出品
                               20回、2004年8月、19ページで、素描「前川千帆像」出品
                               21回、2005年2月、7ページで、素描「海辺の朝」出品

212,「CBAアートレポート」104,105,106号、平成19年、で木版「上野動物園」出品
    「CBAアートオークション」52号、平成19年5月、35ページで、木版「版芸術1巻1号、昭和7年、私は信じる」を「Untitled」で出品 

213,「古裂会37号」平成19年、428ページで、軸「波旭日画幅」出品

214,「毎日アートオークション」175号、2005年1月、110ページで「素描作品27」出品    
                    189号、2005年9月、33ページで、木版「円波」(1987年邦郎刷り)出品

215,「カームアートオークション」2006年11月号、21ページに、木版「抒情T」(1989年邦郎刷り)出品

216,「女性時代」、女性時代社、1930年(昭和5年)創刊号の昭和57年講談社復刻版、恩地表紙絵(50年から100年時代を先取りしたと思える素晴らしい表紙絵。いや、時代の先取りと言うより、時代を超えた、と言うべきかも知れない。)

217,「月刊美術」2006年、7月号、実業之日本社、21ページにカラーで「抒情 あかるい時」、33ページにカラーで「人体考察」を掲載。

218,「恩地孝四郎 初期抽象作品展」図録、1989,ギャルリーユマ二テ、1989年邦郎刷り30点の価格表付き

219,「原色明治百年美術館」、昭和42年、朝日新聞社、406,407ページに恩地の紹介と、木版「氷島の作者・萩原朔太郎像」をカラーで掲載

220,「文部省戦時特別美術展集」、昭和20年、朝日新聞社、62ページに木版「疎開学園ひるどき」をモノクロで掲載

221,関野準一郎版画、「若き日の恩地孝四郎」、1944,木版、35x26,限定30部、恩地の弟子、関野は、恩地の木版肖像画を3点制作していて、他の2点は、1952年作の「恩地孝四郎像」、「恩地孝四郎心象像」。当文庫の作品が限定30部ゆえ、入手が困難と言われている。

222,池田満寿夫のメゾチント版画、「恩地孝四郎へのオマージュ」、15x11、1976

223,「Japanese Prints」、James A Michenner、1960,Tuttle、バーモント、東京、234ページに恩地紹介文、235ページに「リリックNO11,回想の中で」(版画集NO358)、236ページに「廃墟」(版画集NO292,237ページに「ポエムNO13」(版画集NO338)が掲載されている。
 現代版画部門では、恩地のみが目次のタイトルになっていて、他は弟1グループと第2グループとしてまとめて扱われている。棟方志功でさえ、僅か数行で作品も1ページだけであるのに対して、恩地は丸々1ページ51行で、3ページ3作品を掲載している。このことからも、米国での恩地の評価は、日本人の想像の遥か彼方に有ると推察出来る。

224,「改訂日曜版画」、吉田政次、1965,池田書店、55,56ページで、恩地の紙版画について解説。54ページで「形象 第15,動揺するもの」をモノクロで掲載。

225,「夢二畫譜」、昭和29年、龍星閣、同封4ページパンフレット1ページ、「「諸家の夢二評」の冒頭に、8行の恩地批評文が掲載されている。

226,「久保貞次郎を語る」、1997,文化書房博文社、久保貞次郎年譜5ページに、1954年8月8NHKラジオ「版画をつくる子どもたち」で、恩地孝四郎と座談、と記載。同53ページに、綿貫不二夫「現代版画のパトロン久保貞次郎」で久保氏の恩地に対する思いが記載されている。

227,「モダニズムの光跡 恩地孝四郎 椎原治 瑛九」、1997,東京国立近代美術館、写真家としての恩地孝四郎に光を当てたユニークで斬新な美術展であった。

228,「国粋」大正10年2月号、国粋出版社、「扉絵春」に、「恩地孝四郎選」と記載。扉絵春の作者は明記されていない。

229,「落穂ひろい」、瀬田貞二、1982,福音館書店、下巻246,247ページ、304ページ、377ページで恩地に言及。この上下2巻本は、日本児童文化史、日本児童文学史、日本児童文学挿絵作家史の集大成として出色の秀作である。

230,「特別展京都の近代版画」、昭和61年、京都市美術館、恩地木版「湯上がり(女俗選より)」、「フォルムNO13,グロテスク」2点がカラーで、「抒情Wのぞみすてず(月映Uより)」、「Maw主席像」の2点が白黒で掲載。

231,「原色明治百年美術館」、昭和42年、朝日新聞社、502頁で恩地を人名辞典で掲載。406,407頁で「萩原朔太郎像」をカラーで掲載。裏表紙カバーで同木版を掲載。

232,「日展史」8,帝展編三、昭和57年、     167頁に、第8回帝展第2部西洋画出品作として木版「幼女浴後」がモノクロで掲載。374頁に、第9回帝展第2部西洋画出品作として、木版「紅色の靴」がモノクロで掲載。

233,「日本の木版画その伝統の流れ」、奥山儀八郎、昭和52年、慶友社、限定300部、10ページに木版「内原訓練所畜舎」、「内原訓練所日輪兵舎朝礼」がカラーで掲載。

