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久保貞次郎研究所

リーフ

1、名称 久保貞次郎研究所(2010年4月1日設立)

   
「真岡市駅前SL館東に、2015年5月渡辺私塾美術館を開館しました。日曜日午後1時~4時開館、入館無料、当分オリジナル版画プレゼント」 2016年2月21日第3回企画展恩地孝四郎展開始 2016年8月21日現在恩地作品240点展示他計490点展示
                            (久保氏関連作品も展示)   
 「渡辺私塾美術館」(真岡市台町101-20)・お問い合わせ先・〒321-4306、栃木県真岡市台町3362-2渡辺淑寛まで・電話0285-83-3447)

2、代表 渡辺淑寛

3、所在地 〒321-4306 栃木県真岡市台町3362-2 渡辺私塾台町本校内(℡0285-83-3447)

4、設立趣旨、活動 
      ⅰ、久保貞次郎関係本の蒐集(渡辺私塾文庫 所蔵品目録{26}Ⅰ,久保貞次郎関係本参照)
      ⅱ、久保貞次郎旧蔵本・旧蔵作品の蒐集(同、所蔵品目録{26}Ⅲ、旧蔵本・旧蔵作品参照)
      ⅲ、久保氏(1909~1996)の思想、哲学の研究
(久保氏は、①,美術評論家、②,美術品コレクター、③,ヘンリー・ミラー絵画の紹介者、④,多くの芸術家に対する経済的思想的支援者(パトロン)、⑤,現代版画のプロデューサー、⑥,児童絵画には独自の意味と価値が有るという創造美育教育の創設者、⑦,全ての者が一人3点のオリジナル作品を持つという「小コレクター運動」の提唱者、⑧エスペラント学会会長、⑨跡見学園短大学長、⑩町田市立国際版画美術館館長、という多くの側面が有り、多面的な久保研究はほとんどなされていない。この10点について少しずつ研究を進めたいと考えている。

 また滝川太郎贋作事件で久保氏が計47点の滝川製贋作を購入したとされる贋作事件についても、地元の久保研究家としては辛い部分もあり、弁護に終始する事になりそうだが、逃げずに取り組みたいと思っている。

 更に久保氏とエスペラントについても調べる予定である。久保氏(1909~1996)は、1928年、19才で日本エスペラント学会に入会し、22才で学会評議員に、32才で学会の理事に、1989年に会長に就任し他界するまで在任。1906年孤高のアナキスト大杉栄が日本エスペラント協会を設立したと言われているが(実際には、東大教授黒板勝美が設立したという説が有力)、久保氏の時代も、アナキズムや左翼と関連を持つエスぺランチストが多い中で、久保氏は中道主義の立場をとった。戦前中道主義は、当然反体制であったが、同時に左翼からも堕落したプチブルと非難されたようである。「松本健一~(久保さんと私とエスペラント)、「久保貞次郎を語る」、1997,文化書房博聞社、157ページ参照。」、もし左翼やアナキズムに傾倒していたら、その後の久保氏の活躍は無かったであろうし、世界人、人類人の言語であるエスペラント語と、「全ての人が芸術家である社会」に向けての第一歩である、「小コレクター運動」が結びつく事は無かったであろう。思うに、「全ての人が芸術家で詩人で音楽家で哲学者で宗教家である社会」は、当然国家も、暴力も、貨幣も無い社会であろうから。)

      ⅳ、芳賀の高校生へ、久保氏を紹介(10年以上前から、毎年高2英語夏休み特別講義「言語と芸術」で100名弱の高校生に、追悼文と経歴、思想を紹介。(ホームページTOP,渡辺私塾の活動9、を参照)
      ⅴ、久保氏の創造美育教育の流れをくむ「芳賀教育美術展」の支援
(同展には「久保賞」という賞があり、私の娘も20年近く前受賞し、記念メダルを今でも大切に所持している。また娘は大学卒業後家業を手伝う傍ら、油彩画を描き、日洋展に何度か入選している。)  
      ⅵ、久保貞次郎基金の設立
(募金はせず、小額ながら代表の私費で設立。原資は取り崩さず運用益で、当面極めて僅かながら、ⅴの「芳賀教育美術展」を支援。)
      ⅶ、将来は、機関誌の発行、講演会の開催等を実現できればと願っている。
(2010年6月末に真岡青年会議所主催の久保氏に関する講演会が計画されている。詳しくは「5月月報」参照。6月28日講演会が開催された。「7月号月報」参照。)
  
5、久保氏は真岡市で活躍した、日本美術史上希有な美術思想家であり、氏の思い、思想を後世に伝える事が我々真岡市民の責務であろう。

 

6、当研究所の当面の研究課題 ①,久保貞次郎と恩地孝四郎の関わり(「久保貞次郎を語る」、1997年、文化書房博文社、53ページに両氏をよく知る綿貫不二夫氏の興味深い文がある。)(「久保貞次郎 美術の世界5 日本の版画作家たち」昭和62年、同刊行会、に「恩地孝四郎の一枚綴りの芸術」、「恩地孝四郎を思う」、「恩地孝四郎の思いで」の3編が掲載されていて、3編の根底に、生前の恩地氏を評価できなかった事への、久保氏の厳しい悔恨の念が流れている。それでも「恩地孝四郎の一枚綴りの芸術」の中で、久保氏は、恩地の作品には「前衛的であるためにもつべき拒絶性の欠如」がある、と大胆に指摘している。この指摘に対する私の、一層大胆で向こう見ずな感想は、「渡辺私塾文庫 2恩地孝四郎、Ⅵ恩地孝四郎賛歌 その5(2006年12月1日)を参照)
                       
②,久保貞次郎と精神世界(「久保貞次郎を語る}、112ページに、長倉翠子氏の回想文の中で、久保氏が晩年、精神世界に強い興味を持っていたと書かれている。また同書71ページでも、磯辺行久氏が同様の事を書いている。)

(「恩地孝四郎」と、精神世界の2点は、私の30年来の研究対象であり、非常に好奇心をそそられる内容で興味が尽きない。また私の思想形成における久保氏の影響については、「渡辺私塾文庫」「蒐集雑感」2003年1月の「私設文庫開設のすすめ」を参照)(平成14年12月号「吾八書房これくしょん63号掲載文。拙著「渡辺淑寛著作集にも所収。)

7、久保氏については渡辺私塾文庫 所蔵品目録{26}Ⅱ、久保貞次郎追悼文参照(追悼文は、平成9年2月28日真岡新聞に掲載。また拙書「渡辺淑寛著作集」、平成20年、真岡新聞社、にも所収)

8、真岡新聞に久保貞次郎研究所関連記事を掲載


9、下野新聞2010年7月6日号「とちぎ温故知人」39,で久保貞次郎の特集記事が掲載された。6月28日2時間ほど、女性記者の取材を受け、久保氏の研究について話を聞いて頂いた。


久保氏関連所蔵品は、「渡辺私塾文庫」「26」を参照
  
   「久保貞次郎研究所月報」

久保貞次郎研究所2010年4月月報

②久保貞次郎研究所2010年5月月報


③久保貞次郎研究所2010年6月月報

④久保貞次郎研究所2010年7月月報

⑤久保貞次郎研究所2010年8月月報

⑥久保貞次郎研究所2010年9月月報

⑦久保貞次郎研究所2010年10月月報

⑧久保貞次郎研究所2010年11月月報

⑨久保貞次郎研究所2010年12月月報


 11月末、日野市在住の大学生が、卒業論文で、久保貞次郎と創造美育運動について書きたいとの趣旨で、数時間かけて来宅してくれました。話を聞きますと、実家は喜連川町にあり、矢板東高校出身で、高校時代から、久保氏と創美運動に興味があり、専門は美術教育との事でした。心躍らせながら、1時間ほど話を聞いてもらい、私の拙本も贈呈致しました。彼は、携帯という文明の利器で、当文庫の久保関連蔵書を撮影していき、楽しい数時間でした。今後の彼の活躍を、北関東の大地から、祈願しております。
 12月28日、真岡新聞社から、「続・渡辺淑寛著作集」が届きました。26日日曜日高校3年生の卒業式で、100冊ほど早摺りしてもらい、「潮に聞け」、「著作集」、「続・著作集」の3冊を卒業記念として贈呈出来て嬉しい限りでした。「続・著作集」の中で、第1章第2節と第2章で「久保貞次郎研究所について」と題して、研究所設立の経緯、目的、活動等について書かれておりますので、機会が御座いましたら、一読して頂ければ幸いです。


⑩久保貞次郎研究所2011年1月月報

 
新年1月14日、真岡青年会議所の新理事長と、「芳賀教育美術展」、「創造美育運動勉強会」を実質運営している真岡青年会議所地域教育委員会の旧委員長と新委員長が来宅され、新年度の「美術展」と「創美運動」について話し合った。新年度も、青年会議所の献身的無私無償の活動に対して、当研究所の出来る範囲で極力協力することを約束し、久保基金から微額ながら美術展の運営費の一部として献金できた。今支援できる立場に居ることを、感謝し、望外の喜びと心底感じている。
 三人の好青年が帰った後、同席した家内とも話したのだが、三人とも本当にすがすがしい若者で、還暦を過ぎた我々夫婦二人、心の奥の奥から若返る思いであった。そして若者達の晴れ渡るような精神と共鳴できたことを、二人寄り添い共鳴の余韻の中で喜んだ。この様な精神の素朴な震えは、何十年ぶりなのだろうか、それとも初めてだと言うべきなのだろうか。素晴らしい芸術作品と出会えた歓喜から生まれる精神の震えとは異なった、人間同士の共鳴なのかも知れない。
 雨巻の山々の麓、同じ真岡市の空の下、彼らの活躍を心から願う。そして私達も「全ての人が詩人であり芸術家である社会」に向けて、微かだか確実な一歩を再度踏み出そう、存在とは進化だから。


⑪久保貞次郎研究所2011年2月月報

 
 
真岡新聞に、初めて久保貞次郎代表の名で、美術評論2編を掲載しましたので、2月月報は、その2編に換えさせて頂きます。1編は、真岡新聞2月4日号「「真岡・浪漫ひな飾り展」、「海老原真砂米寿記念展」を観て」、もう1編は、2月18日号「宇都宮美術館「荒井孝展」を観て」、で、今年出版予定の「渡辺淑寛著作集第3巻」にも所収の予定です。
 今後は、久保氏がそうであったように、地元の芸術家を久保研究所として、微力ながら応援していきたいと思っています。真岡新聞に美術評論を掲載する事もその応援の一つであり、芳賀の大地に新たな文化の微風が僅かでも立ち起これば幸いです。他の応援の方法については現在検討中です。  (2編の拙文は、上の「2月号月報」のクリックで閲覧出来ます。)


⑫久保貞次郎研究所2011年3月月報


 
3月11日悪夢の大震災で真岡市も震度6強の地震に襲われ、文庫館、図書館、書斎の本箱は一瞬にして飛び散り、未だドアの開かない部屋もあって、復旧には数年かかりそうです。それでも塾生が利用する図書館だけは応急処置で本を元に戻しましたが、他はまだ手が着かない状況で、少しずつしぶとく復旧させようと思っています。
 久保氏関連の蔵書、作品等は幸運にもほとんど破損を免れ、ほっとしています。
 大震災と人類、文明の関係については、「渡辺私塾台町本校ホームページ」に、「鎮魂歌」と「海と文明、悲憤を越えて」~追悼文にかえて~を掲載しましたので一読して頂ければ幸いです。また「鎮魂歌」は3月25日号「真岡新聞に、「「海と文明」は4月1日号真岡新聞に掲載致しました。
 先日、昭和44年10月発行の「愛苑」創刊号を読んでいましたら、偶然、120ページで久保氏の「性図書館をつくれ」という論文に出会いました。「性の解法は人間性の回復に計り知れぬ役割をはたす」から性図書館をつくりなさい、という趣旨の論で、今更ながら、久保氏の視野の広さ、見識には驚かされます。なお、この論文の存在は、1997年、文化書房博文社、「久保貞次郎を語る」、執筆編集年譜23ページに掲載されていて既知のようです。

「今月の久保氏関連新収品」 @「版をほる瀬戸の子ら」、1972,瀬戸市図工研究会、限定500部、久保氏編
                   @「愛苑創刊号」、1969,外苑書房、久保論文「性図書館をつくれ」所収
 
         (2011年3月号より「今月の久保氏関連新収品」を掲載致します。)


⑬久保貞次郎研究所2011年4月月報

 4月末になっても毎日のように続く地鳴りのような余震の中、今年の芳賀教育美術展の入賞者副賞に予定している、名著「ドレ挿し絵本、ドンキホーテ」の所在が気になり、捜し始めました。ドレ挿し絵本の置いてある部屋は、本箱が幾重にも重なり足の踏み場も無い状態で、ただただ呆然と立ちつくすだけでしたが、芳賀の地に、ギュスターブ・ドレのオリジナル鋼版画が深く浸透する事を思い、三日がかりで探し出しました。そう言えば芳賀の地では、池田満寿夫や瑛久の版画が今でも散見されますが、これは久保氏が50年ほど前、真岡市で小コレクター運動を展開し、驚くほどの廉価で多くのオリジナル版画を浸透させた所産に他なりません。
 昨年度はドレオリジナル版画を36名の入賞者に副賞として贈呈致しましたが、今年度は名作「ドンキホーテ」から50点ほどの贈呈を考えています。1863年度版カッセル社「ドンキホーテ」を、神田神保町で捜せば数十万円は下らない貴重本で、これをばらして(画帳くずし)、別々の版画にする事は、愛書家としては、身を裂くような思いであるのは言うまでもありません。それでも、ドレ版画の副賞を10年続けるとしたら、500点近くのドレオリジナル版画が芳賀の地に眠ることになり、100年後、「何故芳賀の地にはドレ版画が沢山あるのだ」と言われる時代が必ずや来るでしょう。そして真岡市が、久保氏の時代のように、再び近代版画芸術の最先端基地になることも夢ではありません。これこそ久保氏が希求した夢の一つであり、当研究所の夢の一つでもあります。

「今月の久保氏関連新収品」 @「森義利版画作品集」、昭和43年、美術出版社、限定950部、久保論文「森義利の芸術」所収
                                (渡辺私塾文庫、「26」「久保貞次郎所蔵作品」参照)


⑭久保貞次郎研究所2011年5月月報

 月報も今回で14回を数え、久保研究所を設立して1年が過ぎました。当面、1,芳賀教育美術展への支援、2,研究所代表として真岡新聞に美術評論、大震災についての文明論等を掲載、3,この月報と、2の真岡新聞掲載文をまとめて、「渡辺淑寛著作集」として出版(2011年8月末に著作集第3巻を出版予定)、この3点を中心に活動して行く予定ですが、他の活動として、幾つか考えています。
 上述の2,の一環として、真岡新聞5月27日号に「3部作第3、地鎮歌~大地の女神ガイアに告ぐ~」を掲載致しまた。ホームページ「渡辺私塾台町本校」のトップにも掲載しています。一読して頂ければ幸いです。


⑮久保貞次郎研究所2011年6月月報

 今月は、報告することが2点あります。第1点。日本経済新聞社2011年6月5日号16ページ「川端康成の美意識」④で、26歳の新進画家であった草間弥生の水彩画を川端が2点購入し、いち早く草間の天分を見抜いて、川端は新人発掘の名人である、という趣旨の記事が掲載されていた。その記事の中で、水彩画15点を出品した草間の個展で、作品を購入したのは川端と久保貞次郎であった、という記述もあった。久保氏とは購入金額のオーダーが3桁、4桁少ないであろうが、私も30年来の絵画コレクターであり、草間氏の初期作品は幻想的で魅力的であるのは知っていたが、久保氏が、川端と同時期に購入していたことは、初めて知った。無名作家の作品を画廊の個展で購入するということは、一番難しい購入形態であり、余程自分の審美眼に自信が無ければ不可能に近い事であって、当研究所としても喜ばしい限りで、あらためて久保氏に喝采をおくりたい。
 第2点。大学卒業後、家業を手伝いながら、油絵を描いている娘が、幼稚園児、小学低学年の子ども達を集めて、「キッズアート二コ」なる絵画教室を益子で始めた。第1回は、透明な傘に、自由に絵を描くアートで、10数名が参加し、盛況であったようである。嬉しさの余り、家に持ち帰った傘を抱いて寝た子もいたようで、日用品に芸術性を自ら付加するという事は、芸術の原初形態であり、児童絵画に特別の意味と価値を見いだした久保氏も諸手をあげて賛成してくれるであろう。1回の参加料は500円とのことで、傘代、絵の具代、場所代を考えれば完全に赤字であったと聞いたので、赤字分を、当研究所で支援する事にした。微額ながら、芳賀教育美術展と並んで、もう一つ当研究所で支援できる環境が整い、嬉しい限りである。
 繰り返しになるが、私は断言する。当研究所では、遥か数千年後数万年後、全ての人が芸術家である社会を夢想しているが、何の規制も偏見もなくおおらかに自由に表現出来る子ども達こそが、その芸術家群の魁である。


⑯久保貞次郎研究所2011年7月月報

 今月は3点です。第1点。市内の旧家の方が、暑い中、久保氏に関わる貴重な資料を届けてくださいました。生誕100年記念瑛九展と、平成6年に真岡市に寄贈された「宇佐美コレクション」についての重要な資料でした。出版本等は努力すれば入手できますが、パンフレット類の資料は入手困難であり、有り難く頂戴致しました。心より感謝致します。
 第2点。渡辺私塾文庫未所蔵の、久保編集「北川民次版画全集」(名古屋日動画廊)と久保監修「竹田鎮三郎メキシコ画集・インディオの祭り」新版2分冊(ブックグローブ社)が入手出来ました。図録を見ながら、久保氏の論文を読むに連れ、久保氏の両名に対する熱い思いにほだされ、当研究所でも両画伯の研究を始めねば、という思いに駆られました。
 第3点。娘主宰の第2回「キッズアート二コ」が開催されました。今回は20数名の参加で、Tシャツに自分なりに自由にペイントする内容で、前回同様盛況だったようです。Tシャツ持参の者は参加料300円で、不所持の子は800円であり、子供のお小遣いで参加できる会という思想なのでしょうが、Tシャツ代、絵の具代、会場代等、その参加料では賄える訳もなく、当研究所で微額ながら支援致しました。私の遥かな目標は、「全ての人が芸術家である社会」ですが、子ども達はその魁であり、あるいは既にそれを体現しているのかも知れません。「キッズアート二コ」が長続きされ、遥か未来に向けての小さな核になればと切に願っています。おそらく久保氏もそうでしょう。


⑰久保貞次郎研究所2011年8月月報

 7月月報第2点で、「当研究所でも両画伯の研究を始めねば、という思いに駆られました」と書いた数日後、神田神保町の古書店目録で、竹田鎮三郎の版画4点が掲載されていましたので、すぐ注文しました。驚くほどの廉価でしたので、エスタンプ(複製版画)ではと思っていましたが、届いた作品を調べましたところ、4点のうちの2点が、7月月報で紹介しました竹田画集「インディオの祭り」の掲載作品「ラカンドン」と「ハゲタカの踊り」(1971年、限定100部)というタイトルのオリジナル作品でした。更にこの2点は、久保氏が作家達を鼓舞して発行した「久保エディション」「エディション久保」と呼ばれる作品だと判明しました。40年のコレクター人生でも、図録を入手した数日後に偶然その掲載作品を所蔵できるということは稀なことであり、それが久保研究所内で起こったということは、なにか見えない力が働いているとしか思えず、身が引き締まる思いです。他の2点も多分「久保エディション」だと思いますが現在調査中です。