234,「文藝春秋デラックス・版画名品集・日本の抒情」、昭和51年、4ページに木版、「白布裸膚」、46ページに「抒情弟1」がカラーで掲載、84ページに「室生犀星・抒情小曲集」がモノクロで掲載。

235,「別冊太陽・世界名作版画集」、1990年11月号、平凡社、111ページに木版「水浴」がカラーで掲載。

236,「美学 2003年冬 215号」、桑原規子氏論文「恩地孝四郎 楽曲による抒情シリーズをめぐって」掲載。
(音楽家3名の恩地への影響と、恩地の抽象版画について、恩地芸術が評価されなかった時代性について、解りやすく書かれている。)

237,「版画による創造と表現展」、1990,日本現代版画商協同組合、恩地木版「廃墟(アレゴリーよりNo2)」、「絶望の強制(リリックよりNo18」の2点がからーで掲載、他に恩地の略歴と解説が書かれている。

238,「美術及工芸」2号、昭和21年12月号、恩地文「アメリカ兵と交わる」を15,16ページに掲載。
(安部出版、恩地孝四郎版画芸術論集{抽象の表情」には掲載されていないが、資料自筆文献目録には記載されている。P517)

239,「Christie’s Park Avenue」オークションカタログ(1997,4,24)、16ページに恩地木版「鏡」(版画集NO144)が掲載

240,「Christie’s New York」オークションカタログ(1998,4,22)、(The Helen and Felix Juda Collection of Japanese Modern and Contemporary Prints)、
(表紙全部が「美人四季・冬」(版画集NO112)で、他に76ロット、81作品がカラーで掲載。落札金額表も添付されていて1点を除き、高額で75ロットが落札されている。やはりアメリカでの恩地人気は想像以上のようである。)

241,「恩地孝四郎 生活のための仕事片」、大野隆司、1990,限定46部、(アルス日本児童文庫の表紙絵、口絵、挿絵を紹介した限定私家版。当文庫で原画を相当数所蔵している。)

242,恩地孝四郎便箋、15枚入り、和歌山近代美術館


243,「版画芸術」2015年冬号NO170,100〜105ページに、2016年東京国立近代美術館、「恩地孝四郎展」の紹介記事と、松本透氏の「恩地孝四郎ー境界なき抽象」小論所収






「附」  恩地孝四郎の市場評価の変遷   「美術年鑑」(美術年鑑社)調べ
                              
、1号当たりの金額で、単位は万円、ただし状態の良いオリジナル版画か油彩画。

                                               

         1969年、15
        1977年、20
        1985年、20
        1992年、33
        1997年、33
        2002年、35
        2005年、35 
        2008年、35
        2011年 35
        2013年、35  

美術年鑑、名鑑、名典、大鑑等の評価額は、実勢取引価格よりかなり高額だと言われているが、少ない作品数のため恩地作品は例外のようである。例えば、日本中から数多くの稀覯本、版画等が集まる、神田の2002年七夕入札会で、1939年作のオリジナル木版「西湖朝霧」が出品された。周囲が変色摩耗している状態最悪の8号大木版作品であったが、最低値70万円にもかかわらず、多数の入札がありかなりの高額で落札されたという。未発見のオリジナル作品は、まだ日本にも少しは有るのだろうが、大半はアメリカにあり、何十年何百年とそれらが里帰りするのを待つほかないのであろう。


  【W】恩地孝四郎版画・肉筆作品(当文庫所蔵品のみ掲載)   

恩地オリジナル木版画は刷り部数が少ないこと、日本の多くの美術関係者が恩地作品を無視しているさなか米高級将校、知識人がアメリカに相当数持ち帰った事等の理由で、日本では恩地作品は極めて少ない。希に市場に出ても高額で入手困難であり、当文庫の所蔵品もほとんどが後刷り作品か、本の添付木版画である。それでも時代を超えた高い芸術性は充分観賞できる。

  1. Conposition、(リトグラフ)、1953年,形象社版画集NO403,限定20部、44x28  (写真)
  2. Poem  Winter、(リトグラフ)、1953年,版画集NO402,限定20部、44x28  (写真)
  3. 新宿御苑版画4,温室、木版、20x14,1949年、版画集NO220(写真) (新宿御苑版画は他に、1,前田政雄(写真)、2,北村文雄(写真 )、3,平塚運一(写真)の3点がある。新宿御苑保存協会発行 (写真) )                     
  4. 小潭潜魚,木版
  5. 作者心象像、(無為の設計の挿絵木版画)
  6. 花(書窓13号の添付木版画)
  7. 台南孔子廟側門(関野刷り)、木版
  8. 過去(平井刷り、恩地孝四郎遺作頒布会1955年)、木版
  9. 富士山
  10. 新頌富士(9,10は新頌富士の添付木版画の2点)
  11. 二重橋早春
  12. 東京駅口
  13. 上野動物園、(11〜13は東京回顧図絵の木版画3点)
  14. イマージュNO2,白い花、36x28,(1946年の版画集NO255作品の邦郎後刷り、1987年限定65部) (写真)
  15. 肩 人体考察、1924,17x16,版画集NO93,恩地サイン(この作品は1929年風再刊1号の同タイトル挿入木版ではなく、タイトルサインの有るオリジナル木版画(写真)The Hellen and Fellix Juda CollectionがNYクリスティーズ(1998,4,22、ロット番号87),に出品された折り、見識のある日本人愛好家が落札し日本に持ち帰った作品。海外に流失した恩地版画が里帰り出来た希なケースで、落札者並びに当文庫にお譲り下さったご親族の方に、日本中の恩地フアンを代表致しまして、心より感謝申し上げます。)なお、本作品と風再刊1号の作品は同名ながら、刷り時の誤差でない構図的差異が数カ所見られ、風再刊1号の作品は再刻版木による可能性もあるが、詳細は不明。。(写真) なお版画集では、風再刊1号の作品は、「人体考察No5,肩」版画集NO122、として別作品として掲載している。
  16. 酵果、木版、25x34,1931,木蘭社発行、エンボスで「孝、1931」の印(版画集NO163,「黒葡萄切子鉢」1933と同図柄) (写真)
  17. 木口木版作品、8.5x6.8,版画集NO423、タイトル不明、年代不明  (写真) 
        この作品は、昭和50年形象社恩地孝四郎版画集の予約特典として(米田刷り300部)配布された。ただし米田刷りにはナンバーと右下に「Onzi」の版上サインとシート右下に「米田」その他の空押し印があるが、当文庫作品にはそれらが無い。当文庫作品がオリジナル作品と推定されるが詳細は不明。【】恩地孝四郎関係本、14参照。
  18. 木版書票作品2点、5x5,5x7,年代不明(愛書票10点については、【】恩地孝四郎関係本 26番参照)  (写真)
  19. リリックNO2,楽曲によせる抒情、ドビッシー、金色の魚、木版、1950,(昭和25年)、42x29,限定20部、ペンで小さく、「Onzi」とサイン。版画の裏に、1950,3/20,タイトル、K.Onchiのサインがある共シール。版画集によるとこの作品は、1933(昭和8年)、とあるが詳細は不明。多分、恩地孝四郎自身による20部の後刷りと思われる。
    版画集NO157。(NO156も同タイトルの木版作品だが、この作品はNO157の方。)
    (写真)
  20. 油彩自筆絵付け皿、25.3経、表に「人に知られて美しき花つみとられぬ」
    「人に知られて美しき花さりり」の金色字。裏に「1953,美術家連盟、恩地孝四郎」の油彩字。(写真)
  21. 母と子、大正13年「HANGA1号」添付作品、11x12 (写真) 、版画集未掲載作。大正6年に「母と子」という題で、異なる図柄の3作品があるが(版画集NO71,72,73)それらとは別の木版画。
 22,「浴室午前」、昭和3年、21x15,HANGA13号添付作品、版画集NO115。台紙裏に「浴室午前」につき、という250字程度の解説文がある。(写真)

 23,日本版画協会木版カレンダー、恩地木版1枚入り、昭和11年 (写真) 7月、題不明、13x25
                                   昭和12年 (写真) 4月、「春の精霊」、13x25
                                   昭和15年 (写真) 8月、「蜂月」、13x25、版画集補No12
                                   昭和16年 (写真) 12月、「閑日」、13x25、版画集補No14
                                   昭和17年 (写真) 5月、題不明、ただしカレンダー裏に添付されている「作者の言葉 に「毛虫をかく弁」と有る。仮題を「毛虫」とする。13x25
                                   昭和18年 (写真) 10月、「十月青天」、13x25、版画集補No13

25,「氷島」の著者 萩原朔太郎像、木版、52・7x42・5、昭和18年、第18回国展出品作の平井摺(1955,昭和30年、恩地孝四郎遺作頒布会)、版画集NO224 (写真)

    版画集によれば限定8部とある。オリジナルの1点は東京国立近代美術館で所蔵、三重県立美術館の作品は平井刷りか。今治市玉川近代美術館の同作品も当文庫所蔵品と同じ平井摺。群馬県の大川美術館は関野刷りと平井刷りの2点を所蔵。千葉市美術館の作品は1943年と記されているのでオリジナルなのだろうか。広島県ふくやま美術館所蔵作品は、オリジナルか平井刷りかは不明。ふくやま美術館は、恩地未刊詩画集「海の表情」の木版17点(1987年邦郎摺り)も所蔵しているので、オリジナルの可能性が充分有る。8点のうち数点はスタットラー達がアメリカに持ち帰ったと言われているが、2,3点は人知れずまだ日本に残っているかも知れない。何れにしてもこの作品は、恩地具象版画の最高傑作であろう。
 「はじめに」2、の本の中で、スタットラーは、この作品について、「恩地手摺り」は、「波の高鳴りのような詩の響き」で「関野摺り」は「散文」で、「平井摺り」は「学術書の脚注」であると書いている。摺りの精緻さは同じでも、「芸術性」、「詩的感動」は順に低下していると言う意味に違いないのだろうが、何という鑑識眼の高さだろう。この3作を比較できるスタットラーの境遇、環境に嫉妬すら感じるのは私だけでは無いだろうが、その当時、恩地の近くにいた日本人美術評論家諸兄は、スタットラーに比べて、何という見識眼の低さだろう。


26,「リリックNO2,楽曲によせる抒情 ラベル 道化師の朝歌」、版画集NO158,1933年作品の1955年平井摺、木版、29x19。この作品は恩地孝四郎版画集(形象社、1975年)特装版添付作品と同一作品だが、添付作品は関野監修米田刷。米田摺は限定55部で、平井摺は刷り数無記載。米田摺の方が刷りが強い。