⑱久保貞次郎研究所2011年9月月報

 9月4日芳賀町にて、日本青年会議所栃木ブロック主宰で、真岡青年会議所会員が中心になり、「がんばっぺ祭り」が開催された。大震災の隠れた被災地と言われる芳賀の地で、人々の萎えた心を奮い起こす、真の意味の「祭り」が執り行われ、大盛況であった事は、芳賀郡民にとって、至上の喜びであり、関係者諸兄に惜しみない賞賛の意を表したい。
 祭りの一環として、久保氏が提唱した「創造美育」の「お絵かきワークショップ」が実践され、久保氏高弟、高森俊氏が来訪され指導なされた。私は仕事で出席出来なかったが、児童絵画教室(キッズアートニコ)を不定期に開いている娘が参加した。感涙にむせぶお母様も何人か現れたようで、娘も大いに感銘を受けて帰宅した。発展期から円熟期にさしかかった現代日本で、心のおもむくまま自由に絵を描くことによる、児童精神の解放と成長を目的とする「創造美育」運動は、今後一層の使命を担っているのかも知れない。
 9月17日、市内旧家の方が、久保氏から直接頂いた版画を見てほしいと来宅された。7,8月月報で言及した竹田鎮三郎の1974年作代表石版画「姉妹」という素晴らしい作品であった。画集を調べるとカラーで掲載されていて、早速画集の掲載ページをカラーコピーしてお渡しした。久保氏が、親交のあった方々に多くの上質な版画作品をプレゼントしたという話は、やはり事実だったのである。30年も芳賀の地に埋もれていた作品が、画集掲載代表作品だと発見できて、私も静かな喜びに浸ることが出来た。

 
⑲久保貞次郎研究所2011年10月月報
                      

 9月26日第25回芳賀教育美術展の最終審査会が開かれ、当研究所代表として、初めて審査に参加した。
 子ども達が自由に描く児童画に優劣を付けることは、本来かなりの困難さを孕んでいるが、賞を決定する美術展の性格上、その困難さは甘受せねばならない。更に、上位の賞には、デッサンのしっかりした完成度の高い絵が入り、抽象画、抽象版画はやや不遇をかこつ。審査員が10名を越える場合、この流れは不可避なのかも知れない。従って銘記して頂きたいことは、これらの賞は、一視点からの賞であり、他の審査員であれば、結果も変わる可能性があるということである。実際、私見だが、上位賞に劣らぬ作品を選外の作品のなかに数多く発見して愕然とした。だから、選外だったので、もう絵は描かないなどと、ゆめゆめ思わないでほしい。
 再確認したい。自由に楽しく絵を描くことは、精神を躍動させ、成長させることである。

 昨年同様、今年度も当研究所で、副賞を用意させて頂いた。昨年度は、ギュスタブ・ドレオリジナル版画は、36点であったが、今年度は上位賞73名の方に贈呈できた。特に今年度のドレ木版画は、代表作「ドンキホーテ」挿入作品であり、数十年後、数百年後、何故芳賀の地に、貴重なドレ版画が沢山あるのか、と人々が口々に語り継ぐかも知れない。そんなことを妄想しながら、私は既に、来年の副賞作品に思いを馳せている。
 
 「今月の久保氏関連収集品」 ①「小野忠重版画集、1977,形象社、普及版、久保貞次郎編
                    ②瑛九フォトデッサン型紙、7点、「ときの忘れもの」、2011年第21回瑛九展ポスター掲載作品No6,7,8,10,13,14,29の7点、及び同展ポスター(限定200部)


⑳久保貞次朗研究所2011年11月月報

 
11月初旬、久保氏の高弟の方から、創美運動の歴史についての長いお手紙を2度に渡って頂いた。この方の貴重なご経験が数多く書かれていて、久保研究にとって重要な資料であり、心より感謝したい。
 遥か数千年後、「全ての人が芸術家である社会」の実現に向けて、現在今いる場で、微かな一歩を踏み出すことが、40年来の私の目標であり、使命であり、信じる道であるのだが、絵画を通して児童の精神を解放し発展させるという創美運動は、有力な手段であると以前から理解していた。ただ、人間の人格の全的成長、つまりは人類の「進化」には、美術だけでなく、言語、音、動きを通して喜怒哀楽を表現する、文学、音楽、舞踏など、全ての芸術活動を総動員する必要があるとも思ってきた。名大で、多くの芸術を比較検討する「比較美学」を専攻したのもその理由からである。したがって私の思いと、美術にのみに力点を置く創美運動とは、微妙なずれがあることも以前から自覚していた。正直言えば、まだこの「ずれ」は、私の内部では、まだ克服されていない。高2英語内で、夏休み、約20年継続している私の「言語と芸術」講義も、文学、美術、音楽などを総合的に研究した「比較美学」が根底にある。この「ずれ」を恣意的に埋める事が正しいかどうかも未だ不明だ。創美運動を美術の一分野として受容すべきなのか、あるいは、融合を図るべきなのか.、あるいは創美運動と決別すべきなのか。この「ずれ」の考察については、人間関係を離れて、冷徹になされなければならない。思想の発展とは、そういうものであるのだから。そして一定の結論に達し次第、後日の月報で再度触れるつもりである。再度言う、「存在とは進化」であり、「進化」の道は多岐である。


21、久保貞次郎研究所2011年12月月報

      12月中旬、久保氏と親交のあった、伊藤高義氏の15号油彩画「サポテナ族 メキシコ」を超廉価で入手出来た。当文庫でも、伊藤氏から久保氏へ の献呈画集本を所蔵しており、以前から伊藤氏の秀作を1点所蔵したいと考えていて、月並みだが、願いがかない嬉しい限りである。それにしてもバブル崩壊以来、絵の値段が異常に急落して、我々大衆にとっては幸いと言うほか無い。だがこの現象が、芸術自体にとって、良いことかどうかは多少の考察を要するだろう。
 美術品が無くても人間は生きていけるが、「人間が生きる」とは、動物が生きることとは幾分違って、「文化的に生きる」ことだと思う。だとすれば、額縁の中の美しい小さな世界に心を奪われ、自然を背景に屹立する彫刻作品に心を洗われることも、一つの文化的生き方であるに違いない。そして芸術作品に価値を見いだすことは、人類の進化の証左であるのだろ
う。その意味で、素敵な芸術作品を、我々庶民が廉価で入手出来ることは、芸術の大衆化という意味でも、素晴らしいことである。もちろん画家、画商さん達にとってはこの20年は、茨の道であったろうが、「芸術の大衆化」が浸透すればするほど、良い作品が正当に評価される時代が、必ずや来ると確信している。だから、画家、画商さんの皆様には、あと20年、濁った水を飲んだとしても、鬼の形相で踏ん張り抜くことを切望する。
 性急だが結論を言う。美術品の高騰、暴落は、資本主義社会では、21世紀初頭、不可避であり、悠久の人類史、永遠の人類進化
から俯瞰すれば、この現象は芸術自体にとっても良いことである。再度言う。特に暴落は、芸術の大衆化という点で、我々にも、芸術自体にとっても良いことである。


   
22,久保貞次郎研究所2012年1月月報

      昨年12月の伊藤油彩画に続いて、新年1月、久保氏が支援し育てた木村利三郎氏の銅版画「City 314」とシルク作品「Sunrise 1」計2点を蒐集できた。木村氏については、久保氏の名著「私の出会った芸術家たち」(昭和53年 形象社)で何度も言及されており、同著の特装限定版300部にも、オリジナル銅販画「Letter from New York]が収録されている。当研究所でも、久保氏が支援した版画家達の作品を少しずつ蒐集し、何時の日か、「久保氏の出会った芸術家たち展」が開催できればと夢想している。
 昨年12月月報でも触れたが、現在、絵画作品、特に版画は極めて廉価で、前述の芸術性みなぎる木村作品も、1回の食事代でおつりがくるほどであった。繰り返しになるが、我々小コレクターにとっても、また芸術の大衆化と言う意味で、芸術自体にとっても、今は、良い時代である。
 「小コレクター」と言えば、そう、一人一人がオリジナル作品3点を持ち、生活の芸術化を願って、「小コレクター運動」を始めたのは久保氏であった。そう、55年前「全ての人が芸術家である社会」に向けての運動を、北関東芳賀の大地、真岡市で始めたのは久保氏であった



    23,久保貞次郎研究所2012年2月月報

      2月初旬、久保氏の盟友である北川民次氏の弟子で、名古屋の創美運動に関わり、一時久保氏と行動を共にした安藤幹衛氏(1916~2011)の二科会出品作油彩画3点を入手した。1967年二科会出品作「ひかり」25号(安藤幹衛画集NO39、なお同画集では、この作品を「繁栄」100号としているが編集ミスと推察される。)、1972年二科会出品作「キリスト 犠牲」30号(同画集NO48)、1984年二科会出品作「カーニバル」50号(同画集NO63)の3点である。私見だが、安藤氏の作品には、労働者や動植物の強い生命感を描いた師北川氏の影響を超えて、人間の持つ宗教性が垣間見える。
 美術作品の価格については、前々回、前回でも触れたことだが、この安藤氏代表作油彩画3点とも、同じ時期に入手した安藤幹衛画集の定価より廉価で購入出来た。恐ろしいことだが事実である。法外な値段で取引されている一部の売れ筋有名作家を横目に、中央で無名に近い画家の作品は、たとえ秀作であっても、額代、絵の具代にならない価格で流通している。小コレクターとしては喜ばしい限りだが、日本の美術市場の現実を前にして、心底では悲しい思いが支配している。
 安藤氏は、1952年創造美育協会設立から3年後の、1955年埼玉創美研究会で講師を務め、1960年第6回創造美育児童美術展(愛知県美術館)と、1963年創美愛知支部主催児童公開審査会の審査員であり、同年大分県での第9回創造美育全国セミナールで、「メキシコ気質」と題した講演を行っている。更には、1964年名古屋市での第10回創美展公開審査と創美の集い及び1967年愛知創美児童画公開審査会で、審査員として久保氏と肩を並べている。あまり周知されていないが、安藤氏と、久保氏及び創美運動との関わりは想像以上に深かったと推察される。


   
24,久保貞次郎研究所2012年3月月報

    2月末、昭和22年山前小学校で開かれた児童画公開審査に関してのお問い合わせを、千葉県在住の方から頂いた。この方は、9年前にも、私が数十年研究している、抽象創作版画の巨人「恩地孝四郎」について高度なご質問をされた方で、久保氏が提唱した「小コレクター運動」を、千葉の地で見事に実践なさっている方である。「小コレクター運動」とは、略言すれば、数点のお気に入りのオリジナル芸術作品を蒐集し、自らの生活の中に「芸術」を浸透させること」なのだが、このような個々の些細な生活改革が、遙か数万年後、諍いも、差別も、貨幣も、或いは国家も無い、全ての人が芸術家である社会に繋がる微かな一筋の道では、と私は夢想している。
 さて、話を元に戻そう。お問い合わせは、1947年春の、山前小学校での児童画公開審査で審査員として久保氏と同席した彫刻家木下繁氏のデッサン画についてであった。木下繁氏(1908~1988)は、1975年日展理事に、1977年日本芸術院会員にまでなった大彫刻家であるが、1947年時はまだ30歳代で美術界では無名に近かった作家である。久保氏が、その若手彫刻家と交流があり、山前小学校公開審査会の審査を依頼したという事実によって、若手作家達の力を看破し、思想的にも経済的にも支援するという久保氏の熱い思い、強固な決意、思想を私たちは、改めて再認識すべきだろう。
 お問い合わせの第1点は、木下氏のデッサン画には、久保氏とおぼしきサインがあり、それが久保氏のサインであるかどうか、という点。第2点は、そのデッサン画が、山前小学校から画かれた作品か、それとも久保氏宅から描かれた作品なのか、という質問であった。第1点は、久保氏の直筆献呈本を所蔵しているので、そのコピーを送り、久保氏のサインに近似していると書き添えた。第2点は、難題であったが、デッサン画のコピーが同封されていて、山々の稜線が明確に描かれていたので、翌日山前小学校付近に出かけ、山々の稜線を確認した。65年も前のことなので、建物風景はすっかり変わっていたが、山々の分水嶺は変わりようがなく、喜びの中で山前小学校からの作品であると確信した。その方はこのデッサン画の仮題を「真岡風景」となさっていたので、「山前小学校からの浅間山風景」という仮題もあり得るとアドバイスさせていただいた。多忙な時期でもあったが、僭越にも「久保貞次郎研究所」を名乗っている以上、当然の義務であり、使命であり、この種の調査は、露ほども厭いはしない。
 ◎今月の久保氏関連蒐集品①「森義利、人物、合羽刷版画、1977年作」、②「展覧会図録、デモクラート1951~1957,デモクラート展実施委員会、1999年」


   25,久保貞次郎研究所2012年4月月報
   
今月は、幸運にも久保氏関連版画を廉価で4点蒐集できた。2点は、ヘンリー・ミラーの有名作品「ブルックリン子」、と「愚者の家」(2点とも1980年、叢文社、「ヘンリー・ミラー絵の世界}に所収)で、ミラーの直筆サインは無く、久保監修制作作品で、久保エディションと呼ばれている。ミラーの直筆サイン入り作品よりかなり廉価だが、刷りの完成度に遜色が無く、当研究所としては、久保エディション作品をむしろ探していた。他の2点は、久保氏の盟友瑛久が関西でデモクラート美術協会を結成したときに参加した磯辺行久のシルク作品で、渡辺私塾文庫、当研究所でも初めての収集作家である。
 更に今月は、珍しい展覧会図録が入手できた。1991年カルフォルニアで開催された「ヘンリー・ミラー生誕100年絵画回顧展」カタログで、発行者から久保氏への献呈本である。久保氏帰天が1996年であるので、まだ存命中に米国から贈られたものと推測される。そして見開き頁に、発行者の以下の文がペン書きされていた。「For S.KuboーHenry Miller' s most profoud philosopher and most prolific collecter. Great men enhance and complement one another. Gary Koeppel October 1991」(ヘンリー・ミラーの最高の研究者であり最大の蒐集家である久保氏へ。偉大な二人は、お互いを高め合いお互いを完璧にする。1991年10月 ギャリー・クーペル。)(渡辺拙訳) ヘンリー・ミラー絵画作品の日本への紹介者であり研究者である久保氏に対して、大文豪ヘンリー・ミラーと対等の思想家として賛辞をしたためている。多少の世辞はあるにしても、米国における久保氏の高評価が伺い知れる。
 近代機械文明によって歪められた人間の解放は、性の解放から、という信念からの、ミラーの大胆な性描写文学作品群が世に受け入れられるに30年近くを要したが、ミラーの絵画が世界美術史上で確かな地位を得るにはもっと時間が必要であろう。多くの美術批評家が、ミラーの絵を一顧だにしないのは、その稚拙さ故なのだが、私には、稚拙であればあるほど、自由な精神が一層輝きを増しているように思えてならない。ミラーは、文章が書けなくなると、阿修羅のごとく絵を描き続けたという。まさに、言葉にならない心の深奥を、形と色で、嘔吐するごとく表現したのであろう。彼には、絵の訓練など全く必要でなく、自由な精神の発露には逆に足かせにさえなったに違いない。だからミラーの絵は稚拙に見えるのである。伝統に縛られ硬直した凡庸な批評家の目には、幼児のような精神の自由な発露が届かないと言ったら言い過ぎであろうか。
 遙か数千年後、戦争も差別も国家も貨幣も無い、全ての人が芸術家である社会の中で、我々は、即興の詩を謳い、哲学し、天まで届く歌を謳い、赤銅色の肉体でバレリーナのように宙を舞い、ミラーのように純真な絵を止めどもなく描いていると、私は強く強く夢想する。
    

   26,久保貞次郎研究所2012年5月月報

   今月は、大浦信行氏の大判シルクスクリーン版画7点(1990,1991年作)が廉価で入手出来た。大浦氏については、久保氏名著「わたしの出会った芸術家たち」(1978年、形象社)236頁で、「かれの最近の大判シルクには、日本的センチメンタリズムの影が消え去り、無表情な西洋文明の拒絶性が浮かび上がっていて無気味である」と書かれている。私見だが、写真に似た、古風な日本女性の裸婦を題材にして、「西洋文明の拒絶性」から、「日本の土着性」に進み、近年の作からは、中世西洋宗教画の香りが漂っている。その東洋と西洋を結ぶ普遍性の中に、私は高い芸術性を感じるのだが、彼の作品が正当に評価されるにはあと数十年はかかるかも知れない。久保氏が感じた「無気味」さの延長のなかで、彼は現在映画監督として、非常に興味深い映画芸術を次々と発表しているが、ここでは触れない。
 久保氏が深く関わった「芳賀教育美術展」の入賞者の副賞は、昨年一昨年と、当研究所からの贈呈という形にしていただいたが、今年度も4月から準備に入り、1800年代作のギュスタブ・ドレ木版画73点は、根性で用意できた。3年間で182点のオリジナルドレ版画が、芳賀の大地に宝石のように散りばめられる事になる。50年以上も前、池田満寿夫、瑛九、北川民次、アイオー、泉茂などの版画作品を芳賀の地に散りばめた久保氏も、天で優しい笑みを浮かべているに違いない。また今年度は額入り版画13点を、知事賞、久保賞受賞者13名に贈呈しようと妄想し、現在苦闘中である。実現できるかどうかは、私の頑張りと運次第だろう。


   27,久保貞次郎研究所2012年6月月報
 

  5月月報で言及した、今年度「芳賀教育美術展」知事賞久保賞受賞者の副賞13点の事であるが、何とか目途がついた。知事賞には、芸大出身若手日本画家の30号大作を、久保賞12名には人間国宝芹沢桂介の型絵染7点と田中正秋の額入りシルク版画5点が用意出来た。ギュスタブ・ドレ木版画73点も含めて、やや豪華過ぎるきらいもあり、美術展実行委員会の許可を得なければならないだろうが、美術展とは本来「芸術のお祭り」なのだから、華やかな事に超したことは無い。「芳賀教育美術展」は副賞が凄い、と評判が立ち、話題が話題をよんで、出品数も更に増え、年々盛大になり、芳賀の大地よ、久保氏が夢見たような芸術の都になれ、と願うのは強欲すぎるだろうか。
 4月号月報で取り上げたヘンリー・ミラーのリトグラフ作品「愚者の家」で、ミラーのサイン入りオリジナル作品を数日前入手した。以前から所蔵していた作品は、久保エディションと呼ばれる限定5部の「後刷り作品」だが、ミラーのサイン入り作品は限定200部である。2点を精査してみると、1973の年号が、サイン入り作品にはあり、久保エディションには無い。また久保エディションはやや大きい版画紙に刷られており、刷りむらも少し見受けられたが、それがかえって趣を増している。それでも完成度、芸術性の点から見れば同一版画作品であると言ってよいであろう。優れた版画作品2点を比較出来るこの境遇を、天に感謝したい。
 久保氏監修の「ヘンリー・ミラー絵の世界」(1980,叢文社)によると、サイン入り作品は、「刷下 吉原英雄」、「刷り オギノ栄一郎」とあるが、ミラーに200部サインしてもらった後で、それほど間をおかずに、久保氏が、同じスタッフで、5部制作したのではと推察される。大文豪ヘンリ・ミラーは、世界文学史上既に確固たる地位を得ているが、数十年、数百年後世界美術史上においても、必ずや名を刻む芸術家になるであろうから、21世紀初頭、サイン入り作品と久保エディション作品について言及しておくのも少しは意味のある事かも知れない。+


   28,久保貞次郎研究所2012年7月月報

 灼熱の7月、久保研究所として、久保関連版画7点と、リトグラフ入り版画集1点が蒐集出来た。版画7点のうち5点は、2011年8月、9月月報で言及した、竹田鎭三郎作品であり、更にそのうちの2点は、1986年名古屋日動画廊で開催された竹田鎭三郎全版画展出品作品、「この地上に生まれるもの」、「5月の女」の傑作大判リトグラフである。
 7点のうち他の2点は、2012年5月月報で「近年の作からは、中世西洋画の香りが漂っている」と紹介した、大浦信行の宗教画風シルクスクリーン2点であった。
 また、版画集は、2012年2月月報で触れた、安藤幹衛の版画集「メキシコの偶壺」(限定50部、リトグラフ10葉入り」である。もちろん3氏とも、既述したように、久保氏が支援鼓舞した作家であった事は言うまでもない。
 ここ2,3年で版画を中心に久保氏関連作品が数十点入手出来たので、40年かけて蒐集してきた、渡辺私塾文庫内の久保氏関連所蔵品と合わせて、久保氏関連作家展開催を模索し始めたが、震災による破損、散逸が意外に多く、美術展開催の実現は困難であろうというのが実感である。それでも実現に向けて密かに努力を続けようという強い思いは散逸していない。
 この夢が叶わない場合には、これらの作品を、数年後「芳賀教育美術展」の副賞として多くの子供達に受け取っていただき、久保氏が進めた「小コレクター運動」の思想を継げればと考えている。そして「小コレクター運動」とは、全ての者が、オリジナル芸術作品を所蔵し、生活の中に芸術を浸透させ、いつの日か、いや遙か数千年後、、全ての人が芸術家である社会を成就するための第一歩の運動なのである。その社会は、当然の事として、戦争、暴力、差別、貨幣、過酷な労働、学校、国家の無い社会であろう。久保氏の思想の根底には、「国家のない社会」、「世界国家」が有った事は、想像に難くない。かつて世界共通言語たらんとし、無政府主義破壊主義と曲解され弾圧されたエスペラント語運動において、久保氏が他界するまで日本エスペラント協会会長の職にあったと言う事実は、その思想の根源から由来するに違いない。
 久保氏の思想は、我々の想像を超えて、崇高で深遠である。


  29,久保貞次郎研究所2012年8月月報

 5月号、6月号で言及した、第26回「芳賀教育美術展」の副賞全てを、8月30日実行委員の方に無事お渡し出来た。当研究所で副賞を無償で用意させていただいて3年目であるが、渡辺私塾文庫で数十年前から所蔵している作品、またこの美術展の為に1年がかりで蒐集した作品など86点と、私の拙本124冊、ノート480冊、今年度から新設の「久保研究所賞」用文具セット3点、をお渡しした。86点の内訳は、知事賞用40号日本画1点、久保賞用版画12点、造形教育研究会長賞以上の上位賞用、ギュスタブ・ドレ木版画73点であり、特にドレ木版画は、1863年出版の稀覯本「ドンキホーテ」の挿絵作品で、まさにオリジナル木版画である。ドレ版画は3年目の今年で、計182点芳賀の少年少女に受け取っていただく事になるが、来年分の73点は執念で確保できた。2年後の73点は困難を極めそうだが、いずれにしても、数十年後、数百年後、ドレ作品が、何故芳賀の大地に、宝石のように散りばめられているのかと、口々に語り継がれる日が来るかも知れない。現在でも、池田満寿夫、アイオー、瑛久、北川民次、泉茂等のオリジナル版画が、芳賀の地で散見されるのは、久保氏が「小コレクター運動」の中で、多くの人に廉価で頒布したからに他ならない。当研究所の、やや横柄で無謀に見える、副賞提供というこの振る舞いを、久保氏だけは、天国で喜んでくれていると、私は独り合点している。
 「芳賀教育美術展」は、前身の美術展創設時から久保氏も運営に関わり、それ故、久保氏が提唱した創造美育運動の理念が継承され、その象徴が「久保賞」(12名)である。因みに、娘が20年前栄えある「久保賞」を頂き、何かの縁なのだろうか、現在、油彩画を描いている。
 だが、「芳賀教育美術展」の最大の特徴は7000点を優に超える出品数であろう。私事だが、10数年前真岡新聞社様の力をお借りして、「文芸賞」を創設したことがあった。3年目は僅か30数点の応募しかなく、泣く泣く休止せざろうえなかった。それに比べれば7000点という出品数は夢のような数字である。だからこそ当研究所で提供する副賞には、やや豪華すぎるという非難も無くはないが、7000点という数の重さと、純真な7000人の児童芸術家達の思いを考慮すれば、まだまだ貧弱である。


  30,久保貞次郎研究所2012年9月月報

 9月初旬、久保氏他界時、跡見学園女子短大学長であった方から、「久保貞次郎とヘンリー・ミラー研究会ー研究会の設立に至るまで」という論文掲載の研究雑誌が、久保研究所宛に寄贈された。ヘンリー・ミラー研究会設立過程については、「久保貞次郎 美術の世界8巻 ヘンリーミラー」にもあまり述べられていないので、興味深く拝読した。この場をお借りして深く感謝したい。今後の久保研究の発展が、その厚情に報いる道であろうと思う。それにしても、都会の一流の学者が、地方の一研究所に注目して、研究誌まで郵送して下さるとは、身の引き締まる思いである。 
 9月末、今年2月月報で言及した、安藤幹衛氏の二科会出品作で100号の大作4点が入手できた。、2月月報でも触れたが、安藤氏は、久保氏の盟友北川民次の弟子で、名古屋の創美運動に参加し、一時久保氏と行動を共にした洋画家である。今回の4点で、二科会出品作油彩画7点を、当研究所で所蔵することになり、安藤作品の貴重なコレクションになったのかも知れない。
 4点の内訳は、「不安」(1961年、画集NO33)、「落馬」(1962年、画集NO34)、「明暗Ⅰ」(1968年、画集NO43)、「謎の失踪」(1978年、画集NO54)で、将来真岡市立久保記念美術館が建立した暁には、心弾ませて寄贈させていただければと願っている。
 先月8月月報で、芳賀教育美術展副賞用のギュスタブ・ドレ木版画について、「来年分の73点は執念で確保できた。2年後の73点は困難を極めそうだが」と記したが、幸運にも2年後と3年後の計146点が入手できた。150年ほど前の稀覯本(ドン・キホーテ、ロンドン、カッセル社)であるので、入手困難と言われているが、芳賀の大地の少年少女の手に、宝石のように散りばめたいという崇高な動機のためか、何か大きな力が働いているとしか思えてならない。天に感謝。


  31,久保貞次郎研究所2012年10月月報

  長年、久保氏編集「オノサト・トシノブ文集 実在への飛翔」(限定150部、リトグラフ3点入り)を探していたが、願い叶わず、リト欠の限定本で妥協し、10月末入手した。オノサト氏は、1936年24歳で久保氏と知り合い、以後長年に渡って久保氏と交流の深かった抽象画家である。抽象画の認知度は日本では極めて低いので、オノサト氏も例に漏れず、欧米各国の方が評価は高い。彼の抽象絵画は、円と3原色で、宇宙の秘密に肉迫しようとする過酷な試みであるが、抽象芸術については、私の、10年前の拙文があるので、ここで引用したい。
 「幼児の純真な絵の多くは、抽象画であると言われています。物を写す具象作業も、人間の本能的活動でしょうが、内面のやむにやまれぬ思いを非具象の「形」と「色」で表現することも、やはり人間本来の本能的活動の一つでしょう。私たち大人は、子供の絵を見て、「何を書いているの」と思わず尋ねてしまいますが、精神の強い思いを、ただ「形」と「色」で表現したにすぎないのです。この延長上にある、強くて太い芸術表現の道が、抽象芸術であると確信します。」
 更に、今、付言すれば、路傍に追いやられた抽象芸術は、その鬱積した巨大なエネルギーゆえ、「実用性」という衣を羽織り、デザイン、文様、装飾、衣装、型染め芸術等のなかで、見事に開花しています。
 8年前の7月、東京のオークションで、久保氏旧蔵品ということもあり、加藤昭男の、1966年作テラコッタ(素焼き彫刻)作品6点を入手した。加藤氏については、「近代日本美術事典」(1989,講談社)に掲載されていて既知であったが、数日前詳細な経歴を知ることができた。加藤氏は、東京芸大彫刻専攻科を1955年に終了し、1974年に第5回中原悌二郎賞優秀賞を受賞して名声をはせるが、1966年時は、まだ無名に近い状態であったろうと推察される。久保氏と深い交流のあった彫刻家木村繁については、今年3月月報で言及したが、木村氏も加藤氏も武蔵野美大名誉教授であったので、久保氏と加藤氏のふれ合いの可能性が予感される。少しずつ調べてみたいと思う。
 いずれにしても、久保氏は、多くの版画家のみならず、才有る若手彫刻家、陶芸家の経済的思想的支援者であったことは確かであり、その意味で日本美術史上希有な存在である。


  32,久保貞次郎研究所2012年11月月報

   今年9月月報で言及させていただいた、元跡見学園女子短大学長からのヘンリー・ミラー関連本の御寄贈に続いて、11月初旬、創造美育協会の発起人の一人で、10月に帰天なされた元東京学芸大名誉教授のご遺族から、遺稿集と久保氏関連本を頂いた。久保関連御寄贈本は、1952年に創造美育協会が設立された3年後、東京支部から発行された「子供の絵はどう指導したらよいか~チゼック児童美術教育の問答~」(久保訳)という貴重本で、1949年の謄写版刷り旧版と、この新版の存在の噂は耳にしていたが、手に取るのは初めてであり、ご遺族の方々に心より感謝したい。
 創造美育協会は久保氏が中心の組織には違いないが、この学芸大教授のように、独自の美術教育理論を携え、創美運動に参加したことを考慮すると、創美思想は、多くの学者や芸術家の結晶体であったと推察される。
 昨年の7月月報で言及した「竹田愼三郎画集~インディオの祭り~」の版画3点入り限定100部特装版を、長年捜していたが、11月末、偶然廉価で入手できた。リトグラフ2点と木版1点(木版画の刷りは、真岡市の木版画家浅香公紀氏)のオリジナル作品入りで、所蔵は無理だろうと、とうに諦めていた。一ヶ月早いクリスマスプレゼントなのだろうか、それとも天のなせる御技なのだろうか。
 10月末日、ある機会に恵まれて、久保氏のご遺族の方と初めてお会いできた。15年前、久保氏追悼文を、無断で当新聞に掲載し、3年前、無断で久保研究所を設立し、15年間心苦しく、後ろめたい気持ちを持っていたので、「勝手な事ばかりしてきて申し訳ありませんでした」と謝罪したところ、「いえいえ、真岡新聞いつも読んでおりますよ。」と言っていただき、胸のつかえがおりて、ただ頭(こうべ)を垂れた。それにしても、気品漂うご遺族の方の所作、立ち振る舞いに接し、久保氏の思想の崇高さを、違った角度から再認識できた思いである。天よ、あの日は、15年間の贖罪の日であったと思って良いか。そしてこれも汝の御技か。


   33,久保貞次郎研究所2012年12月月報
 
年末の2日、休みが取れたので、震災以降入室不能になっていた、文庫館の一室のドアをこじ開けて、未整理の久保氏関連本19冊を何とか救出した。詳細は、①「子どもの絵と教育」、北川民次、昭和28年、創元社、②「瑛九」、2004、渋谷区松波美術館、③「版画の歴史とコレクション」、久保監修、1976,三彩社、④「北川民次とその仲間たち展」、1983,名古屋日動画廊、⑤「北川民次」、1966,日動画廊、久保論文「憑かれた人ー北川民次」所収、⑥「北川民次版画総目録」、1973,現代美術資料センター、⑦「北川民次の壁画」、1959,創造美育協会、久保と北川の対談「壁画を語る」所収、⑧「追悼北川民次先生」、1990,久保貞次郎発行、久保「弔辞」所収、⑨「北川民次版画総目録」、久保編、1956,久保貞次郎発行、⑩「うさぎのみみはなぜながい」、北川絵と文、1962,福音館書店、⑪「日本現代画家選19」、北川民次、1956,美術出版社、久保論文「北川民次論」所収、⑫「アート・トップ65号」、1981,巻頭特集「北川民次」、久保論文「北川民次の芸術」、⑬「瑛九 エロティカ 1,2」、林グラフィックス、1997,限定50部、⑭「瑛九石版画総目録」、昭和49年、瑛九の会、久保論文「瑛九の石版画」所収、⑮「現代フランス版画展」、1958,伊勢丹、久保論文「現代の版画」所収、⑯「瑛九展」、1979,瑛九展開催委員会、久保論文「瑛九のひとと芸術」所収、⑰「北川民次展」、1996,愛知県美術館、⑱「エル・ソル美術展」、1978,名古屋セントラルパークギャラリー、⑲「北川民次油彩画展」、1987,名古屋日動画廊。
 19冊とも、当研究所設立前に入手し、精読していなかった本であるので、冬休み、時間を見つけて再読しようと思う。前述の久保氏8篇の小論は、名著「久保貞次郎美術の世界」第1巻、第2巻(昭和59年、60年、叢文社)にほとんど掲載されているが、図録を観ながら、初出の原本で読了するのも、趣がある。
 働く人々や野の草木の力強い生命感を描いた、というありきたりの「北川民次論」や、シュールな抽象画やフォトデッサンによって、宇宙の深奥に肉迫した、という難解な「瑛九論」を超えて、彼らは、何故、美術という表現方法を選択したのか、結局、彼らが、顕現したものは何であったのかを、時間をかけて考えてみたいと思う。


  34,久保貞次郎研究所2013年1月月報
    
  年末に続いて、お正月休みも、多忙の中、散乱した文庫館の整理に時間を割いた。自宅の書斎、図書室は全て復旧済みで、文庫館の他の部屋もほぼ整理でき、最後の部屋の片付けであった。その作業中、年末時と同様、久保関連本5冊を発見した。詳細は、①古川龍生木版全集「田園抒情」、1980,叢文社、久保貞次郎編、久保氏小論「この孤高の版画家」、「あとがき」所収、②古川龍生スケッチ帖、肉筆画7図、昭和7年、③「版画芸術10号」、1973,オノサト・トシノブ特集、④「版画芸術112号」、2001,瑛九特集、⑤「子どもの絵」、島崎清海、阿部明子共編、1991,文化書房博文社、久保氏推薦文掲載。(島崎氏は久保氏の高弟で、芳賀教育美術展の審査委員)
 また1月初旬、新たに2点の久保関連本、作品を入手した。1点は「池田満寿夫資料2分冊」、(1974,薔薇科社、限定300部、久保氏小論2点所収)で、池田作品は、個人的に好きでなく、ほとんど蒐集していないが、久保氏との関わりは深く、私見だが、久保氏の厚い支援がなかったら、彼は世に出なかったのでは、と思っている。もう1点は、やはり久保氏が応援した森義利の10号水彩画「浅草寺」で、1970年代の日本美術家連盟展出品作であろうと推察される。 
  絵の価格については、以前何度も言及したが、この水彩画には額裏に値札が添付されていて、約40年前なのに30万円と記されていた。だが、もちろん、私は、あるオークションで、いつものように、千円単位の金額で購入した。21世紀初頭になっても、日本の美術市場は、投機的バブルと、その「反動」の繰り返しで、未だ美術愛好家が適正な価格で作品を購入し、それ故、芸術家が適正な収入を得て、伸び伸びと才能を具現化出来る、という構造がまだ構築されていないのかも知れない。そうは言っても、この「大反動」の時代は、我々蒐集家にとっては至福の時である。投機的バブルの嵐が来る前、この至福の時代に、かつての久保氏の万分の一の資力ではあっても、私は、少しずつ地を這うように、久保関連作品を芳賀の地にそっと引き寄せ、真岡の文化財にしてしまおうと固く心に決めている。


   35,久保貞次郎研究所2013年2月月報
  2月の久保関連蒐集本は次の4点であった。①「池田満寿夫 May Imagination Map」(昭和49年、講談社)、②「竹田鎮三郎版画総目録」(1975,同後援会)、③「合羽摺 森義利」(久保貞次郎、1977,叢文社)、④「画家ヘンリー・ミラー」(1983,福武書店) 1年で1番忙しい時期ではあったが、暇を見つけて精読できた。詳しい内容については今回は割愛し、久保研究所として、久保氏旧邸跡地の利用について少し述べさせていただきたい。
 昨年9月、久保旧邸跡地活用のための「真岡市観光拠点施設等整備・運営検討委員会」に招聘され、14名の委員からなる委員会に毎回出席した。既に下野新聞紙上で公表されたので、差し障りのない範囲で、お話しすることは許されるであろう。市当局は、最初、「飲食施設」、「物産館」、「観光案内施設」、「市民ギャラリー」の4機能を持つ「観光文化拠点」を企図していた。私は、第1回の会議から、「市民ギャラリー」は、「久保記念美術館」であるべきだと主張した。以前市立美術館構想があり、準備委員会までできたが、頓挫したこと、8万都市真岡に公立美術館がないこと、寄付作品があり、展示作品を購入する必要が無いこと、久保旧邸購入時に小美術館を作らねば、半永久的に美術館は作れないだろうということ、それ故、今作らねば、真岡市政史上、末代の恥になるだろうということを、傲慢さを顧みず、孤立し失笑の中、毎回主張した。だが驚いたことに、他の委員が私の主張を納得する前に、市当局が理解を示した。最終的には、長年真岡市に住む尊敬すべき年輩の委員の方々の応援もあり、「久保記念ギャラリー」(仮称)や、物産館の2階に「久保資料室」まで出来る予定となった。まだ最終決定ではないにしても、市当局の高い見識と柔軟性に、賞賛の意を表したい。
 「寄付作品があり、展示作品購入の必要なし」についての詳しい説明は、後日に譲るが、真岡市には、瑛九作品を柱とする283点の「宇佐美コレクション」、100点近い「オノサトトシノブ」作品、、多数の児童画、久保氏関連油彩画・版画(宇佐美コレクション以外は寄贈予定)が有り、地方の小美術館としては、世界に胸を張れる作品群であると、私も胸を張って断言する。最後になったが、私が主張したことがもう1点あった。大人も子供も自由に入れて、生活の一部となる入場無料の美術館を作ってほしいと。
   

   36,久保貞次郎研究所2013年3月月報

  3月の久保関連蒐集品は、竹田愼三郎のリトグラフ1点のみであった。2月、3月は多忙の時期なので、4月からは蒐集と研究のペースを少し上げようと考えている。
 知人から、「久保研究所って何をやってるの?」と、時々聞かれるのだが、「久保氏の研究だよ。研究には、久保氏関連本、作品が必要なので、少しずつ集めてるんだ。」と答えることにしている。そして「月報」をホームページに載せて、次に真岡新聞紙上に掲載してもらい、更に、拙書「渡辺淑寛著作集」に所収し、3段階で公表していると言うと、さすがに皆驚く。
 久保氏の業績に関しては、私個人は10種に分類している。①美術評論家、②コレクター、③ヘンリー・ミラー絵画の紹介者、④多くの芸術家の経済的思想的支援者、⑤現代版画のプロヂューサー、⑥創造美育教育運動の創設者、⑦小コレクター運動の提唱者、⑧エスペラント運動の指導者、⑨跡見学園短大学長としての教育者、⑩町田市立国際版画美術館館長としての芸術啓蒙者、の10点。現在、主な研究の対象は、⑦、⑧で、久保氏の言う⑦の小コレクター運動とは、多くの人が、3点のオリジナル作品持ち、「生活の中に芸術を浸透させる」事なのだが、私は、「数千年後、全ての人が芸術家である社会の実現」と翻訳している。詳細については、数年後著作集で公にするつもりである。
 ⑧については周知不足だが、久保氏は、1996年帰天するまで、日本エスペラント学会会長であった。数万年後国家も消滅し、世界が一つの共同体となって、世界共通言語としてエスペラント語を全世界人が使うであろう、という思想なのだが、英語が世界共通語になる可能性もある。何れにしても、孤高のエスペランティストであった久保氏の思想、精神の核について黙考し、国家も戦いも差別も貧困も貨幣もない、遙か数万年後の輝く人類の未来に思いを馳せると、若者のように胸が熱くなる。だが熱い胸だけでは時代は動かない。我々一人一人が、今いるこの試練の場で、ほんの僅かでも進化することが、21世紀初頭を生きる我々一人一人に与えられた不可避の使命に違いないのだ。