27,「失題」、1945,木版、24x23,版画集補NO15番

28,「Forme No10,色と形への遍歴」、1950,木版、37x26,版画集NO333、一木会で発表、(この作品にはサイン、エディションナンバーが無く、それ故不人気で、日本で廉価で入手できる数少ない恩地オリジナル作品。

29,「1949,昭和24年、藤澤木版カレンダー」、恩地自画自刻多色木版3枚、@「京の雪」、版画集補No19、A「内海にのる」、版画集補No18,B「銀座のたそがれどき」、版画集補No20
               
 藤澤薬品工業株式会社が1949年に出版した木版カレンダーで、3点とも、裏に200字程度の恩地の「作者のことば」が印刷されている。他にこのカレンダーには、平塚運一の木版、@「宍道湖畔」、A「夏の時計台(札幌)」、B「阿蘇晩秋」の3点があって、豪華なカレンダーセットである。
 日本では美術作品の普及、大衆化は、画廊、百貨店が担ってきたが、画廊は敷居が高いし、百貨店では値段が高く、「大衆化」の意味をなさなかったと思われる。影で「大衆化」の一翼を担ったのは古書店であったが、これもほんの一部の愛好家対象であったろう。次に「藤澤木版カレンダー」のような、優良企業による贈答品という形での「大衆化」である。昭和24年であっても、木版より印刷のほうが廉価で容易であったと推察されるが、実力派の恩地と平塚を選び、あえて木版摺りでのカレンダー制作に踏み切った背景に、経営陣の見識の高さ、芸術への理解、社会的責任の自覚が読み取れる。発行部数、単年度のカレンダー発行か、複数年度発行なのか等、現在調査中。


30,「Lyrique No2,楽曲に寄せる抒情のうちボロディン「スケルッオ」、昭和7年、版画集NO155,褐色1色刷り(20x14)、2色刷り(22x14.2)の2点、版画集271ページに、{ボロディン「スケルッオ」は今年(二百枚自摺)、この版は一色(褐色)刷であったが、音楽作品による抒情に収輯するに当たって二色刷とした。(版画協会展出品の際そうした」。}(原文のまま)と解説されている。

31,「人体考察No8背」、昭和3年、18x11,4,木版、版画下マージンにタイトルと、23、Sep ー28と鉛筆で書き込み、版画集補NO3、「HANGA」3号、(2016年東京国立近代美術館カタログP114)

32,「人体考察」、大正13年、21X17 木版、版画集NO92(2016年東京近代美術館恩地展カタログ未掲載作品)

33,「あるヴァイオリ二ストの印象(諏訪根自子像)」、昭和21年、40.6x31.8,状態がやや悪く裏打ち有り、多色木版、版画集NO242,、マージン下にOnchiのスタンプサイン、オリジナルには直筆のタイトルとサインが有ると言われており、レゾネにも後刷り有りと表記されているので、この作品は後刷りであると思われるが、それでも現在では極めて貴重。(多分、恩地孝四郎遺作頒布会1955年、平井刷り)

34,木版蔵書票1点、4.5x6.5,昭和30年頃、大阪のこけしコレクター、米浪氏が作者に直接注文した作品らしい。棟方志功、関野準一郎、初山滋、前川千帆、宮尾しげをの蔵書票とセットで蒐集。棟方志功からの返事、タイトル(米韻紋柵)等の資料のコピー添付。
 「米韻来柵」、書票16点入り、完本は18点入りと言われているが、詳細は不明。棟方志功書票は欠。

35,「人体考察No5,肩」色紙刷り作品、15と同一作品、1925,限定5部の4番、1924年の版木でプレゼント用に5部色紙に刷った作品かも知れない。「ここは潤達な広場 あかるい球戯 健康な太陽はここに再生する」、1925,人体考察No5 ”肩” と直筆で記載されていて、Onziのスタンプサイン。

36,「のこるこころ」、恩地邦郎刷り、木版、1989,名古屋ギャルりーユマ二テ、限定20部(X、恩地後刷り作品B恩地邦郎刷り参照)

37,「人体考察 肩」、同

38,「抒情・あかるい時」、同

39,「抒情・慈に泪す」、同

40,「抒情・1」、同

41,「海にいる人物」、同

42,「男の首」、同

43,「人体考察No4 頚」、同

44,「人体考察No6 胸」、同
   
   「あさあけDown」、同 

45,「Poem No7,五月の風景」、多色木版、1967年の平井刷り、36x45、オリジナルは1948(昭和23年)

46,「Poem No2,山の属」、多色木版、1965年の平井刷り、44x45,オリジナルは1937(昭和12年)

47,「帯」、多色木版、31x24,昭和5年頒布会
 版画集NO142の「帯T」、
版画集NO143の「帯U」と類似の図柄。ただし「帯T」、「帯U」にはない画賛の歌「君が帯 秋の・・・」が右端に書かれている。この「帯」シリーズが何点頒布されたかは不明。これで、レゾネ2点と、当文庫所蔵の1点で、少なくとも3点は確認されたことになる。サイン、版上サインも無いので、恩地作品と気づかれずに売買された時期もあるのかも知れない。何れにしても日本で比較的容易に入手出来る、数少ない恩地オリジナル木版画である。