   37,久保貞次郎研究所2013年4月月報 

  4月の久保関連蒐集品は、久保旧蔵本1点で、「Vinccent Van Goghs LeidensWeg」(ビンセント・バン・ゴッホの苦難の道)の1930年代独語洋書であった。神田神保町の古い古書店シールが貼ってあるので、久保氏が、以前買い求めた稀覯本なのだろうが、北川民次木版の久保氏書票(エクスリブリス)が添付されていて、貴重な久保旧蔵本である。当研究所でも、北川木版書票添付久保旧蔵本を何点か所蔵しているが、古書業界でも、久保旧蔵本は高額になってきて、最近、私としては、購入をためらう場合が多くなっている。
 4月初旬、当研究所で大きな動きがあった。隣接する住宅が空家になったので、久保研究所として使用することになり、当研究所所蔵本、作品を搬入中である。震災で被災した渡辺私塾文庫館の復旧もまだ完了していない段階での引っ越しは煩雑であるが、家業の仕事始めで多忙の中、情熱に満ち、寸暇を惜しんで、台車で本を運んでいる。
 4月24日、真岡青年会議所から、久保氏に関する15分のスピーチの依頼があり、仕事も休みだったので、30分ほどで資料を作成し、久保氏が提唱した「創造美育運動」の本質について、私の理解の範囲で話を聞いていただいた。
 「林檎の絵を描いて」と言われて、丸い輪郭と蔕(へた)を描き赤く染めて、「観念的」に林檎を描くのでなく、林檎を手に取り、香りを知り、頬ずりし、囓ってみて、本当に自分が感じたことを絵にするのが、創造美育の児童画であろうと話した。更に、食べられて泣いている林檎と、笑っている人の絵を描いていた少年が、やがて、食べられる林檎の悲しみを知り、リンゴも人も泣いている絵を描き、最後には、生命の合体、融合に思いを馳せ、林檎も人も笑っている絵を描いたメキシコの少年の話をした。そして、埴谷雄高の「死霊第7章、最後の審判」の中で、ガラリヤ湖の魚を食したため、チーナカ豆を食したため弾劾されたイエスや釈迦に象徴される、他の生命を奪って生きねばならぬ人間の宿業が、「生命の融合合体」というメキシコの少年の絵で、既に止揚、克服されているのでは、と話した。更には、児童は、大人より生まれて間もない故、生命の秘密、宇宙の秘密を、心の深層で記憶しているのでは、ということを、米国の小説家ウイリアム・サローヤンの「ヒューマンコメディー」に触れて、聞いていただいた。短時間でやや難解であったため、理解していただいたかどうかは定かではないが、有意義な15分であった。
 スピーチの御依頼があれば、時間の許す範囲で、お話に行きますので、ご連絡いただければ幸いです。


    38,久保貞次郎研究所2013年5月月報

 5月の久保関連蒐集品は、3月同様、竹田愼三郎リトグラフ1点のみで、やや低調であったが、一つ嬉しいことがあって、ここ数日晴れやかな気分でいる。震災以降行方知れずになっていた、浅香公紀木版画100点と、木版画本「旬」が、久保研究所引っ越しの最中、2年ぶりに発見出来たからである。ご子息が、私の教え子であった関係で、浅香氏から直接頂いた作品がほとんどであるが、震災前に、大きな箱にまとめて保管しておいたその箱がどうしても見つからなかった。文庫館で、何かの下敷きになってしまったのでは、と思いこんでいたが、書斎の隣の部屋に秘蔵されていた。震災は家屋を破壊しただけでなく、私の記憶も損壊したのだろうか。
 浅香氏は、平成21年に他界された優れた木版画家で、22年10月市内荒町「金鈴荘」で浅香公紀木版画展が開かれ、私も、本紙22年10月22日号で、展評を書かせて頂いた。
 久保氏は、「美術の世界3,私の出会った芸術家たち」(昭和59年、叢文社)246頁で、浅香氏に言及し、「美術の世界5,日本の版画作家たち」(昭和62年)260頁で、宇都宮市での「浅香木版画展」の展評を掲載し「野の花と語りあうひと」という副題で、「前よりいっそう色彩が輝きを増している」と賞賛している。浅香氏は、久保氏が認めた画家で、唯一世に出なかった作家であると揶揄する向きもあるが、浅香氏は敢えて自ら世に出ようとしなかっただけであり、更には、存命中に「世に出る」事と、芸術性の高さが無関係であることは、ゴッホを想起すれば、自明であろう。
 思い起こせば、浅香氏は 私が二つめの大学で、美学美術史を専攻したことは知らなかったはずであるが、30数年前、「趣味で作っているものです。」と言って、木版画カレンダーを手渡してくれた。生命観あふれる花々の美しさ、芸術性の高さに絶句したことを昨日のことのように覚えている。
 久保氏の思想と幾分重なり合えば幸いだが、私は40年に渡って、遙か数千年後「全ての人が芸術家である社会」を夢想してきた。その社会では、戦争も暴力も差別も貨幣も国家も無く、全ての人が詩人で、美術家で、哲学者で、数学者で、舞踏家で、音楽家で、褐色の肉体を所有するアスリートであるだろう。そして有り余る程の衣食住が無償で提供されるそのような社会では、金銭を得る職業は、もはや消滅するに違いない。だとすれば、人間の全ての活動は「趣味」と言って良いのではないのだろうか。
 国家消滅を密かに夢み、帰天するまでエスペラント学会会長であった久保氏よ、これ程芸術性に満ちた創作活動を「趣味」と言い続けた浅香氏よ、もしかしたらあなた達も、遙か数千年後「全ての人が芸術家である社会」、「本当の人類の歴史が始まる社会」つまりは「人類の本史」を、心底夢想した、私たちの先達ではなかったか。


   39,久保貞次郎研究所2013年6月月報

 6月の久保関連蒐集品は、先月同様、1点のみで、「画集 泉茂」(1978,今橋画廊、限定600部)であり、久保氏の小論「泉茂の人と芸術」が巻頭を飾っている。泉茂(1922~1995)は、久保氏の盟友瑛九が主宰した関西デモクラートの主要メンバーで、瑛九を通じて久保氏と長年に渡って親交をを持ち、1970年には大阪芸大教授に就任し、久保氏より1年早く他界した画家である。泉茂は、オノサトトシノブ、竹田愼三郎、浅香公紀、安藤幹衛、大浦信行等と共に、今後一層評価される作家になるであろう。
 5月末 震災で行方不明になっていた浅香木版100点が発見できたと、5月月報でお知らせしたが、6月末には、久保研究所引っ越しの最中、「久保貞次郎 美術の世界2 瑛九と仲間たち 特装版」(1985、限定100部)を執念で発見した。この特装版は、本の形でなく、30センチx40センチの帖で、中に6点のオリジナル作品が挟んであるだけの薄い稀覯本で、この薄さが1年以上見つからなかった理由なのかも知れない。
 作品の内訳は、①瑛九「手紙を持つ女」(フォト・デッサン)、②泉茂「皺の軌跡」(銅版)、③アイオー「手・右」(セリグラフ)、④アイオー「手・左」(セリグラフ)、⑤細江英公「男と女No24」(オリジナル・プリント)、⑥吉原英雄「赤い花」(リトグラフ)で、バブル時、6人兄弟生き別れにされ、小綺麗に額装された各作品が、高額で取引されるのを何度も目撃した。もちろん久保氏は、6点全部でワンセットの作品として制作したのだろうから、「画帳くずし」と命名されるこの種のばら売り行為は、極力避けるべきである。
 利益至上主義の資本主義美術市場では、芸術作品が生き延びる上で、多くの受難、苦渋が不可避であるようだが、社会主義美術市場なら良いかと言うとそうも行かない。芸術が国家・党の宣伝(プロパガンダ)として利用された、芸術にとって長い暗黒の歴史があった。それは、芸術が戦争鼓舞に利用された、より醜悪な形態と本質的に同義である。
 かつて岡本太郎が、「芸術は爆発だ」と絶叫したとき、彼の真意を理解する者は少なかったが、芸術はあらゆる国家・組織から毅然と独立、自立した、個の精神の激しい発露だ、その発露こそが人類史を良き方向に導くエネルギーだ、と理解する時、我々は、彼の絶叫の中で、「芸術の自立性」という不変の真理と初めて邂逅出来るのである。
 今月報では、「画帳くずし」から「芸術の自立と社会」について少し言及したが、「芸術の自立と国家」も私の研究対象なので、何かの機会に詳しく論じたい。


   40、久保貞次郎研究所2013年7月月報

 7月の久保関連蒐集品は、安藤幹衛リトグラフ1点と、オノサトトシノブのシルクスクリーン1点であった。今まで何度も述べたことであるが、一部の売れ筋高名作品が高額で取引されている裏で、優れたオリジナル作品を、画集を買うより廉価で蒐集出来ることは、妙な気分だが、有り難いことでもある。歪んだ日本資本主義美術市場についての論評は別の機会にして、今月報は、月報40回記念として、滝川太郎贋作事件に触れたいと思う。
 久保氏は、1938年から約10年間で計47点の滝川製贋作を購入したと言われ、一流の美術評論家が贋作を掴まされるとは何事か、と非難する者もいた。地元の久保研究家としては辛い部分でもあるが、ここ数年間、私は、何の偏見も持たず純白な心で、滝川事件を、次の2点を中心に検証してみた。
  第1点は、美術評論家と美術鑑定家は決定的に違うという事。第2点は、滝川太郎という贋作者は、妙な表現だが、極めて優れた、希代の贋作者であるという事。この2点について簡単に述べたい。
 テレビの鑑定番組などで、鑑定家が、瞬時に真贋を言い当てる場面がよく放映されるが、実際には、放送前に何人かの専門家が入念に調査した上での放映であることは、関係者の間では周知の事実である。それでも時には誤判定があるらしい。一番信頼できる鑑定法は、放射性炭素年代測定法などの科学鑑定であるが、真作と同時代の絵の具、カンバスを用いて贋作が作られれば、もうお手上げである。それに時間と費用もかかり、大美術館が高額の絵を購入する場合を除いては、非現実的である。75年前、「良質な」滝川作品を、久保氏が贋作と見抜けなかったとしても、何ら不思議ではない。
 滝川太郎は、他界する2年前、1969年のインタビューで、「俺の贋作には命がこもっている。原作以上の迫真力がある」、「黒田、安井、梅原にしても本場のコピーじゃないか。本場の本格派の精神まで写す俺のコピーの方が、遙かに価値が有る」と言い放った。3人の作品より滝川贋作が優れているかどうかは別にしても、滝川贋作の「良質」さを象徴する事件が、1956年神奈川県立美術館で開催された「ほんもの・にせもの展」で起こった。久保氏所有の滝川製「にせもの」と、美術館所有の「ほんもの」が同時に並んで陳列されたが、後に、その「ほんもの」も、何と滝川製贋作だと判明したのだ。更に、滝川太郎の超人ぶりを示す事件が、1962年に再度起こる。久保氏が,「滝川は、コロー以外の全ての画家の作品を描ける贋作者」と言ったことを聞きつけて、脳溢血で利き腕が使えなくなったにもかかわらず、左手で、「滝川製コロー」を描き、久保氏に送りつけた。もちろん、コローだって描けるぞ、という空恐ろしい執念を込めた所作であることは言うまでもない。その恩讐に満ちた「滝川製コロー」を調査する機会に恵まれた私は、「左手紀念、コローの15号を想像して4号に無模写で描く、逗子 滝川太郎」「自由画、倣コロー作、非模写、左手」や制作方法などを記したカンバス裏を見た時、背筋が凍り付く思いであった。慣れない左手であり、拙い部分も散見されたが、コローの代表作「モルトフォンテーヌの思い出」(ルーブル美術館)と似た雰囲気を充分創出していた。この滝川作品を言いようのない気持ちで見つめていると、、自己顕示欲とか金銭欲とかを遙かに超えた、怨念の結晶のように思えてきた。たとえ虚像であっても高名にならなければ、絵が売れないという歪んだ日本美術市場への、罪を犯してまでの捨て身の挑戦、憤怒であったのか。何れにしても、滝川太郎は、贋作に手を染めていなかったら、後年日本美術史に名を残す画家になったに違いない。そして、地底から突き上げるような、滝川の怒りと悲しみを熟知していたが故に、贋作の香りがほのかに漂う滝川贋作を、久保氏は敢えて購入し続けたのでは、と書いたら、暴論だとの誹りは免れないであろうが、私も敢えて甘受したい。


    久保貞次郎研究所2013年8月月報〔第41回〕
 
 8月の久保関連蒐集品は、竹田愼三郎リトグラフ「マリアとマンゴ」ただ1点で、やや低調であったが、第27回「芳賀教育美術展」の副賞の準備で多忙であり、余儀ないことであった。今年も、副賞は当研究所で提供させて頂くことになり、関係者諸兄に感謝したい。副賞の無償提供は4年目になるが、今年も、昨年と同様、油彩画1点、版画作品85点と、私の拙本124冊、ノート480冊、久保研究所賞3点が用意出来た。版画作品85点のうち73点は、ギュスタブ・ドレのオリジナル木版画で、バブル時、額入りで高額取引された1863年出版(ロンドン、カッセル社)稀覯本「ドンキホーテ」の挿絵作品である。ドレ版画は今年4年目で計250点、芳賀の少年少女に受け取っていただくことになるが、数百年後、何故芳賀の大地にドレ作品が、宝石のように散りばめられているのかと、口々に語たり継がれる日が来るに違いない。昨年も同じ事を書いたが、現在でも、池田満寿夫、アイオー、瑛久、北川民次、竹田愼三郎等のオリジナル版画が、芳賀の地で散見される理由は、久保氏が、「小コレクター運動」を通して、多くの人に廉価で頒布したからに他ならない。「小コレクター運動」とは、一人一人が、3点のオリジナル作品を持ち、生活の中に芸術を浸透させ、食べていくためだけの「動物的生活」から、芸術を、そして生きることを、つまり存在自体を楽しむ「知的、人間的生活」を企図する運動であったが、その思想は、私の40年来の思索、「遙か数千年後、全ての人が芸術家である社会」の実現、と本質的にそれほど違ってはいない。数千年後そのような社会では、差別、暴力、戦争も無く、ましてや、軍隊も、国家も無く、学校も、試験もなく、不毛な労働も無く、それ故貨幣も無く、全ての人は、生まれながらにして、芸術家で、哲学者で、宗教家で、科学者で、赤銅色に輝く肉体を所有するアスリートで舞踏家で、即興の詩を謳い、世界共通語で(多分英語になるのだろう)、宇宙の秘密を語り合っているに違いない。久保氏は、この遙か彼方にある光り輝く人類の理想を、確かに夢想していた。そうでなかったら、久保氏が他界するまで、何故、世界共通語たらんとしたエスペラント語の「日本エスペラント学会会長」職にあったのかの説明がつかない。
 美術展にに話を戻そう。この「芳賀教育美術展」は、前身の美術展の時代から久保氏も運営に関わり、それ故、久保氏が提唱した「創造美育運動」の理念が継承され、その象徴が「久保賞」(12名)である。因みに、娘が20年程前に「久保賞」を頂き、何かの縁なのだろうか、現在油彩画を描いている。そして誰に言われるともなく、子供達を集め、実費のみ頂いて、傘や、Tシャツや、木ぎれなどに絵を描く「キッズアート」を主宰し、ささやかだが児童美術教育に関わっている。また、娘の油彩画が、私の拙本(著作集1巻~4巻)の4種の表紙絵となり、私としては歓喜の極みで、大変贅沢だと恐縮している。もし20年前、娘が「久保賞」を頂かなかったら、娘は今絵を描いていないだろうし、私の拙本も存在していないだろう。
 そのような不思議な縁(えにし)を思いながら、副賞の準備をしている時、多忙の中、私は幸せである。


  久保貞次郎研究所2013年9月月報(第42回)

  9月の久保関連蒐集品は、「竹田鎭三郎 メキシコ画集 インディオの祭り」、(昭和58年、限定100部、リトグラフ2点木版1点入り)で、昨年11月月報で新蒐集品として紹介した稀覯本と同一作品である。既蒐集品は購入を見送るのが原則なのだが、余りに廉価(定価の3%)であったため、予備として蒐集した。心を研ぎ澄ませれば、バブル崩壊の残骸の中に、宝石のような稀覯本を、今でも発見出来ることは、複雑な気持ちだが、嬉しい事でもある。
 9月26日、第27回芳賀教育美術展最終審査会に審査員として参加した。審査員としては3回目だが、幼稚園年少の部で、素晴らしい作品2点と邂逅した。大学の専攻が芸術論(比較美学)であったため、人類の最初の芸術活動とは、芸術作品とは如何なるものか、と長年考えてきた。豊饒を願った洞窟画や岩石画(ペテログリフ)よりもっと古く、もっと根源的な芸術表現とは何か。子を授かって、歓喜の中、体に泥を塗って乱舞したのかも知れない。抑えきれない感情を乗せて、涙で濡れた石を、白く乾いた大地に投げつけたののかも知れない。人間は、やむにやまれぬ思いを、踊り、歌、叫び(言葉)、絵などの種々の形に換えるとき、救われたと思う時がある。昇華されたそれらの形を、我々は芸術と呼ぶのだろう。
 前述の2作品は、その意味で感動的であった。赤一色の点描画と、青一色の線描画。誰に強制されることなく、幼児等は、強い思いを、見事に、「絵」という形に換えた。初期芸術論では、点描に、「持続」つまり「時間」という要素が入ると「線」になると言われるが、数学で「点」が集まると「線」になるという「カバリエリの定理」と同じである。
 その2作品は、一見幼稚で稚拙に見えるので、選にもれるであろうと思い、赤い点描作品を、昨年創って頂いた「久保研究所賞」(落選作品の中から3点私が選抜)に選ぼうと考えていた。ところが、長年創造美育教育を実践されてきた審査員は、この点描と線描の2作品を、数百点の中から、順に1位と2位に、ためらわず決定した。おそらくその2作品の中に、ほとばしる純粋な芸術形態を、確かに見たのだろう。私は、自分の自惚れ、浅薄、高慢を恥じた。それにしても恐るべし、創美理論。未だ未完成の初期芸術論を、創美教育は、長年の実践の中で、既に取り込んでいる。更に驚いた事に、その審査員は、「幼児は点が先で、それから線を描くのですよ。」と解説していた。そして年少の部の「久保賞」決定時(久保賞は創美教育の2人の長老が決定)、もう一人の長老は、「青い線描画」を強く推し、「線描画」が久保賞となった。初期芸術論と、創美教育という異なった2視点から、同じ2作品に辿り着いたのは興味深いが、2人の長老が、瞬時に、自明のようにその2作品を選んだプロセスは、今後の研究課題であろう。再度言う、それにしても恐るべし、創美教育。
 9月末日、芳賀町の名士の方から、お電話とお手紙を頂き、久保氏と真岡近代絵画鑑賞頒布会について、貴重なお話を承った。この場をお借りして御礼申し上げたい。詳細は割愛するが、お話から、多くの若手芸術家を育てた久保氏を、当時、芳賀の多くの人達が物心両面で支えていたのではと、推察された。


 久保貞次郎研究所2013年10月月報(第43回)