48,「人体考察 髪」、多色木版、40x34,版画集NO104,
(版画集にも、東京国立近代美術館蔵の同作品も1927年(昭和2年)と記されているが、この作品は、「1938,Dec」 K・Onzi」、と右下に鉛筆サインがあり、左下にフランス語で「ア ボンジュール フジモト」と為書鉛筆サインがある。1938年12月に、藤本氏に献呈したと推測される。やや状態が悪いが、日本に残っている数少ないオリジナル作品であろう。)

49,「海 Sea」、1955年「恩地孝四郎遺作頒布会」7番の作品、実際は1932年版芸術5号添付作品「新膚」(版画集NO152)(T、恩地孝四郎関係本8を参照)、1955年恩地他界時では、まだ日本人による恩地研究は充分なされておらず、頒布会関係者が「Sea」とタイトルをつけてしまったのだろう。その意味では非常に珍しい作品。何れにしても海を背景にした女性の裸体を半身描き、「新膚」とタイトルをつけるとは、今更ながら時代を超越した恐ろしい作家である。

50,「抒情 真実ひとり輝きめぐる」、大正4年「月映」Yー5掲載の後刷り作品、(1975,形象社 恩地孝四郎版画集特装本、米田刷り55部作品、(X)恩地孝四郎後刷り作品について、「1」のA参照)

51,「抒情 いとなみ祝福せらる」、大正4年「月映」Yー1掲載の後刷り作品、以下50と同じ

52,「アトリエ室内」、1930年、版画集NO137,1993年、ギャルリーユマニテ限定20部邦郎刷

53,石版画2点 @あたらしい日 Aあつい牛乳、(三間石版印刷所制作)、13x22,掲載誌不明、多色石版、恩地孝四郎作と記載

54,「台北東門」、昭和14年、新日本百景16,木版、日本版画協会、限定150部、版画集未掲載

55,「木版書票」1点、土方久功、「文化の果てに」、昭和28年、龍星閣に添付のハシモト書票、当文庫では初めての図柄

56,恩地油彩画「並木のある道」(中国風景)、41x32,キャンバス、サイン、1939年(昭和14年)、邦郎シール、東京ユマニテシール。フジイ画廊、1988、「恩地孝四郎の油絵展」No25として所収。

57,恩地油彩画「山へ(中国風景)」、40x31、キャンバス、サイン、1939年、邦郎シール、フジイ画廊、1988,「恩地孝四郎の油絵展」No23として所収

58、恩地水彩画「北京風景」、19X24,昭和14年、恩地邦郎シール、アトリエスタンプ



  
(X)恩地孝四郎後刷り作品について当文庫で未所蔵作品がほとんど。所蔵作品に関しては「W」を参照)

 
 恩地後刷り作品については、不明の部分が多く、精査困難な領域ですが、オークション等でも多少の混乱が散見されますので、敢えて試論として掲載したいと思います。

     
 「1」 平井刷り、米田刷り、恩地邦郎刷り 
 
        @平井刷り   恩地孝四郎が他界した1955年「恩地孝四郎遺作頒布会」から以下の10点が頒布された。発行部数は不明だがそれ程多くはないと推察される。
                   1,萩原朔太郎像(版画集NO224,当時の頒布価格7000円)
                   2,台南孔子廟門(版画集NO181,同6000円)
                   3,あるヴァイリ二ストの肖像(版画集NO242,同4000円)
                   4,過去(版画集NO340,同3000円)
                   5,蝶(版画集NO297,同3000円)
                   6,母と子(同2000円)
                   7,海(同2000円)(実際は1932年版芸術5号号添付作品「新膚」)(版画集NO152)
                   8,音楽による抒情 ラヴェル道化師の朝歌(版画集NO158,同1500円) 
                   9,音楽による抒情 ドビッシー金色の魚(版画集NO156,同1500円) 

                     10,音楽による抒情 諸井三郎プレリュード(版画集NO154,同1000円)

                 他に1968年、「Commposition No.2 文字」
                  1967年、「Poem No7,五月の風景」
                  1965年、「Poem No2,山の属」 

         
A米田刷り   1975年、形象社から名著「恩地孝四郎版画集」が刊行されたとき、特装本、限定本添付用に以下の10点が後刷りされた。(10点とも「米田」エンボスサインとナンバー入り)

                     1,リリック 1 
                     2,抒情 いとなみ祝福せらる
                     3,抒情 真実ひとり輝きめくる
                     4,リリック2,楽曲によせる抒情ドビッシー 金色の魚
                     5,リリック2,楽曲によせる抒情ラベル 道化師の朝歌
                     6,季節標より、虫
                     7,季節標より、魚   (1〜7までが55部特装本)
                     8,のこるこころ(日本版380部本)
                     9,そらにかかるもの(海外版170部本)
                     10,予約特典として、版画集423番「失題」(限定300部)の後刷り作品がつけられている。(なお、この「失題」は、1978年、六興出版、「恩地孝四郎詩集」限定100部特装本にも添付されている。)