 10月の久保関連蒐集品は3点で、①「池田満寿夫20年の全貌」(昭和52年、美術出版社)、②「久保貞次郎美術の世界Ⅰ」特装版(昭和59年、限定100部、北川民次銅版画3点とヘンリー・ミラーセリグラフ1点入り)、③「北川民次画集」特装版(昭和49年、限定150部、日動画廊、飯田画廊、北川民次リトグラフ2点入り、久保編、久保氏論文「北川民次について」所収)。後者の2冊は稀覯本で、名古屋の古書店から運良く入手できた。
 「池田満寿夫20年の全貌」所収の「小説・池田満寿夫」(田中穣)を精読した。昭和33年の第1回国際版画ビエンナーレで、久保氏の「この銅版画には色が使われている」という口添えで、3点の池田作品のうち1点が辛うじて最終審査に残ったこと、ドイツの国際審査委員ビル・グローマンが、絶賛したため、文部大臣賞を受賞し、一躍脚光を浴びた事などは、再確認出来た。しかし結論が「子供のような天才画家」というだけで、池田芸術の本質に迫っていないため、やや興ざめであった。そう言えば、以前月報で、池田作品は好きではないと書いたが、何故そうなのか考えてみた。生意気な言い回しだが、私には、池田作品の持つ「エロティシズム」が、中途半端で表面的で、現代風に装飾的で、何か突き抜けるものが無いように思えてならない。例えば、15年前、上野都美術館テートギャラリー展で観た、ラファエロ前派ロセッティの「プロセルピナ」の中に、「突き抜ける」ようなエロティシズム、強さ、怨念を感じた。ややローブロウ気味のボディーブロー受けたようで身動き出来なかった事を今でも覚えている。そしてそのインスピレーションを、荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険」の男性像群に見いだして、はっとする。
 例えば、古沢岩美の妖艶な女体像に、グロテスクという誹りのなかで、私は一つの「思想・希望」を確かに感じた。調べてみると、古沢氏は、中国での地獄の戦争体験を表現した「修羅餓鬼」という強烈な反戦版画集を30数年かけて制作し、その陰惨な戦場で強く生き延びてゆく女性達の中に、「母性・希望」を垣間見、それ故、営々と、艶めかしくも屈強な女性を描き続けたのである。(渡辺私塾文庫28,古沢岩美関係本冒頭参照) この「思想・希望」は、益子のワグナー・ナンドール美術館にある「ハンガリアン・コープス像」で感じた「希望」と寸分違うことはない。そして我々一般大衆は、芸術作品の中にある微かな「希望」や「光り」を、かなりの精度で感知し、共有出来る。だからこそ、この「ハンガリアン・コープス像(ハンガリー兵士の死体)」は、現在、「ハンガリーの希望」と呼ばれ、右手は、人類の進むべき道を指し示すがごとく、力強く天を指している。
 話を戻そう。私には、池田作品の中に、どうしても、この希望、思想、光りを見いだせない。これが、小生意気だが、池田作品を好きになれない理由なのだろう。
 先日、久保旧邸跡地に設立予定の「真岡市立久保貞次郎記念美術館(仮称)」実現に尽力なさっている真岡市の関係者と会う機会があったので、昨年の9月月報で言及した安藤幹衛の油彩画作品7点(100号4点、50号1点、30号1点、25号1点、7点とも二科会出品作)とそれらが掲載されている画集の、真岡市への寄贈を正式に申請させて頂いた。久保家寄贈の多くの貴重な作品、瑛九を柱とする宇佐美コレクション、寄贈予定のオノサトトシノブ作品、児童画等、多くが版画、水彩画なので、寄贈を是非了承して頂き、久保氏と縁の深い安藤油彩画7点が、真岡市所蔵美術品の末席に連なれればと願っている。


  久保貞次郎研究所2013年11月月報(第44回)

 10月月報で言及した、安藤幹衛二科会出品作油彩画7点(100号4点、50号1点、30号1点、25号1点)とそれらの掲載画集計8点の、真岡市への寄贈申請を、11月11日付けで、気持ちよく受理していただいた。関係者に心より感謝したい。次回は、整理がつき次第、浅香公紀木版画約百点と伊藤高義油彩画の寄贈申請を予定している。更には順次、久保氏と縁のある作家の作品から、50号、100号の油彩画大作の寄贈も考えている。40年前美学美術史専攻の学生時代から、少しずつ美術品蒐集を始めていたが、自分できちんとした美術館を作れないときは、蒐集品は真岡市に寄贈をしようと、心の片隅で強がって決めていた。芸術作品は、本来公のものであり、私が一時、お預かりをしていたにすぎないのだろう。今は、強がりも、気持ちの揺れも一切無い。
 11月末、真岡青年会議所の理事長、副理事長、芳賀教育美術展の担当委員長の若者3名が、美術展副賞提供のお礼にわざわざ当研究所に足を運んでくれた。久保研究所の事、久保氏の業績、思想、真岡青年会議所の未来、可能性などについて数時間話し合った。彼らの、純真で、しなやかで、快活な精神に触れると、私の精神も共鳴し、心なしか若返る。特に理事長の、純真無垢な少年のような立ち振る舞いには、ただ初々しいばかりで、日本の明るい未来が予感される。そう言えば3代前の理事長で、美術展表彰式で「じゃんけんおじさん」を演じてしまった無邪気な好青年にも、同じ予感を確かに感じた。
 それにしても「青年会議所」とは不思議で、素晴らしい組織である。彼らは、少なからぬ年会費を払って、かなりの時間をさいて、黙々とボランティア活動に没頭している。彼らは声高に自慢する訳でもなく、僅かな賞賛すら求める訳でもなく、誰かに媚びる訳でもない。若者には過重と思える責務を、仲間の背で分担し、掛け声を合わせながら、見事にその責任を全うし、バトンタッチする。彼らは、現代社会の複雑怪奇な歪んだ人間関係などとは全く無縁な、協調と連帯と利他の精神で、目標を掲げ、それを成就する。その明朗快活、純真無垢、、実行力、団結力、柔軟さは、会員資格が20歳から40歳まで、役職は1年間のみ等の、独特な組織システムの恩恵なのだろうが、企業、政治世界の浄化、発展にとって、「青年会議所」は、多くの示唆に富む可能性に満ちた組織に思えてならない。
 私は、彼らの無私の活動を、人類進化の確かな歩みだとみる。私は、彼らを、久保氏も私も夢見た、遙か数千年後、全ての人が芸術家である社会に向けての、屈強な若き戦士だと、密かに思う。


  久保貞次郎研究所2013年12月月報(第45回

 12月上旬、長年の探求本「恩地孝四郎版画集」特装本(形象社、1975年,限定55部)が入手出来た。版画欠の特装本は所蔵していたが、恩地木版7点入りの完本は、入手に10年を要した稀覯本である。「日本の現代版画の始祖とも呼ぶべき」恩地と久保氏の繋がりについては未だ未研究の分野であり、多くの版画家を支援し育てた久保氏は、恩地には冷淡であったという風評が一般的であるが、実際は違う。版画集出版費用不足時、久保氏の温かい支援があったと、出版に関わった人から直接話を伺った事がある。出版費用が嵩んだ理由は2つあって、1つは、日本人が、恩地に無関心であった隙に、米国のコレクターが、その芸術性の高さ故、無名の恩地作品を買い占めてしまい、日本には数少ない恩地作品を求めて米国まで行かねばならない事。第2の理由は、米国では恩地作品は極めて高額で、写真を撮るだけでも、法外な金額を要求されたため、とその関係者は話してくれた。
 久保氏は、「巨匠が去って二十年たったいま、かれの版画の輝く集積の扉が、世に広く開かれようとしている。いまからでもよい。われわれはかれのもとに急いではせ参じねばならぬ」(恩地孝四郎を思う、1975年、恩地版画集、形象社)、「この独創的で詩情豊かなスケールの巨きな作家の芸術がもっている真の価値を、かれが生きているあいだに見定めることができなかった、ぼくの能力の低さを軽べつし、あわれんだ」(1964年、版画4号)と、後悔の念を書き記しているが、恩地没後、真っ先に高評価の論陣をはったのは、久保氏であった。
 私が、恩地孝四郎に興味を持ったのは、40年前、「本は文明の旗だ、その旗は当然美しくあらねばならない」(昭和27年、「本の美術」)という思想に感銘した時で、それ以降、英国のウイリアム・モリスの装飾性に似た、時代を超えたモダニティ溢れる恩地装幀本にも惹かれたからであり、その後も少しずつ蒐集を続けている。
 久保氏研究を始める20年前から、私が恩地作品・装幀本・資料の蒐集家であった事。久保氏が、作品を買い上げることで多くの作家を支援している最中、、恩地と面識があったのに彼の作品を購入せず、恩地作品の米国流出を許したという久保氏の終生の悔恨。今、渡辺私塾文庫内に、相当数の恩地資料が有り、小者ながら私が久保研究所代表である事など、この3点が絡まって、不思議な因縁を感じている。私が、恩地と久保氏の2つの巨星を繋ぐ、小さな流星になれれば幸いである。
 今月報は、久保氏と恩地孝四郎との関連のみになってしまったが、当研究所の当初からの研究課題でもあったので、僅かだが二人のふれ合いに言及した。今後少しずつ研究を進めたいと考えている。


   久保貞次郎研究所2014年1月月報(第46回)   
 
 去る1月28日、真岡青年会議所芳賀教育美術展担当新旧委員長と新理事長、新副理事長の4名の方々が、表敬訪問してくださった。昨年末に他界した母通枝の通夜、葬式への御参列、御献花の御礼を述べた後、美術展の将来について語り合った。今後も豪華副賞は、当研究所で用意するとしても、運営費用の枯渇が当面の課題であるとの事であった。経費削減、少額募金等が話題になったが、何れにしても、27年間芳賀教育美術展を物心両面で支えてきたのは、紛うことなく、青年会議所会員の若者達である。少なからぬ会費を払って会員になり、様々なボランティア活動に没頭し、声高に自慢するわけでもなく、無私の精神で裏方に徹する会員弟妹に、我らは、もっと敬意を払うべきだろう。
 久保氏とは、直接関係は無いが、長年の探求本「月下の一群」(堀口大学訳、大正14年、第一書房)が入手できた。長谷川潔の重厚な自刻木口木版入り稀覯本である。私は、「月下の一群」を手に、微笑を浮かべる久保氏を想像するに難くない。久保氏が、日本屈指の美術品コレクターであったことは周知の事実だが、愛書家であった事はあまり知られていない。渡辺私塾文庫所蔵の、愛らしい北川民次木版書票(エクスリブリス)が添付された、久保旧蔵洋書、美術書稀覯本が、その証左である。もっとも、献呈本として、数多くの稀覯本が久保氏に贈られたので、愛書家になることは自然な流れだったのかも知れない。久保氏の旧蔵本はほとんど散逸してしまったが、「愛書家としての久保貞次郎」も、困難な作業にになるが、今後の重要な研究課題であろう。
 昨年11月、安藤幹衛の油彩画7点と掲載画集を真岡市に寄贈させていただいたが、桜咲く春には、浅香公紀木版画約百点と伊藤高義油彩画の寄贈申請を計画している。現在真岡市には、瑛九作品を中心とした宇佐美コレクション、多数の久保家寄贈作品、浅香木版画等の美術品を所有しているが、日本画、洋画、西洋絵画等が少ないので、渡辺私塾文庫の所蔵品を順次寄贈させて頂ければと、願っている。当文庫の所蔵品は、45年前から、私が少しずつ廉価で蒐集したもので、バブル期は、一切購入せず(正確には、購入できず)、爪に火をともすようにして入手した蒐集品である。書籍が中心だが、30年ほど前数百円で購入した江戸本を、関西の研究者が真岡まで閲覧しに来館すると言うので、贈呈してしまった本、韓国の草書研究者に進呈した稀覯本など20点を超える。多くの書物は、私が地上にいる間は、世の研究者のため当文庫で保管するとして、美術品については、震災後未だ混乱しているが整理がつき次第、少しずつ市への寄贈を考えている。寄贈を受理して頂いた時点で、月報で、喜々として報告する予定である。


    久保貞次郎研究所2014年2月月報(第47回)

 未だ雪深き長野の山麓から、久保氏最後の弟子、川崎満孝氏の窮状を救うための、「川崎満孝救援頒布会」の案内状が届いた。川崎氏とは「芳賀教育美術展」の審査会で同席し、何度か芸術や哲学の話をしたことは有ったが、まさかそこまで困窮しているとは思わなかった。貧乏は、芸術家の勲章であり、存命中に高評価を受ける芸術家の多くが二流であることは、ゴッホや宮沢賢治をみれば自明だが、貧困にも限度がある。同封された,久保氏高弟、高森俊氏のパンフレットにある「今彼を飢えによって失うことは人類の文化の損失となる」という一文を読んで、その日のうちに、送金して頒布を申し込んだ。アンネの日記、1944年5月3日記、「毎日膨大な戦費が費やされるのに、どうして医療費、芸術家、貧しい人に使うお金は無いのだろうか」、という一節を思い出し、久しぶりにすがすがしい気分に浸っていた矢先、一週間もしないうちに、川崎氏からシルクスクリーン版画2点が送られてきた。「情熱」と「天道を行く天道虫」というタイトルで、貧困の中から生み出された真の芸術作品であった。特に「天道虫」は傑作で、後の電話でのやりとりで、天を行く天道虫は、進化する人類でもあると、川崎氏は述べた。高潔で深遠で思想性に満ちた秀作である。
 久保氏は、本物の芸術作品を3点持つことが人類の進化に繋がるという「小コレクター運動」を提唱したが、「天道虫」は、手始めの1点としては、比類無き出色の作品であると私は思う。志有る方は、久保研究所月報を読んだと言って、直接、川崎氏に頒布申込をして頂ければ幸いである。(「天道虫」1点で、送料等込み15000円、℡090-7802-0799川崎まで)
 久保研究所を創設して4年、直接の支援は、芳賀教育美術展副賞提供であったが、それは今後も継続するとして、今回の頒布会を契機に、視野を広げる新たな段階にさしかかっているのかも知れない。能力、財力において、久保氏の万分の一にも満たない私だが、微力ながら川崎氏への今後の支援も、当然のように考えている。
 2月の久保氏関連蒐集品は、1点で、「現代の版画」、ガスティン・プティ、昭和49年、講談社、久保氏小論「現代日本版画の展開」所収。(この小論は、「久保貞次郎を語る」、1997年、文化書房博文社、久保貞次郎執筆編集年譜に未掲載)


    久保貞次郎研究所2014年3月月報(第48回)

 久保氏最後の弟子、川崎満孝氏の住む長野の山々にも春は訪れたたのだろうか。先月月報で触れたように、「川崎満孝救援頒布会」に即刻応募し、支援の口火を切ったのだが、高森氏の「今彼を飢えで失う事は・・・」の文面が気になり、失礼だとは思ったが、段ボール一杯に高カロリーの食料品を詰め込んで、3月初め、長野に贈らせていただいた。小食が身に付いているとのお話だったので、2,3ヶ月分は賄えそうであり、6月に、また贈らせていただこう。久保氏がご存命時は、川崎氏の作品を購入するという方法で、久保氏の支援が為されたのだが、久保氏亡き今、久保研究所で微力ながら応援するのは当然である。ただ私は、久保氏の財力からはほど遠いので、失礼ながら食料の直接送付という、一番泥臭い一番有効的方法を採らせて頂くことに決心した。久保氏も天で苦笑いしていることだろう。
 3月の久保氏関連蒐集品は、3点あり、1点は、「虹、アイオー版画全作品集」1954~1979、(1979,叢文社)で、小論「アイオーの虹の版画」と「あとがき」所収。2点目は、「東京名所版画集」全5巻、田中邦三、(昭和48年、プリントアートセンター)、第2巻に久保氏寸評所収。3点目は、「北川民次画集」(1974,日動画廊、飯田画廊)、この稀覯本は、2013年10月月報で言及した北川民次画集(特装本)のスーパー特装本。北川民次水彩画入りで、発売時は高額であったが、今回定価の十分の一で購入出来た。なんとかミクスは、美術市場や古書業界では、足音さえ聞こえない。
 久保研究とは直接関係ないが、3月20日、渡辺私塾文庫所蔵の、藤井浩佑彫刻2作品(1点は灰皿、1点は立像)を、小平市の平櫛田中彫刻美術館の学芸員が調査研究のため来宅した。田中美術館で本年8月開催予定の「藤井浩佑彫刻展」のための調査で、足利市立美術館所蔵藤井作品2点調査後の訪問であった。当文庫所蔵の2点は、10数年前、東京の小さなオークションで落札した作品で、冷え切った美術市場では、彫刻作品など、一瞥さえされない時代、妙な芸術的存在感があったため、購入した。もちろん入札者は私一人で、最低値の落札金額であった。 久保氏は、オリジナル作品3点を所有する事が、生活の芸術化、人類の進歩に繋がるという、「小コレクター運動」を提唱したが、我々庶民が美術品を購入する場合、高額作品は大美術館にまかせて、気に入った作品を廉価で入手する事が、歪んだ現代日本美術市場ではベストなのかも知れない。

   久保貞次郎研究所2014年4月月報(49回)
     ~真岡市久保講堂「平和の文化と女性展」について~

 4月中旬、家内の親類の方が、5月30日から6月2日まで真岡市久保講堂で開催される「平和の文化と女性展」の内容説明、オープニングセレモニー出席依頼、応援依頼に来宅された。「世界平和の実現には女性の力が不可欠である」という趣旨には、私も全く同意見で、久保氏ゆかりの久保講堂で開催されることもあり、微力ながら応援依頼を快諾した。そしてその日の内に、真岡新聞社、いちごテレビに、私から電話をさせて頂いた。「平和の文化と女性展」の報道周知依頼は、既に二社に伝わっていたようだが、久保研究所からも宜しくお願い致します、と申し上げた。
 久保貞次郎氏の業績を、①美術評論家、②美術品コレクター、③ヘンリー・ミラー絵画の紹介者、④多くの芸術家の経済的思想的支援者、⑤現代版画のプロデューサー、⑥創造美育運動の提唱者、⑦小コレクター運動の創設者、⑧エスペラント学会会長、⑨町田市立美術館館長、⑩教育者、の10項目に私は分類しているが、⑩教育者について、少し補足したい。久保氏は、50歳から78歳まで、28年間跡見学園短期大学で教鞭を執り、68歳から76歳までの8年間学長を務めている。もちろん跡見学園は女子大であり、久保氏は、既に半世紀前に、女性の力を信じ、うら若き女子大生に、革新的で、斬新で、夢のような芸術教育を実践した。久保氏の若き女性親衛隊が誕生したり、教え子達の中には、日本の歪んだ美術界の根底を支えている、良心的な美術関係者もいる。従って、「平和の文化と女性展」には、久保氏も諸手を挙げて賛成であろう。
 さて前述の「私も全く同意見で」について、僭越だが、言及したい。1995年私が発行した、貧弱な文芸誌「ひかえめな花」第5号から27号(1995~2002)に、私は「長編抒情詩~血球から知丘へ~」という未完の大作を書きつづった(渡辺淑寛著作集第3巻(2011年、真岡新聞社)に目立たぬように所収)。数名のマニア的ファンを除けば、反響は皆無だが、百年後には相当読に込まれるだろうと、強がり混じりの冗談を言っている作品で、その主題は、「母性による政治文化思想無血革命」であり、「女性展」の本質と大きな隔たりは無い。人類の進化には、女性の感性、社会進出が必要だと言われて久しいが、少し掘り下げてみたい。
 多くの生物は、種の保存の宿命を背負った女性が優性であり、人間も女性の方が寿命が長い。女性の優位を無意識に知っている男性達は、暴力を背景に、営々と男性社会を築き、営々と戦争を繰り返してきた。きっと西洋の悲惨な魔女狩りも、女性に対する恐怖の裏返しなのだろう。自然災害時、おろおろするばかりの男性達を尻目に、緊急時の女性の悠然さを見るまでもなく、これからの人類の進化には、女性の非暴力性、破滅に対する本能的回避能力、生物学的強靱さが、何としても必要である。世界の政治指導者の半数が女性になり、猪突猛進型の男性指導者を母性で優しく包み込めば、戦争も激減するに違いない。「平和の文化と女性展」は、その意味で、些細な一歩だが、重要な一歩でもある。戦争、差別、暴力の一切無い社会、全ての人が芸術家である社会にむけて、数千年、数万年の遙かなる進化の旅であるが、21世紀初頭、全ての者が旅人であらねばぬ。夜明けはそれほど遠くない。