             他、上述の詩集には、版画集424番「書票」、米田刷りが添付。

       
 B恩地邦郎刷り   「1987年」 (T) 1、イマージュNo.2 白い花(限定65部)
                                      2,イマージュNo.2 青い花U
                                      3,イマージュNo.2 赤い花
                                      4,アレゴリーNo2,廃墟
                                      5,オブジェNo3
                                      6,CatNo.4
                                      7,コンポジションNo2,文字
                                      8,ポエムNo8,蝶の季節
                                      9,円波、(名古屋ギャラリーユマニテ)、限定10部
                                  (2)  未刊詩画集 「海の表情」、全17点、限定20部、WKO版画研究所(本自体は初 発刊なのでオリジナル本)  

                           「1989年」   1,海にいる人物(1〜30番まで全て限定20部ただしEP5部、PP1部で計26部)
                                     2,男の首
                                     3,失題
                                     4,失題
                                     5,人体
                                     6,人体
                                     7,人体・少女
                                     8,人体考察
                                     9,人体考察・肩
                                     10,人体考察・胸
                                     11,人体考察No3・衣つけたる
                                     12,人体考察No4・頸
                                     13,人体考察NO5・肩
                                     14,人体考察No6・胸
                                     15,のこるこころ 
                                     16、抒情・慈に泪す
                                     17,抒情T
                                     18,抒情・あかるい時
                                     19,あさあけ
                                     20,そらにかかるもの
                                     21,裸形のくるしみT
                                     22,裸形のくるしみU
                                     23,裸形のくるしみV
                                     24,死によりてあげられる生
                                     25,抒情・いとなみ祝福せらる
                                     26,抒情・U
                                     27,躍る
                                     28,失題
                                     29,失題
                                     30,そらよりくだけるかげ (1〜30番全て名古屋ギャルりーユマ二テ)

                        「1993年」      1,キリストとマリア
                                     2,あるヴァイオリ二ストの印象
                                     3,アトリエ室内           (ギャルリーユマ二テ)
  
         

                           
 2001年ギャルリー東京ユマニテ「恩地孝四郎木版画集」抒情より(限定25部)
                                     1,抒情
                                     2,抒情 チューリップ開花態
                                     3,抒情
                                     4,抒情
                                     5,抒情 曇について
                              (邦郎刷りには、ほとんどエンボスサインか、共シールがついている。恩地オリジナル作品が極めて少ない現状では、限定20部という少部数を考慮すると、邦郎刷りも今後益々稀少価値が増すであろう。)

      
「2」  関野刷り   

          
関野刷りには、恩地生前に、恩地指示による「関野増し刷り」と言われるものもあり、精査は極めて困難である。それでも、(W)恩地孝四郎版画作品、25,萩原朔太郎像の所で述べたように、スタットラーは、「恩地手刷り」は、「波の高まりのような詩の響き」で、「関野刷り」は「散文」で、「平井刷り」は「学術書の脚注」と断言しているのだから、厳密に区別するべきなのかも知れない。それでも、スタットラーのように、この3点を身近に置いて、その芸術性の差異を堪能出来る機会を持つことは、我々には不可能に近いことなので、「関野刷り」と表示されていない場合は、オリジナルと後刷りとの判別はかなり困難であろう。以下に関野刷りと確定出来たもののみ書いてみる。

         1,台南孔子廟側門(当文庫で所蔵)
         2,1973年、美術出版社、関野著「版画を築いた人々」限定200部特装本」に、レゾネ95,恩地木版「人体 少女」の後刷り作品


   「3」雑誌添付の後刷り作品  
 
     1,「書窓」、アオイ書房、昭和10年〜16年、第13号(1936年、昭和11年、5月)に、「花」(版画集NO114,1928年、昭和3年、卓上社展)の後刷り作品限定600部が添付。
     2,「東京回顧図絵」、昭和20年、富岳本社、に、後刷り作品「東京駅」、「二重橋」、「上野動物園」が入っている。この3点は、「新東京百景」(昭和3年〜7年)の恩地木版13点のうち、「「東京駅口」、「二重橋早春」、「動物園初秋」の後刷り。
     3,「新東京百景」(昭和53年、平凡社)に、「「井の頭池畔暮色」(米田刷り)、「日比谷音楽堂」(米田追加刻刷り)、「東劇斜陽」(米田追加刷り)の3点の後刷り作品が入っている。
     4,「日本現代版画」(オリバー・スタットラー、昭和30年、タトル)、に「あるヴァイオリニストの印象」(アダチ版画工房)が入っている。これは後刷りでなく、エスタンプ作品。(オリジナルは昭和21年、第15回版協展、版画集NO242で、40・5x33・5の大きさだが、エスタンプ作品は15・0x11・5で縦横3分の1の縮刷版)
     5,「恩地孝四郎詩集」(昭和53年、六興出版、特装本)、に版画集423番「失題」限定100部、ナンバー入りと、版画集424番蔵書票」米田印、エンボス入り、の後刷り2点が添付されている。
     6,「無為の設計」(川路柳紅、昭和22年、富岳本社)、版画集282番の後刷り「作者心象像」が添付されている。オリジナルは同年第15回版協展出品作で、「無為の設計」用に、同一版木で600部制作したと考えられる。後刷り作品には、下段に、オリジナルには無い「作者心象像」という版上記載が有り、それで区別出来る。
     7,「詩集梅」(井上康文、昭和22年、富岳本社)、版画集NO281番の後刷り「詩人の像(心象図)」が添付されている。オリジナルは同年第15回版協展出品作で、「詩集梅」用に、同一版木で600部制作したと思われる。「無為の設計」同様、後刷り作品には、オリジナルには無い「作者心象像」という版上記載が有り、それで区別出来る。
     8,「名作蔵書票集7」(昭和37年、緑の笛豆本の会、限定30部)、に、昭和28年8月の愛書票暦作品の後刷り作品が入っている。
     9,関野準一郎「版画を築いた人々」、(昭和48年、美術出版社、限定200部)に、恩地木版「人体ー少女」(版画集NO95、1925年「詩と版画」6号)の後刷り作品が入っている。関野刷りと推察される。 