   久保貞次郎研究所2014年5月月報(第50回)

 月報を書き始めて4年と2ヶ月、第50回を迎えた。2,3年続けば良いほうだろうと言う、周囲の声も聞こえてきたが、私は意外と粘り強い性格で、この地上に生有る限り、書き続けようと密かに思っている。
 5月30日号真岡新聞に、「真岡発:瑛九と前衛画家たち展」を観て~瑛九論試論~を、6月6日号に、「益子ワグナー・ナンドール春期展、小野田寛郎像を観て」の拙文を、久保貞次郎研究所代表として、掲載させて頂いた。一読して頂ければ幸いである。瑛九については、40数年前から注目していたが、作品も表現手段も難解で、本格的瑛九論も少なく、困難な作業であったが良い機会だったので、試論という形で挑戦してみた。
 久保研究所とは直接関係は無いが、昨年12月他界した母、通枝の5冊目の随筆集「渡辺通枝遺稿集~五行川~」が、真岡新聞社から7月初旬上梓の予定である。前の4冊は、日本随筆家協会発行であったが、所収作品の多くが、真岡新聞掲載作品であるので、真岡新聞社様にお願いして出版の運びとなった。また、私の著作集第5巻も来年3月、真岡新聞社から、出版の予定で、既に準備に入っている。私にとって9冊目の本になるが、多分私の存命中は、一顧だにされないだろうと充分自覚している。それでも数十年後には、批評文を書く者が現れ、百年後には多くの人に読み込まれるだろうという淡い期待も無くはない。
 3月月報での、久保氏最後の弟子、川崎満孝氏への、食料直接送付支援について、すこし反響があった。半分は批判的な指摘で、一流の芸術家に対して食料品を送りつけるのは失礼ではないか、という批判であった。私にしても、食料品の代価を送金して支援する方が、よほど楽なのだが、美術史を学んだ者として、日本の完璧な物流システムを考慮し、熟慮の上で、食料直接送付を選んだ。信じ難い話だが、洋の東西を問わず、餓死した芸術家は数知れない。彼らの周囲には何人かの理解者、支援者がいるのが常で、金銭的支援をうけた彼らは、何と、食料を購入せずに画材を買ってしまい、無自覚に栄養失調から餓死の道を突き進むのである。これが、失礼、不遜という批判を承知の上で、私が食料送付支援を選んだ理由である。食料品を揃えるのには一週間ほどかかり、今日も近くのスーパーで自ら缶詰類を購入した。
 今月の久保氏関連蒐集品は、現代版画センター出版本8冊で、「エディション目録第3巻」(1980)並装本と特装本、「大沢昌助オリジナル入り画集」(1980)、「菅井汲オリジナル入り版画カタログ」(1980)、「関根伸夫オリジナル入りカタログ」(1982)、「プリントコミュニケイションNO41~64特装本」(1983)、「同NO65~75並装本」、「同NO76~87特装本」(1983)。久保氏と関係のあった、アイオー、古沢岩美、鈴木信吾、竹田愼三郎、大沢昌助、菅井汲、関根伸夫、吉原英雄、小田襄、木村利三郎の版画が、各冊に1点から4点添付されている。


  久保貞次郎研究所2014年6月月報(第51回)

 6月下旬、昨年の11月に続いて、久保貞次郎関連美術品を、真岡市に寄付申請させて頂いた。内訳は、浅香公紀木版画98点、瑛九フォトデッサン型紙7点、大浦信行シルク版画4点、木村利三郎版画2点、ヘンリー・ミラーリトグラフ1点、泉茂シルク版画1点、オノサト・トシノブシルク版画1点、安藤幹衛リトグラフ1点、オリジナル版画入りアイオー版画全作品集1冊、森義利10号水彩画、伊藤高義15号油彩画の計118点。今回も、気持ちよく受理してくださるとの事なので、嬉しい限りである。許されるなら、寄付第3回も久保関連作品を、第4回からは、著名作家の洋画、日本画を考えている。
 7月3日から6日まで真岡市久保講堂で開催された、第28回真岡市美術展「久保コレクション展」を初日に、妻と二人で観に行った。107点の久保関連作品が、由緒ある久保講堂に整然と陳列され、想像以上に素晴らしい美術展であった。これだけの作品群を、入場無料で自由に鑑賞でき、出品作品目録小冊子も頂ける美術展は、日本でも希有であろう。
 真岡市は、農・商・工バランスのとれた住みよい町だけれど、特徴のない町だと、かつては言われたが、今はSLの町と呼ばれ、そして、近い将来、真岡市を、畏敬の念を込めて「久保貞次郎美術の町」と呼ぶ都会の知識人も急増するであろう。その時の到来を早めるよう、当研究所でも最善を尽くすつもりである
 本年3月月報で言及した、渡辺私塾文庫所蔵の藤井浩佑彫刻2作品について、平櫛田中彫刻美術館から正式な出品要請があり、7月下旬に、学芸員と美術品専門運送会社が、作品を受け取りに来宅するという。保険をかけて、小平市まで運ぶのだが、多分、2作品の購入代金より、保険代金の方が高額になるであろう。また、先日、当文庫所蔵の竹田愼三郎版画3点調査のため、依頼されて本格的写真を撮っていった方がいた。同様に写真代の方が高額になるに違いない。オリジナル作品3点を持つ事によって芸術に触れ、「生活の中に芸術を浸透させる」という小コレクター運動を提唱したのは久保氏だが、身も心も研ぎ澄ませば、美術展出品依頼が来るような作品を、千円単位で購入出来る現代は、小コレクター運動にとって、実は最適の時なのかも知れない。
 今月の久保氏関連蒐集品は、木村利三郎シルク作品「City177」で、30号の秀作。今年度の芳賀教育美術展の副賞にと考えている。


    久保貞次郎研究所2014年7月月報(第52回)
 7月は、第28回芳賀教育美術展副賞の準備で忙しく、久保氏関連蒐集品は皆無であった。5年前、真岡青年会議所の要請で、当研究所が美術展の副賞を寄付させて頂く事になり、毎年7月末で、ほぼ副賞を揃えるようににしている。最高賞の知事賞には、一昨年、昨年と高額な油彩画、日本画を用意させて頂いたが、さすがに豪華すぎると言う人も少なくなく、今年は、6月月報で言及した「木村利三郎」の30号シルク版画とした。この作品は、限定20部の大作で、世界的に有名なシティーシリーズの中でも入手困難とされており、実質、昨年、一昨年の副賞と引けを取らないであろう。他に久保賞用木版画12点、ノート530冊、私の拙本125冊、久保研究所賞用文具セット3点、それに、ギュスタブ・ドレの木版画73点が用意できた。ドレ版画は、1863年、ロンドン、カッセル社出版の稀覯本「ドンキホーテ」からのオリジナル木版画で、定規とカッターを駆使して原本から切り取る作業は、神経を使い、10枚ほど切り取ると緊張のあまり吐き気をもよおすほどである。その当時、ドレの作品発表形態は、稀覯本の挿絵という形であったので、バブル時、額入りで高額で販売されていたドレ版画は、私がしたのと同じ作業で切り取られた作品であったに違いない。以前にも書いたが、愛書家としては、挿絵を切り取る作業は、本の手足をもぐようで、本当に辛いのだが、73人の笑顔を思い、5年間続けてきた。吐き気の半分は、悔恨の念からなのだろう。今年でドレ版画365点が、芳賀の地に、宝石のように散りばめられることになる。
 6月月報で言及した、2度目の真岡市への107点美術品寄付は、気持ちよく承諾して頂いた。3回目の寄付は、許されるのであれば、来年度を予定している。
 長野県在住の画家で、久保氏最後の弟子の方に、失礼を承知の上で、食料品を送らせて頂いた。優れた画家は、食料品購入より、画材購入を優先するのが常で、栄養失調で他界した画家は、美術史上珍しくない。久保氏は、無名だが優れた画家に版画制作機器を送りつけて、版画制作を促したが、私は、この才有る画家が正当な評価を受けるまで、叱責覚悟の上で、食料品を送り続けようと思う。
 これも6月月報で触れたが、7月21日、小平市平櫛田中彫刻美術館の学芸員と専門運送業者が、当文庫所蔵の藤井浩祐2作品を受け取りに 来宅された。搬入先は、小平市だと思っていたら、岡山県井原市立田中美術館であった。無事到着したという報告書と共に、招待券、ポスター等多数同封されていたが、岡山県では、とても行けない。出品者は、招待の恩恵に浴するのが通例だが、今回は、遙か北関東の地から、展覧会の成功を祈ろう。



     久保貞次郎研究所2014年8月月報(第53回)
               ~長倉翠子氏の芸術~

  8月は、久保氏関連品を2点蒐集出来た。、1点は「美術批評」1952年、4月号(美術出版社)で、久保氏小論「欧米の児童美術教育」が4頁に渡って所収されている。技術主義、訓練主義に基づく伝統的美術教育と、オーストリアの美術教育者フランツ・チゼックが提唱した創造的美術教育を対比させながら、英、米、カナダ、北欧、メキシコの現在の美術教育を概説し、日本の美術教育とも比較した秀逸な小論であった。
 2点目は、「陶 長倉翠子」(平成2年、毎日新聞社、久保貞次郎編)で、久保氏、小説家立松和平氏、花道家安達瞳子氏、美術評論家室伏哲郎氏の小論と、長倉氏自身による、各作品に添えられた7篇の詩が所収された素晴らしい作品集である。
 「思いを込めて ひと握り胎土(つち)を 透かしてみると はるかかなたの 星の光がみえる」という詩の一節に、心震わされ、「作品11、桜A」の、フェルメールブルーに似た青に息を飲み、「作品14,命根」で、悲しみの人類史をふと思い、「作品28,冥A」で、埴谷雄高の「過誤の宇宙史」という言葉が、何故か脳裏をよぎり、「作品34,櫻C」、「作品37,櫻E」を出会った時、これらの作品は、陶芸作品が持つ実用性と対極にある美そのものだと感じた。しかもこの美は、過去世、現世、来世、時空を貫く宇宙根源の美だと、私には思えてならない。アインシュタインは、この宇宙には人間が感得出来ない、遙かに高度な美がある、と言ったが、長倉氏の作品群は、「はるかかなたの 星の光」のごとく、既にアインシュタインの「高度な美」の先触れだと、私には思えてならない。それと同時に、21世紀初頭、長倉氏の胎土による純粋美の表出を理解する人は、それほど多くないだろうとも思えた。それでも、ゴッホ、フェルメール、宮沢賢治をみるまでもなく、時代に先んじて現れる、真の芸術家も少なくない。その意味で、長倉氏も、必ずや後世、歴史を彩る一級の陶芸家として正当に評価されるであろう。
 久保氏が、思想的経済的に支援した作家は画家、版画家のみと考えられているが、実際は、無名だが有能な若手彫刻家、写真家、陶芸家も含まれていた。彫刻家の一人は、2012年10月月報で言及した武蔵野美大名誉教授の加藤昭夫氏であり、写真家の一人は奇才、細江英公氏であり、陶芸家の一人は、もちろん長倉氏である。
 芳賀教育美術展の入賞者は、以前は真岡新聞紙上、または小冊子報告書で全氏名公表されたが、今年度は予算の関係で、取りやめとなったので、関係者のご理解を得、10月月報内で、上位入賞者77名のみ発表を予定している。ご了承頂きたい。
 真岡青年会議所OBで、久保研究所を陰で支えてくれている知人が、久保旧邸近くで、かき氷屋さんを始めましたと、わざわざ挨拶に来宅されたので、妻と二人、試食に行ってみた。お呼ばれで、都会の超有名レストランで何度か食事をしたことがあるぞ、という訳の解らぬ貧弱なプライドから,それらの食事に比べたら大したことは無いだろうと高をくくっていたら、とんでもない。この上なく美味であった。少し俗っぽい言い方だが、お勧めは、ストロベリーと抹茶。(注、「作品34」と「作品37」のタイトル「櫻」は、木偏でなく王偏)


  久保貞次郎研究所2014年9月月報(第54回)

      ~第28回芳賀教育美術展上位入賞者氏名~


 9月の久保氏関連蒐集品は2点で、1点目は「宮沢賢治関係所属目録」、昭和59年、跡見学園短期大、久保氏小論「賢治とヘンリー・ミラー」所収。2点目は「幽玄にきらめく土の華 長倉翠子」、平成7年、下野新聞社と「長倉翠子展」、平成10年、東武宇都宮百貨店。この2冊は、長倉氏と9月末お会いする機会があり、長倉氏から直接寄贈して頂きました。 
 8月月報で言及しましたように、今年度から、芳賀教育美術展の入賞者発表が割愛されることになりましたので、上位入賞者77名のみこの場をお借りして公表いたします。
◎知事賞、榊和平(にしだ幼稚園)、◎久保賞、柳田優奈(田野中1年)、小野澤翠(益子中2年)、粕谷侑里(真岡東中3年)、磯篤(逆川小1年)、川田幸央(逆川小2年)、石川真衣(芳賀南小3年)、白滝悠(真岡小4年)、石渡芽衣(山前小5年)、荒川夏妃(赤羽小6年)、小林凜成(青葉学園保育園)、澤田果莉奈(にしだ幼稚園)、大垣孝介(赤羽保育園)、◎運営委員長賞、澤畑凜奈(茂木中1年)、石崎凪紗(茂木中2年)、土屋友香(茂木中3年)、清水大輝(七井小1年)、小久保心和(中村小2年)、山田航輝(市貝小3年)、田川翔愛(亀山小4年)、伊東舞桜(真岡西小5年)、長嶋優衣茂木小6年)、大森礼公(高ノ台幼稚園)、星美緒音(にしだ幼稚園)、田中琉斗(高ノ台幼稚園)、◎教育会長賞、篠田友珠紀(逆川保育園)、もがき るい(中川保育園)、塚本歩夢(七井幼稚園)、荒健人(赤羽小6年)、谷口あかり(市貝小5年)、土門陽大(真岡西4年)、庄司樹(真岡西小3年)、渡邉照人(大内東小2年)、三村杏南(長田小1年)、羽石楓(芳賀中3年)、武田好民(益子中2年)、能渡紗稀(益子中1年)、◎芸術協会長賞、白川梨央(にしだ幼稚園)、中島初華(高ノ台第二幼稚園)、高木麻尋(赤羽保育園)、阿部桜華(芳賀南小6年)、櫻井拓真(真岡西小5年)、澤琥春(真岡小4年)、近藤大樹(田野小3年)、小野瀬裕人(芳賀南小2年)、横堀彩乃(茂木小1年)、大塚悠太(中村中3年)、大森美侑(茂木中2年)、齋藤花純(益子中1年)、◎造形教育研究会長賞、坂本来夢(山前中1年)、高野颯香(茂木中1年)、長岡紗綾(益子中2年)、石川明日香(久下田中2年)、海老沼美佳(市貝中3年)、谷中愛理(田野中3年)、大島史竜(七井小1年)、岡野優作(芳賀東小1年)、近澤愛姫(逆川小2年)、中山真菜(真岡東小2年)、畠中彩花(大内東小3年)、二瓶もも(茂木小3年)、早瀬大輝(久下田小4年)、古田土明日美(中川小4年)、内田陽(真岡小5年)、平石鈴佳(田野小5年)、横山堅志朗(益子小6年)、川崎寧緒(芳賀東小6年)、福田優衣香(高ノ台第二幼稚園)、鎌田桃歌(にしだ幼稚園)、柳茉那(真岡保育所)、白鞘大飛(真岡杉の子幼稚園)、津村瑠愛(益子保育園)、リベイロ・ジュニオル(萌丘東保育園)、◎立体特別賞、枝川尚生(茂木中1年)、◎久保貞次郎研究所賞、すずき あやめ(西田井保育所)、加藤姫奈(真岡東小4年)、谷口大斗(益子小6年)(敬称は略します。また誤字脱字が御座いましたらご一報下さい。)


   久保貞次研究所2014年10月月報(第55回)

      ~川崎満孝氏の芸術~

 10月の久保氏関連蒐集品は、竹田愼三郎木版作品「マリア」と、「池田満寿夫アートワーク展」(平成5年、中日新聞社)、「ヘンリー・ミラー絵画展」(1991,東京放送、毎日新聞社)、川崎満孝「白い蓮 2014 道」(アクリル画3号)、「上高地の紅葉 2014 道」(アクリル・水彩画、変形8号)の5点であった。川崎氏の2作品は、芳賀教育美術展最終審査会の時、川崎氏から直接手渡しで拝受した。芸術性の高さからすればかなり廉価であり、久保研究所で所蔵出来て幸運であった。川崎氏は久保氏最後の弟子と言われ、久保氏は存命中、支援も兼ねて川崎氏の作品を高額で購入していたと聞いたが、万分の一の財力の当研究所としては、廉価購入は余儀なきことであり、申し訳無いと思っている。
 2作品を精査して感じる事があったので、川崎氏の芸術について、少し論じてみたい。川崎氏は1946年大宮市に生まれ、日進中学校において、久保氏高弟で、創造美育運動の重鎮である高森俊氏に美術の教育を受ける。25歳で日本放浪の旅を開始し、28歳になると、5年間、東南アジア、インド、ネパール、中近東23カ国を、絵を描きながら放浪し、インドでは、ヨーガ、仏道の修行に励んだ。更に46歳の時1年弱、東アフリカ、ヨーロッパ旅行をしている。
 作品を見て誰の作か判断出来ない画家が多い昨今、氏の作品は、一見して作者が解る、現代では希有の作家である。私見だが、フランス素朴派のアンリ・ルソー、アメリカの女流画家グランマ・モーゼス、インド・チベットの仏教美術、曼荼羅、創美理論、ヘンリー・ミラーの自由画等が渾然一体融合し、氏独自の世界を織り成している。そして近年、タイトル、年号の後に「道」と記された作品が多い。これも私見だが、「道」とは、中国哲学で言う、宇宙、美や真実の根源を表す「タオ」の事であり、仏教で言う「涅槃」(ニルヴァーナ)の事ではないだろうか。氏の作品にしばしば「テントウムシ」が登場する。「テントウムシ」は「天道虫」と表記されるのだから、川崎氏は、人類を含めた全ての存在が、「タオ」、「ニルヴァーナ」に向かって進んで行く「天道虫」なのだと、絵画を通して表現しているに違いない。だとすれば、「存在とは進化」という私の考えと重なる部分も多い。氏の度重なる放浪は、「タオ」、「涅槃」、「楽園」を追い求める旅であったのだろう。そして異国の地で邂逅した「ニルヴァーナ」を絵にしたため、それを後世に残すことが自分の使命だと得心したと推察される。更に氏は、お年寄りの農民の穏やかな表情に、都会で寄り添いながらひっそり暮らす老夫婦の優しい心の中に、いたいけな幼児の天使の笑みの中に、純真無垢な子犬の優しい眼の中に、何気ない日常のひとときの営みの中にも、「涅槃」が確かに潜んでいる事も知っている。
 氏の芸術が、現世で正当に評価されることは困難であろうが、遥か数百年後、21世紀初頭の傑出した芸術家として、美術史を彩る事の方が困難でないのは確かだ。 


   久保貞次郎研究所2014年11月月報(第56回)   