以上判明分を掲載したが、まだ後刷り作品は数倍有るだろうと推測される。今後加筆訂正していくつもりですので、ご指導頂ければ幸いです。  (X)「恩地孝四郎後刷り作品について」は2009年2月28日渡辺記
       
 
                      

                                     

         





  【Y】恩地孝四郎賛歌     南都麗
 

その1  地上楽園を

私達は知っている、あなたの幾千幾万という刻苦の細密画を。
児童文庫の中で、そのまま貼り付けさえすれば良かった幾多の資料写真を、芸術家の性(さが)故に、あなたが密かに描き直した凍り付くような無数の細密ペン画を。
私達は知っている、誰にも知られようもない血を吐くような薄暗がりの辛苦の中で、何故あなたが、毅然とした芸術性を付与するために、平然と1日数十枚も刻苦の細密画稿を描き上げたかを。
 さあれ、恩地孝四郎よ、私達も今言うぞ、美しい本を作ることが人間の証しだと。「本は文明の旗だ」と。
さあれ、恩地よ、あなたの赤き血潮の中に、私達は確かに見たぞ、全ての人が詩人で哲学者で科学者で、天にも届く麗しき歌い手で、赤銅色の肉体を持つアセリートである社会を。戦争も暴力も貨幣も国家も無い地上楽園を、私達は確かに見たぞ。


その2   血球が知球になる時を

宇宙の秘密が「光」に有るとして
粒子と波動の二律背反光量子よ、我らに伝えよ
 崇高な円柱を側視すれば長方形で、俯瞰すれば円であるという喩えで良いのか。
崇高な円柱の実体は、やはり我々には悲しくも不可視か。
 だとするならば、恩地孝四郎よ、抽象木版画の祖だとか、稀代の装幀家だという名称は、あなたの崇高な実体のやはり微かな影にすぎないのか。
さあれ、恩地孝四郎よ、私達も今言うぞ、ドイツイデオロギーの中でマルクスに言われるまでもなく、我々があなたのような全的芸術家になれないのは、人類が全的に進化せず未だ未開であるのは、やはり「分業」の故だと。古い表現だがやはり「不毛な労働」のせいだと。
さあれ、恩地よ、あなたの震える線の中に、奇病に苛まれた臨終のあなたの優しい瞳の中に、私達は確かに見たぞ、遥か数千年後、全ての人が芸術家である社会を。遥か数万年後、恥丘が知丘になる時を、血球が知球になる時を、私達は確かに見たぞ。


その3
   毒を飲むように

アルチュール・ ランボーが「人類史はまだまだ前夜だ」と言った時、彼は、背中から血を流して街中を南へと走らねばならなかった。
恩地が「本は文明の旗だ」と言った時、彼は、製本出版にまつわる有りとあらゆる哲学を背負わなければならなかった。木版画など、美しく有らねばならぬ本達の一つの属性にすぎないという覚悟があった。「飛行官能」を見よ、写真すらそうだ。
彼は、革命のための芸術など最も卑属だと解っていても、プロレタリア美術戦争芸術など唾棄すべきものと、じゅうじゅう解っていても、芸術の自立性を敢えて捨て、「本の為の芸術」を、毒を飲むように飲み込んだ。「本は文明の旗だ」と言ってしまったから。


その4   悪魔の本でも 

 「大東亜戦争海軍作戦写真記録」と言う本に、恩地孝四郎装幀と書いてあった。
幾つかの軍関係書に、恩地孝四郎装幀と書かれていた。
だが、彼にだけは、戦争責任などとけして言うな。従軍画家のように弾劾するな。
彼は、全ての「美しく有らねばならぬ」本を、美しくしただけだ、「本は文明の旗」だと言ったから。
彼は、悪魔の本でも装幀をするだろう。
悪魔の本だからこそ装幀をするだろう、美しくするために、毒を抜くために。「本は文明の旗」だといったから。


その5   真の前衛は

 敬愛する、同郷の心の師、久保貞次郎は「一枚摺りの恩地芸術」(1978,日曜美術館第7集)で、極めて好意的批評ではあるけれど、恩地作品は、「前衛的であるためにもつべき拒絶性が欠如」していると言い、「旧きものと鋭く対決し、それと決闘するような鋭さや厳格さに欠けている」と言う。
 断じて違う。疑似前衛は一時、旧きものと対峙するように仮装するが、気がつくとその時代の補完物に成り下がる。
 だが、真の前衛は、遙か時代を超えて、時をも越えて、ただただそこに有る。
 ピラミッドを見よ、太陽を見よ、星々を見よ、「飛行官能」を見よ
 真の前衛は、雄大で穏やかで寛容で、全てのものを慈光で包む
 「海の童話」を見よ


その6  本は文明の旗だが 武器は文明の旗ではない

 芸術も文明の旗だが、ビルは文明の旗ではない
哲学は文明の旗だが、国家は文明の旗でない
科学は文明の旗だが、貨幣は文明の旗でない
言語は文明の旗だが、組織は文明の旗でない
学問は文明の旗だが、試験は文明の旗でない
スポーツは文明の旗だが、戦争は文明の旗でない
若者達よ、間違えるな
国旗が文明の旗でなく、「本」が象徴する文化芸術科学が文明の旗だぞ
人類は遙か数千年後、全ての人が芸術家で哲学者で科学者で、赤銅色の肉体を持つアスリートになるぞ
天まで届く愛の歌を歌う声楽家になるぞ
天空を舞う舞踏家になるぞ
だから若者達よ、
その時のために、今学べ 恩地を知れ


その7  恩地を抽象版画の祖と呼ぶな

 抽象画にも、純粋抽象、具象崩れ抽象が有って、瑛九の晩年の点描大作は純粋抽象で、カンデンスキーやピカソには崩れ抽象が多いが、そんな事はどうでも良い
無心に何かを描いている幼子に「何を描いているの?」と問うてみよ
「絵を描くのに、何かを描こうとして描かなければいけないの?私は、目の前に現れた色と形を楽しんでいるだけなのよ。それが抽象画の本質よ。おじさん、ほんとは馬鹿でしょう」と言い子に出会うのは不可避だ
世界を個性的に認識して表現する認識具象芸術も重要だが、内奥の精神や、楽曲から鼓舞された思いを純粋抽象で表現するのも芸術の重要な要素だ
だからといって、恩地を抽象版画の祖と呼ぶな
恩地は、抽象具象を突き抜けて、ただ描きたいものを好きな手段で描いただけなのだ。同じ年の「萩原朔太郎像」と「虫・魚・介」を見よ
恩地は、装幀で生計が立ったから、絵を売る必要も無かったから、創造力に身を任せ、時代を超えて、抽象具象を超えて、全く自由に創作しただけなのだ
恩地に抽象版画の祖というレッテルを貼るな
美術・音楽・写真・文学の総合芸術家、文明批評家と、せめて呼べ
そののちに、ピラミッドを見よ、飛行官能を見よ


その8  生命・事物・存在が持つ重力・波動・エロティシズムの感得が恩地芸術の本質だと知れ

 花が生殖器である事を恩地は知っているぞ
「日本の花」の恩地の花々を見よ、他の作家の綺麗なだけの花と比べよ。
「日本女俗選」の湯上がりの女より、「日本の花」の花々のほうが遙かにエロティシズムを内包するぞ
ギャラクシー太陽系第3惑星地球の生命・事物の根源は海だから、「新膚」を描き、「海の童話」を描き、「蟲・魚・介」を描いたのだぞ
「季節標」の魚・虫・鳥を横目に、「博物譜」の愛すべき獣たちを見たか、「博物誌」の慈しむべき植物たちを見たか、「書窓31号」の「植物の世界から」を読んだか
生命・事物・存在が永続を企図する時、生殖を思い、微かに躰を震わすぞ、その揺らめきをエロティシズムと言うならば、異性の情念など、そのエロティシズムに比べたら米粒ほどに微細だぞ
恩地は、生命・事物・存在が持つエロティシズムを感じ取った初めての芸術家だぞ
埴谷雄高は、それらの隠微なエロティシズムにたじろぐぎおののいて「自同律の不快」と言って黙狂したが、恩地は、自同律の快、自同律のエロティシズムと呟いて、「海の童話」、「日本の花」を描いたに違いない
恩地があと10年生きたとしたら、「鉱物の童話」、「星の童話」、「宇宙の童話」という稀覯本を出したぞ
だから恩地を抽象版画の祖としてくくるな
だから恩地を、生命・事物・存在が持つエロティシズムに迫った芸術家としてくくれ
だから恩地を文明批評家としてくくれ



 
(その1〜4は2005年、その5は2006年12月1日、その6,7は2016年1月1日。その8は2016年1月11日、南都麗は私、渡辺淑寛のペンネーム))


                                  
                               
                                 
                  
                                                                                                                                                                                  

                                                                  

                                                                  


所蔵品目録

【1】アルス日本児童文庫

【2】恩地孝四郎

【3】集古十種

【4】中村忠二

【5】美術書・稀覯本・草稿・画稿・画帖

【6】洋書

【7】雑誌


【8】日本画

【9】油彩画1

【10】油彩画2

【11】版画

【12】海外版画


【13】補遺1


【14】補遺2

【15】陶板、金工、ブロンズ、石膏、染織

【16】江戸本

【17】下絵

【18】妹尾正彦

【19】海外油彩画

【20】洋書2、生田耕作旧蔵本

【21】関野準一郎
 
【22】川上澄生

【23】横田稔

【24】佐々木桔梗、プレス・ビブリオマーヌ関係本

【25】稲垣史生原稿

【26】久保貞次郎
【27】神崎温順関係本

【28】古沢岩美関係本

【29】高梨一男関係本

【30】芹沢鞘・ヲヨ係本

【31】西川満関係本

【32】竹久夢二関係本

【33】金守世士夫関係本

【34】奥の細道画冊

【35】田川憲関連作品

◆蒐集雑感



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