    ~久保記念観光文化交流館の美術品展示館について~

  今月報では、先々週号真岡新聞(12月12日号)の「真岡賛歌その4」で言及したように、久保旧邸の美術品展示館について率直な感想を述べたいと思う。
 50年前、真岡市は、久保氏が提唱した「小コレクター運動」、「創造美育運動」の発祥の地であり、多くの文化人、芸術家が集う日本で屈指の現代美術最先端の町であった。その真岡市が久保旧邸を入手し、久保氏の私設藏美術館(久保アトリエ)を利用した、美術展示館を完成させた事、入館無料とした事は、市民として、研究所代表として、至上の喜びであり、市当局、関係者諸兄に心より感謝したい。美術館としては極めて小規模であるが、久保氏ゆかりの作家作品の展示という、明確な展示思想が有り、天井の大正時代の長い梁のごとく、背筋の通った、胸の張れる立派な美術館である。
 オープン以来10回程入館したが、何点か気になる所が有ったので、僭越ながら憎まれ役を買って出て、より良き展示館になるため、少しでもご参考になればと敢えて改善点を述べてみたい。
 第1点は、お年寄りがゆっくり座って鑑賞出来るように、中央に長いすを二つ設置して頂きたいという事。長いす二つがささやかな休憩所の機能を持ち、お年寄り、幼児にとって、芸術作品に囲まれたやすらぎの場になるかも知れない。
 第2点は、展示作品数を増やして頂ければという事。欧米の多くの美術館には、壁一面に出来る限り多くの作品を陳列し、入館者になるべく多くの作品を見てもらうという展示思想がある。それに反し、日本の多くの美術館では、ゆったりと作品を展示する傾向がある。善悪は別にして、当展示館は、小館ゆえ、欧米方式にしない限り、展示数が貧弱であるという誹りを免れない。芸術作品は、鑑賞者がいて初めて芸術作品たり得るという事を再度想起すべきである。
 第3点は、将来の補修、改修時の要望になるのだが、入り口の二つめの木製引き戸が、重厚すぎて入館を拒む印章を与えている。遮光、空調の意味も有るのだろうが、百を超える美術館を訪ねて、これほど無機質で寒々しい入り口は、数少ない。何十年も持ちそうな引き戸だから、当分は、可愛らしい展示作品ポスターを一枚作って貼っておくのも一考だと思う。
 以上の事は、非難めいた気持ちなど微塵も無く、紛うことなく郷土愛からのご進言であり、僅かでも関係者諸兄のご参考になれば幸いである。
 さて、今度は、地域住民が、この展示館を有意義に活用する番である。久保氏が言った、「生活の中に芸術を浸透させる」時である。老若男女、季節折々、展示館を訪れて、様々な作品と触れ合い、少しでも精神が昇華されれば、久保氏の夢見たユートピアへの、微かだが確かな一歩になるに違いない。


   久保貞次郎研究所2014年12月月報(第57回)

 12月の久保関連蒐集品は、久保氏と親交の深かったアイオーのシルクスクリーン作品24点で、同一作品であり、2015年度「芳賀教育美術展」の副賞にと考えている。副賞の無償提供は2015年度で5年目を迎えるが、ギュスタブ・ドレ版画作品は底をついてしまい、4年間続けたドレ版画作品の副賞提供は無理のようで、アイオーのシルク作品に換えようと思っている。入選数が約650点なので、副賞を揃えるのも1年がかりであるが、児童達の笑顔を思えば全く苦にならない。
 今月報では、「第28回芳賀教育美術展の審査を終えて」という拙文を、真岡青年会議所の担当者に手渡したので、その短文を掲載して月報に換えさせて頂きたい。
 「以前にも書いた事であるが、純真な子供達が描く児童画に優劣をつける事は、本来かなりの困難さを孕んでいる。しかし賞を決める美術展である以上、この困難さは甘受しなければならない。一般の美術展では、確固としたデッサン力に裏打ちされた完成度の高い作品が上位を占める場合が多いが、芳賀教育美術展では、2名の創造美育運動の重鎮がいらっしゃるので、自由で伸び伸びとした秀作が正当に評価され、喜ばしい限りである。
 最終審査に参加させて頂いて4年になるが、やはり他の美術展と同様、抽象画、抽象版画は人気が無い。それは、抽象絵画芸術論がまだ周知されていないが故に、致し方のない事だと思っている。私個人は、長年、抽象版画の大家、恩地孝四郎を研究してきたので、この場をお借りして、簡単だが抽象画の本質に触れたい。
 子供が絵を描いていると、多くの大人は、「何を描いているの?」と聞く。抽象絵画芸術論を知るまでは、私もそうであった。「何言ってるの、おじさん」と怪訝な顔をする児童が少なくなかった。児童達は、ただ画用紙に、自分の手から創出された、色、点や線の形を純真に楽しんでいるに過ぎない。何かを描こうとして描いているのではない。この太い道の先に抽象絵画がある。もちろん、自分の心のフィルターを通して、世界を写したり、頭に描いた像を具象化する事も、人間の本来の行為であり、具象芸術も重要である事は言うまでもないが、抽象芸術もそれに劣らず重要である。
 最後になったが、出品なさった全ての皆様と御父兄に明記して頂きたい事は、これらの賞は、審査員各位の信条、趣向の結果であり、審査員が替われば結果も変わるという事である。だから、入選しなかったから、もう絵は描かないなどと、ゆめゆめ思わないでほしい。楽しく自由に絵を描く事は、精神を躍動させ、自分を成長させる事なのだから。」


   久保貞次郎研究所2015年1月月報(第58回)

 新年1月の久保関連蒐集作品は、昨年12月月報で言及したアイオーのシルクスクリーン版画と同一作品で、所有者に、作品は地元の美術展の副賞として無償提供の予定であると伝えると、所有者のご厚意により幸運にも大量に購入出来た。今年度第29回芳賀教育美術展では、入賞者200名全員に、この作品を贈呈させて頂ければと考えている。更に、来年の第30回記念大会では約650名の全入選者、入賞者にこの作品の贈呈をと、無謀にも夢想している。もし実現すれば、多くの人々に数多くの作品をプレゼントした久保氏も、天で、仰天しながらも拍手喝采してくれるであろう。
 先日、真岡青年会議所の副理事長と、今年度美術展担当委員長、元委員長の3氏が、新年の挨拶に来宅され、彼らから、第28回まで、少なからぬ運営費は、真岡青年会議所が工面してきた事、第29回で運営費の基金が枯渇してしまう事等を知らされた。第30回からの運営費については、審査会の一層の経費節減について建設的な話し合いをしたが、久保研究所でも副賞無償提供以外の支援が可能かどうか考慮すると彼らに伝えた。30年近く続いた芳賀教育美術展が終焉を迎える事は、芳賀の地の文化の灯火が一つ消える事であり、多くの方々の力をお借りして、なんとか、微力ながらそのまばゆい灯火を守ろうと思っている。過去28年間で、幼少の時天才の様に絵を描き、見事入選、入賞を勝ち取り、小さな宝石の様なその思い出を心の片隅にそっと仕舞われている1万6千人を超える方々の為にも。
 1月27日、私の拙本「著作集第5巻」のゲラ摺り第1校を、真岡新聞社の方が届けてくださった。3月末出版の予定だが、3月中旬には発行出来るかも知れない。内容は、真岡新聞掲載文28篇と久保研究所月報24篇、それに渡辺私塾文庫所蔵品目録の3部構成になっている。そして第4巻までと同様に、第5巻の表紙絵も、娘の日洋展入選作品が飾っている。地元にしっかり根付いた新聞社から本を出版出来る自分の恵まれた環境に、いくら感謝してもしすぎる事はないが、もっと密かな喜びは、娘の油彩画を表紙絵にしている事であり、これ以上の贅沢は無い。
 話は少し戻るが、娘は芳賀教育美術展で、幸運にも2度久保賞を頂いている。久保賞のメダルを見つめ、幼児の様に自由に絵を描きたいという気持ちに素直になった時、絵を描き出した。芳賀教育美術展が無かったら、今絵を描いていないだろう。娘にとって、もっと幸せな人生が有ったかどうかは別にして、少なくとも「生活の中に芸術が浸透している。」そしてそれこそが久保氏が目指した事、思想に他ならない。その意味で、再度言う。微力ながら、まばゆい灯火を守ろうと思う。


    久保貞次郎研究所2015年2月月報(第59回)

    ~渡辺私塾美術館6月末開館予定~

 2月の久保関連蒐集品は「木村利三郎」のシルク作品3点と、久保氏旧蔵作品である「若林元司」のリトグラフ2点であった。木村版画は小品ながら、ニューヨークシティーシリーズの秀作であり、若林版画は久保氏旧蔵品ということで入手した。久保氏と若林氏との関連は不明だが、1988年の作品なので、久保氏がまだ御存命の時であり、例のごとく、作品を買い上げる事で、優れた若い作家を支援したのかも知れない。
 2月27日の真岡新聞紙上で既に公表した事であるが、私にとっても、久保研究所にとっても、重大でかつ喜ばしい出来事があった。渡辺私塾駅前教室及び駐車場として入手した所に、綺麗な倉庫が併設されていたので、渡辺私塾美術館として利用する事が決まったのだ。美術館設立は私の40年来の夢であり、嬉しい限りだが、有る程度の手直しも必要なので、6月末の開館を目指している。真岡市「久保記念観光文化交流館」美術品展示館と同様、入場無料とし、当分の間、来館者にはセル画か版画を一人一点贈呈するという蛮行も検討している。また、私が常駐できる日時は限られているので、真岡駅SL館イベントに合わせて当面日曜日午後のみの開館を予定しているが、土曜日、祭日もオープン出来るよう努力するのは言うまでもない。真岡駅イベントに来訪された方々が、そのまま足を運んでくださり、オリジナル作品を手に、喜んで家路について頂けるようになれば、それ以上の幸せは無い。
 渡辺私塾文庫、久保研究所の所蔵作品数は、版画を含めれば数千点に達するであろうが、震災でかなりの被害を受け、何点展示可能かは未だ不明である。それでも比較的大きい作品は被害が少なかったので、展示作品は、無名だが実力派作家の大作(10号~120号)を予定している。だが、時には、オリジナル版画ではない廉価なエスタンプ版画であっても、竹久夢二や山下清のような馴染み深い作品展示も考えている。もともと倉庫を利用するワイルドで質素な美術館であるから、今までの常識を覆す型破りの美術館運営を目指すつもりであり、入場無料のお土産プレゼントもその一つだが、入場者が極めて少なくても、型破り美術館なのだから一向に気にしない。純真無垢な児童や、人生を見事に生き抜いたお年寄りが一人二人来館して頂ければそれで充分である。
 真岡駅近くに妖しげな美術館があり、恐る恐る入ってみたら、黒い服着た変なおじさんが居て怖かったが、帰りに版画もらっちゃってラッキー、という噂が波紋を呼び、波紋が波紋を呼んで、真岡市は、SLの町であると同時に芸術の町だ、という評判を勝ち取るための、些細な捨て石になれれば幸いである。


   久保貞次郎研究所2015年3月月報(第60回)

 3月の久保関連蒐集品は皆無であった。1年で一番多忙の時期なので致し方無い事であるが、時間というものは使い方次第で、多少は融通のきくものなので、本業の私塾運営、久保研究所、渡辺私塾文庫、美術館建設、著作集出版に向けて邁進するつもりである。
 3月8日、真岡市の久保講堂で開催された「烏山和紙に等身大の絵を描こう」展示会を見に行った。久保講堂では、描いた和紙で大きなテントが作られていて児童達の息遣いが感じられ、和紙によるドレス作品も展示されており有意義な時間を過ごす事が出来た。烏山和紙には縁があって、18年前に、限定稀覯本詩画集「潮に聞け」を、烏山和紙を用いて出版した。翌年には「応援歌~血から知へ果てしなき旅~」を、更に翌年「愛の三行詩第2章」を美しい烏山和紙を用いて出版した。この3冊は、知り合いの古書店主や文化人に贈呈し、今は手元に各1部しか残っていないが、手作り版画を添付したり趣向を凝らしたけれど、烏山和紙の美しさには到底及ばなかった
 久保講堂の展示会は、真岡青年会議所主催で開催され、以前にも書いたが、会員諸君は、少なくない年会費を払い、爽やかに密やかにボランティア活動に没頭している。声高に自慢する訳でもなく、賞賛や報酬を求める訳でもなく、誰かに媚びる訳でもなく、会員同士助け合い、肩を震わせながら無私の活動を続けている。私は、かれらの中に、真の人間の繋がりを見る。大げさだが、人類の希望と未来を見る。
 3月31日、私の拙本「著作集第5巻」が真岡新聞社より刊行された。久保研究所とは無関係に思えるが、月報が第33回から56回まで所収されていて、月報が著作集の柱の一つになっているのは言うまでもない。月報は、まずホームページに、次に真岡新聞に掲載して頂き、最後に著作集に所収するという3段階の公表システムをとっていて、5年前に久保研究所を立ち上げた時からの私の決意でもある。
 先月月報で、渡辺私塾美術館6月末開館予定と書いたが、広い駐車場の整備が3月末で完了し、4月初旬から中2階工事も始まり、4月末には、大きな倉庫を改造しただけのワイルドな美術館が完成予定なので作品搬入に1ヶ月かかるとして、5月末には開館できるかも知れない。当分は、真岡駅SLイベントに合わせて日曜日午後だけの開館であるが、入場無料で、来館者へのオリジナル版画または1点ものセル画プレゼント計画は不変である。美術館建設は私の40年来の夢であり、ここだけの話だが、私は40年かけて、プレゼント用版画・セル画を蒐集してきた。プレゼント進呈が何ヶ月続けられるかは、来館者数によるが、余りの蛮行に、久保氏も天で苦笑しているだろう。それでもこの蛮行が、久保氏が夢見た「芸術を生活の中に浸透させる」事に、私が夢想する「全ての人が芸術家である社会」の実現に向けて、些細な捨て石になれればと願っている。


   久保貞次郎研究所2015年4月月報(第61回)

  4月の久保関連蒐集品は3月に続いて皆無であったが、渡辺私塾美術館オープンの準備と、仕事始めもあって余儀ない事である。多くの塾生の将来を僅かでも担っている塾の仕事に、例年以上に注力しなければならない事は自明中の自明であると充分自覚している。
 美術館開館予定日を5月24日日曜日に設定しているため、睡眠時間を削って毎日1時間ほど時間をさいているが、私一人で作品展示作業をしているので遅々として進まない。それでも40年来の夢の実現なので、至上の喜びに包まれての作業であることは言うまでも無く、連休明けには展示作業を終了する予定だ。
 展示作品選択作業で気づいた事は、震災の影響が想像以上であり、カバーガラスの破損、額の損傷、キャンバスの破れ等、約半数の作品が展示不能に陥っていた。私の作品管理の不備が今回の震災で露呈した形だが、真岡市は震度6強の未曾有の揺れであったので、想定外として許されるであろう。
 美術館は、倉庫を少し改修しただけの建物で、面積も「美術館」に該当せず、実体は、渡辺私塾併設ギャラリーにすぎないが、私の夢の結晶であり、作品に出会った時の、多くの子供達、お年寄りの笑顔を想像して奮闘している次第だ。一階は常設展として、日本画、洋画、版画を中心に50点程私の好きな絵を飾り、中二階には、特別展として竹下夢二エスタンプ(復刻版画)約60点の展示を予定している。エスタンプ版画に物足りないプロの方々には、受付近くに夢二肉筆の稀少な挿絵原画3点も展示予定なので、不満は無いのではと思うのはやや傲慢か。当面真岡駅SLイベントに合わせて、日曜日正午から5時の開館であるが、来年には土曜日、祭日も開館出来ればと考えている。
 以前から何度も公表している通り、入場無料とし、来館してくださった方々には版画を贈呈させて頂く予定であるが、混雑を避けるため、最終告知は今回の月報のみとした。かなりの人が来てくれるよ、と言ってくれる友人もいるが、多分十数名であろうと思っている。
 第2回特別展は、山下清エスタンプ展、第3回特別展は、恩地孝四郎展を考えており、恩地孝四郎展は来年か再来年になるであろうが、都会の専門家も来館する内容にしたい。
 人は芸術と無縁でも生きていけるが、人生に潤い、優しさ、ゆとり、趣向、目標をもたらす物の一つは芸術であり、音楽、美術、文学等は、私達の心の奥底に確かに届く聖水である。その聖水の通り道は、音楽、美術、文学では異なったルートで心底に届くようで、私にとってもそれらは必須の聖水であるが、私の経験では、どうやら「美術の通り道」の構築が一番困難であると認識している。画集や詩集を求めに行かない今の若者でも、音源を購入する者が多い事から推察出来るように、若者は「音楽の通り道」を既に十二分に構築しているようなので、渡辺私塾美術館で「美術の通り道」を構築する人が新たに一人でも増えていただければ幸いである。真岡駅前に変な美術館が有り、黒服の無気味なおじさんが居て入りずらいが、入場無料で版画のお土産もらえるよ、という噂が口々に伝わり、真岡市を訪れる人が僅かでも増えれば幸甚である。


   久保貞次郎研究所2015年5月月報(第62回)
       ~渡辺私塾美術館5月24日開館~        代表 渡辺淑寛
 
 去る5月24日(日)、40年来の夢が叶い、美術館開館の運びとなった。前日土曜日の内覧会には、ご招待者30名程が、翌日の開館日には70名程の来館者が有り、予想以上に盛況であった。予想では、内覧会10名、開館日は十数名であったので、数ヶ月に及ぶ一人での苦しくもあり、この上なく楽しい準備が報われた思いである。お土産の、久保氏縁(ゆかり)の画家「アイオー」のオリジナルシルク作品「ラブレターズ」も60名の方に贈呈させて頂いた。(ご家族での来館者にはご家族で1点。またお一人様1回限り贈呈。)
 倉庫を改装しただけの粗末でワイルドな美術館だが、今までの美術館にまつわる多くの因習を捨て、入場無料、お土産としてオリジナル版画プレゼント、日曜日のみ開館、内覧会の翌日の開館日には常設展に作品を5点追加、5月31日に更に5点追加等、型破りの美術館にしたつもりだ。因みに5月31日には、常設展85点、竹久夢二特別展70点が展示出来、極小規模の美術館として、どうにか恥ずかしくない美術展になったのかも知れない。来館者のご芳名の記帳も省略させて頂こうと考えたがアイオーのオリジナル作品を誰が所蔵しているか、将来判明出来るように、市町村名とご芳名のみ記帳させて頂いた。
 最初は日曜日正午から5時まで開館の予定であったが、日曜日夜仕事があり、体力的にかなり厳しいので、5月31日より午後1時から午後4時までとさせて頂いた。ご了承願いたい。
 アイオーのシルク作品は、プレゼント用として900点用意しているので、あと1年は充分補えるであろう。残部作品は、芳賀教育美術展の副賞にと考えている。
 館の一角に、「お子様用お絵かきコーナー」を急遽設置した。設置理由は、知り合いの小学生が、私が学生時代に描いた、訳の解らぬ狂気の絵(詩画集「潮に聞け}に所収)を見て、琴線に触れたのだろうか、一心不乱に素晴らしい絵を描き出した為である。宿題でいやいや描くのでなく、どうしても描きたいから、色と形でしか表現できないから、という真の絵画表現を再認識させられたからに他ならない。そう言えば私の「潮に聞け」の絵も、学生運動の陰惨な袋小路の中で、半年間何かに取り憑かれたかのように描き殴った数百枚のペン画であった。蛇足ながら「潮に聞け」の原画の一部と、小学生の絵も展示されている。更に蛇足ながら、私の拙本「著作集」の表紙絵になった娘の油絵も展示されており、ご興味の有る方は来館頂ければ幸いである。
 竹久夢二の作品70点は、復刻版画とセノオ楽譜表紙絵が主だが、夢二のアルス児童文庫挿絵原画3点も受付近くに目立たぬように展示されているので、お帰りになられる時是非ご覧になって頂きたい。
 なお、パンフレットにあった古沢岩美の艶めかしい油彩画は、やや刺激が強く、鼻血を出してしまう男子高生も出てくるのではと懸念し、展示を割愛させて頂いた。


   久保貞次郎研究所2015年6月月報(第63回)
      ~渡辺私塾美術館6月28日常設展18点追加し103点に。7月5日よりほぼ全作家に略歴・解説書添付。~代表 渡辺淑寛~

 美術館を開館して1ヶ月が過ぎた。入場無料で来館者にオリジナル版画プレゼント、日曜日午後1時から4時のみの開館、写真撮影自由、倉庫改装ワイルド美術館、毎週作品追加、お子様お絵かきコーナー設置、展示作品十数点の掲載図録準備等、愚行とも言える型破りな運営だが、多くの喜び溢れる出会いも有った。紙面の都合上、二つの出会いのみ報告したい。
 一つ目は、外国人来館者2名との出会いである。思いもかけず、タイの女性とアメリカの男性が自転車で来館された。後から解った事だが、私の教え子の農園にホームステイしている旅行者であった。タイの女性とは英語を通しての会話であったが、色々話しをして楽しい時間を過ごす事が出来、彼女から多くの事を教えられた。
 彼女は、ある1枚の油彩画の前に座り込み、長い間じっと見つめていた。その絵は、長い苦しみの時を経て、やっと光明を見いだした時に描かれた「光と私と犬」という、私の娘作の80号作品であった。同じ女性として何か感じるものがあったのだろう。これが本当の絵画鑑賞だと初めて教えられた。日本の美術館で座り込んで展示作品を見ようものなら怖いガードマンに摘まみ出されてしまうだろう。タイでは当たり前なのかもしれないが、彼女は絵と真っ直ぐ向き合い、色と形が創出する絵画芸術宇宙を探遊していた。その後、私が43年前に描いた訳のわからぬ恐ろしいペン画の前で歓声をあげた。14年前の私の拙本「潮に聞け」の原画の一点の前で。もちろんそれらの展示品が、娘の作、私の作などとは、彼女に知らされていなかったのは言うまでもない。また高名な美術教育者にも、私の原画をお世辞混じりに褒めて頂いたので、嬉しくなって、行方不明であった原画9点を、阿修羅のごとく探しだし6月28日、「潮に聞け」全原画24点、嬉々として展示した次第である。
 米国の男性は、経済学を修めたエリートで、日本語も流暢であり、知性溢れる好青年であった。様々な事を教えて頂いたお礼に、私の拙本を二人にプレゼントさせて頂いたのだが、後日タイの女性は、そのお返しにタイカレーを持参してくれた。食するのは、正直やや勇気がいったが、家内と二人で、独特の香辛料やココナッツ入りカレーをおいしくいただいた。また米国青年も、手作り梅ジャムを私のプレゼントにと知人に託して帰国された。「義理堅い」とは日本独自の文化だと思っていたが、万国共通であると再確認させられた。もうあの二人と会うことは叶わないであろうが、今や二人は、私の数少ない心の友である。
 二つ目の出会いは、男子高生に鼻血を出させる古沢岩美の艶めかしい裸婦油彩画にまつわるものである。(6月28日より展示)鼻血の話と全く無関係に、偶然古沢氏のご遺族から、お手紙を頂いた。私が「渡辺私塾文庫ホームページ」に、古沢芸術の本質は、反戦思想であり、33年間かけて完成させた、中国での悲惨な戦争体験を描いた銅版画集「修羅餓鬼」がその証左である事、古沢氏が営々と描き続けた妖艶な女性群は、人類を救済する女性戦士だと書いた事に対するお礼のお手紙であった。美術館を開館した事、古沢作品は展示を一ヶ月遅れらせた事、家内が41年前、名古屋でお父様に、有り得ないほど美しい似顔絵を描いてもらい、今も大切にしているという縁(えにし)について、お返事を差し上げた所、建築家で舞踏評論家のご子息様が、何と東京から不意に来館してくださった。一流の文化人と歓談できて楽しい一時であった。
 入館者から、マニアックな作品もあるので、画家の簡単な解説書があれば良いのですが、というご要望がありましたので、少し厳しい作業でしたが、7月5日よりほぼ全作家に略歴・解説書を添付致しました。また、オリジナル版画プレゼントは当分続行の予定です。初めての方、一度いらっしゃった方のご来館を、心よりお待ちしております。


   久保貞次郎研究所2015年7月月報(第64回)
      ~渡辺私塾美術館7月、常設展6点追加し109点に。当分オリジナル版画プレゼント継続実施~代表 渡辺淑寛

 美術館を開館して既に2ヶ月が過ぎた。日曜日午後1時から4時のみの開館であるが、多忙の中、また仕事が増えて、大変でしょうと言われるが、全く苦にならない。かえって土曜日あたりから、小学生のように、わくわくした気持ちでいる。開館初日は、正午から5時であったのだが、その後、高3英語という重要な授業があるので、さすがに時間的体力的に無理で、1時から4時開館にさせて頂いた。
 7月16日と29日の下野新聞に、2度開館の記事を掲載して頂いたので、芳賀郡内からは言うに及ばず、佐野市、栃木市、宇都宮、千葉、埼玉からの来館者もあった。喜ばしい限りである。また、久保記念館の素敵なレストラン「こころ」のオーナーシェフ様にもお忙しい中、来館して頂き、楽しいお話が出来た。お話の様子から、レストラン内に絵を飾りたいお気持ちが察知出来たので、私に無償で絵を飾らせてほしいと、無理矢理納得して頂き、翌日、シャガールのリトグラフ4点をレストラン内に掛けさせて頂いた。今後季節毎に違った絵を飾らせて頂ければと思っている。関係者の皆様、私の我が儘をお許し願いたい。
 当美術館の常設展は、開館当日は75点であったが、少しずつ展示作品を増やし、8月9日には110点にもなった。2ヶ月も経たない内に、常設展展示作品が35点も増える美術館は希有であろうが、倉庫を改装しただけの型破りな美術館なのだから、一向に気にしない。
 エアコンを設置したのだが、鉄板屋根なのであまり効果がなく、エアコンをつけたまま、入り口の大きなシャッターを開けているので、かなり暑い。それでも汗をかきながら、竹久夢二の涼しげな版画を見るのも一興だろう。
 ある来館者様に、久保研究所と当美術館の関係について尋ねられたが、現在の展示作品は、久保研究所と渡辺私塾文庫の収集作品であるので、当美術館と久保研究所と渡辺私塾文庫は、ほぼ一体である。ここで、久保氏の小コレクター運動について、少し触れてみたい。久保氏は60年前真岡市の久保ギャラリー(現久保記念観光文化交流館)を中心に、一人3点オリジナル作品を所蔵し、「生活の中に芸術を浸透させる」という「小コレクター運動」を展開した。その運動の中で、久保氏は、池田満寿夫、瑛九、アイオー、北川民次、竹田鎮三郎、オノサト・トシノブ、安藤幹衛等の版画を、廉価で販売した。今でも、芳賀郡に彼らの貴重な作品が宝石のようにちりばめられているのは、その運動の賜である。久保氏が、帰天するまで、「国家の無い世界」という思想をはらむエスペラント学会会長であった事を考え合わせると、人間は芸術性を生活の中に取り入れて、個々人が人格的に成長しない限り、人類の進化など有り得ないという思いが、久保氏の確信であったと推察する。その思想を根底に、創造美育運動、大学学長としての教育運動、美術評論、美術品コレクター、美術館館長、芸術家の支援者、版画プロデューサー等の活動があったに違いない。
 久保氏の思想とは全く別に、私も、様々な活動の中で、数千年後「全ての人が、詩人、芸術家である社会」を、ここ数十年夢想してきた。そして気恥ずかしい事であり、久保氏の万分の一のスケールであるが、無自覚に久保氏と似たような事をしてきたのは、久保氏と私の思想の根幹がかなり重なり合ったためかも知れない。厚顔無知にも、5年前、久保研究所を、躊躇無く設立出来たのも、その「重なり」が原動力であった。「万分の一のスケール」が「千分の一のスケール」になれるかどうかは、私の努力にかかっているが、地上に生のある限り、少しずつ前に進んでいこうと思っている。
 当分の間、来館者様に、アイオーのオリジナル版画プレゼントを実施しています。ご来館、心よりお待ちしております。


  久保貞次郎研究所2015年8月月報(第65回)
      ~渡辺私塾美術館8月、常設展7点追加し116点に。当分オリジナル版画プレゼント継続実施~  代表 渡辺淑寛

 大胆にも美術館を開館して、はや3ヶ月。日曜日の開館が、私の日常の中に心地よく根を下ろし、当たり前のように、爽やかに流れている。来館者は多くないが、そんな事はどうでも良い。自らの目と足で所収した絵に囲まれて、たとえ灼熱の盛夏であっても、日曜の午後過ぎゆく数時間は、涼しいそよ風の様で、まさに至福の時である。そしてその数時間は、眼前のそれぞれの作品の辿った数奇な来歴と、私との不思議な縁(えにし)に思いを馳せる、麗しい時でもある。
 8月は、常設展作品を7点増やして、計116点になった。竹久夢二特別展70点を加えると計186点展示となり、小美術館として恥ずかしくない展示数であろう。
 隙間無く並べる展示方法には違和感を覚える方もいらっしゃると思うが、ターナーの秀作を多く所蔵する英国のテートギャラリーの展覧会場の写真を用意させて頂いたので、一度ご覧になって頂きたい。隙間無く展示している。これは美術品展示思想の違いである。わざわざ来て頂いた方に出来るだけ多くの作品を観てもらいたいという外国美術館の展示思想と、日本での、もったいぶった、ちょびりちょびりみせる展示思想の違いである。そう自分に言い聞かせて、9月6日用に、恩地孝四郎木版画3点(恩地邦郎刷)を、僅かなスペースを見つけて展示し、総計189点になった。幻の版画家、装幀家、詩人恩地孝四郎ファンは一度足を運んで頂ければ幸いである。代表作木版画「萩原朔太郎像」(平井刷)、油彩画「並木のある道」(6号)、木版画「海にいる人物」(邦郎刷)も、既に開館初日から目立たぬように展示している。
 以前の月報で触れたが、お子様用お絵かきコーナーを用意し、出来た作品をお見せ頂ければ、ご褒美に、テレビアニメのセル画を差し上げている。また絵画より言語の方が内面の思いを表現し易いお子様には、原稿用紙も用意してあるので、内なる情念を言葉に載せて、思いの丈を発露してほしい。私は、二つの大学で、化学と美学美術史を学んだが、正直言うと、言語表現、音楽表現、肉体表現、美術表現等は対等の表現手法だ思っている。例えば、歓喜で溢れんばかりの幼児の顔の表情は、神々しく、目映く、まさに肉体表現の魁である。かつて遠縁の幼子に、顔より大きいキャンディーをプレゼントした時の、彼の金色の笑顔を今でも忘れない。市内のスーパーでの出来事であったが、周囲の風景は一切消え去り、彼の笑顔だけが、私の視界を覆い尽くし、海より深い感動と喜びを与えてくれた。人間は他者を感動させる様々な力を持ち、その力の発露を芸術と呼ぶのだろう。久保氏は美術表現に重きを置いたが、私は全ての芸術表現を考慮する立場である。もちろん久保氏は全てを理解した上で、まずは美術表現を武器に、「人間の解放」を思索したに違いない。私は「解放」に対して、「進化」という言葉を使うが、本質は同じである。そうそう、私の拙書著作集5冊の副題は「存在とは進化」であった。そして、そうそう私の口癖は、「遙か数千年後、全ての人が芸術家で詩人で哲学者で宗教家で、赤銅色の肉体を持つアスリートである社会」である。
 当分の間、来館者様に、アイオーのオリジナル版画プレゼントを実施しています。日曜日午後1時から4時までの開館ですが、ご来館、心よりお待ちしております。


  久保貞次郎研究所2015年9月月報(第66回)
     ~渡辺美術館9月、常設展7点追加し123点に。当分オリジナル版画プレゼント継続実施~
     ~6年連続で、久保研究所より、芳賀教育美術展副賞提供~          代表 渡辺淑寛

 去る9月17日、久保貞次郎ゆかりの久保講堂で第29回芳賀教育美術展の最終審査会に出席した。久保研究所代表審査員として5年連続の参加であり、久保研究所賞を創設させて頂いて4年になるが、各賞、講評については、分をわきまえ、差し控えたい。
 関係者の方々に無理を言って、6年前から、久保研究所より副賞を提供させて頂いている。5年間は、各賞に合わせて、油彩画、日本画、版画、本、ノートなどを受け取って頂いたが、今年は趣向を変えて、約700名の入賞者全員に、アイオーのシルクスクリーンオリジナル版画を贈呈させて頂いた。700名の児童に、同じオリジナル版画を副賞として贈呈する美術展など、世界でも希有であろう。
 思い起こせば、久保貞次郎氏は、60年前、真岡市で「小コレクター運動」を提唱し、一人一人がオリジナル芸術作品3点を所有し、生活の中に芸術を浸透させる事で、人類の人間的成長、精神の解放を願った。何かの縁(えにし)で、久保研究所を創設した私が、芳賀の地に多くの作品をちりばめる事は、微力だが、久保氏の思いを継ぐ事であると自らに言い聞かせ、今後も一歩一歩地を這うように前進するつもりである。
 真岡駅前の渡辺美術館9月の常設展には、執念で、展示スペースを見つけて、7点追加し、123点展示となった。竹久夢二特別展70点と合わせて193点展示となり、建物設備等は三流だが、展示作品数、作品の質は、どうにか二流になったといって良いだろう。以前来館された美術の専門家が、「他の美術館でもそうは見られない作品が、沢山何気なく無造作に置いてあるね」と呟いてくれた事が、心底で心の支えになっている。
 大震災で行方不明になっていた、河内成幸作「0次元ニューヨーク・Ⅲ」を、数日前偶然発見したので、恩地孝四郎木版画「人体考察・肩」と一緒に、10月4日用に展示した。これで10月4日は125点の常設展展示となる。河内作品は限定23部の木版画大作で、阿部出版レゾネ本にも掲載され、大英博物館にも所蔵されている代表作であり、一度ご覧になって頂ければ幸いである。恩地作品と同様、河内氏も好きな作家で、大作をあと数点所収していたはずなので、時間を見つけて探してみようと思う。
 当美術館の特徴は、入場無料、当分版画プレゼント、お座り頂ける多くの椅子、お子様用お絵かきコーナー、日曜日午後のみ開館、写真撮影自由などであるが、もう1点の特徴は、展示作品の図録、または展示作家の図録が用意されていて、自由に閲覧出来る点である。古い図録を収集することは作品収集に劣らず困難であるが、私は40年来の稀覯本コレクターでもあるので、得意分野で苦にならない。せっかく、分不相応にも美術館を開館できたのであるから、今までの因習に一切囚われる事の無い自由な創造空間を創設出来ればと切に願っている。
 日曜日午後1時から4時までの開館ですが、ご来館、心よりお待ちしております。


  久保貞次郎研究所2015年10月月報(第67回)
     ~渡辺私塾美術館10月、常設展29点追加し152点に。第2回企画展「山下清版画展」30点展示。第1回企画展「竹久夢二版画展」70点も同時展示~
     ~久保貞次郎と恩地孝四郎~                                         代表 渡辺淑寛

 渡辺私塾美術館の常設展10月追加作品数は29点で、大幅追加であった。これで常設展は計152点となり、小規模倉庫美術館としては恥ずかしくない点数であろう。更に、11月1日の開館にあわせて、前日、第2回特別展山下清版画展30点の準備が完了し、第1回特別展竹久夢二版画展70点も同時展示の形をとったので特別展は100点展示で、計252点となった。美術館開館構想中、150点展示出来れば最高だろうと思っていたので、望外の喜びである。
 第2回企画展山下清展は来年春頃にと思っていたが、「どうせ、企画展は1回で終わりだよ」という心無い噂が耳に入ったので、一念発起して、11月1日から実施した。山下清版画は全て復刻版画であるが、日本では、30点のみ制作されたと聞いているので、もし事実だとすれば、当美術館でその30点が全て見られるので、ご来館頂ければ幸いである。
 第3回企画展は「恩地孝四郎展」を考えているが、かなり大掛かりになるので、来年の初秋を予定している。恩地孝四郎は、日本ではやや馴染みの薄い芸術家であるが、日本抽象版画の先駆者で、詩人で、稀代の装幀家で、未だ謎多き巨人であり、近年研究が進み、海外では棟方志功と並び称される作家である。主に本の装幀で生計を立てていたので、多くの作品を手放す必要もなく、それ故刷り部数も少なく、更に、その数少ない作品は、米国の優れたコレクターが自国に持ち帰ってしまったので、多くの恩地オリジナル作品を鑑賞するためには、米国に行かねばならない。プラグマティズム思想を背景に持つ米国収集家達は、無名作家だろうが芸術性の高い作品は躊躇無く収集し、作品の質よりも作家名に迷い踊る日本の美術関係者は、恩地作品に一瞥も投げなかった。確かな鑑識眼を持つ久保氏でさえ、恩地が、1955年63歳で他界した後、「恩地孝四郎の思い出」の中で「この独創的で詩情豊かなスケールの巨きな作家のもっている真の価値を、かれが生きているあいだに見定めることができなかった、ぼくの能力の低さを軽べつし、あわれんだ」と書き、終生悔恨の念を禁じ得なかった。それでも、1975年の「恩地孝四郎版画集」刊行の折には、資金難の時、久保氏は惜しみない助力を注いだと言われている。私は、久保氏が恩地作品を評価しなかった理由について別な見方をしている。皇室関係者の教育係を務める程の格式高い家に生まれ、裁判所検事を父に持ち、気位の高い孤高の芸術家恩地氏と、他の美術評論家から嫉妬されるほどの大富豪で思想家の久保氏は、何度かの出会いが有っても、お互いが歩み寄る事を、本能的に、水と油のような存在として避け合ったのではないかと、私は考えている。
 40年以上も前から恩地芸術に興味を抱いていた私は、18年前、アルス日本児童文庫76冊のうち、54冊の表紙絵恩地肉筆原画と多くの挿絵原画を入手した。オリジナル版画ではないのでそれ程高価ではないが、作品数が極めて少ないと言われている中、54点の表紙絵原画と百点におよぶ挿絵原画、木版画、油彩画、水彩画、多くの木版画入り稀覯本の恩地展覧会は、日本でも希有な催しになるに違いない。そのプレリュードとして、現在恩地油彩画2点、水彩画1点、恩地木版画本から8点、後刷り木版画11点計22点を展示している。
 入場無料、アイオーのオリジナル版画プレゼントはまだ継続しています。日曜日午後1時から4時までの開館ですが、ご来館、心よりお待ちしております。


  久保貞次郎研究所2015年11月月報(第68回)
     ~渡辺私塾美術館11月、常設展38点追加し190点に。第1回企画展「竹久夢二版画展」70点、第2回「山下清版画展」30点も同時展示。計290点展示~
     ~新年1月9日、宇都宮大で「久保貞次郎と北川民次を語る」美術シンポジウム開催。代表が語り手として参加予定~       代表 渡辺淑寛

 渡辺私塾美術館11月追加作品は38点を数え、常設展190点になり、夢二作品70点、山下清版画30点と合わせ計290点展示となった。超過密展示であるが、来館してくださった方々にできるだけ多くの作品を観て頂きたいという事が、私の展示思想であり、今後も少しずつ追加していこうと思っている。超過密の言い訳に、英国テートギャラリーの過密展示の写真をそっと置いている事は以前言及した。
 追加作品のほとんどが恩地孝四郎作品で、来年初秋開催予定の第3回企画展「恩地孝四郎展」のプレ展として、既に44点展示した。来年の企画展は最終的に恩地作品270点を予定していて、現在、1日数点、アルス日本児童文庫表紙絵原画、挿絵原画の額入れを行っている最中である。来年1月13日から、東京国立近代美術館で「恩地孝四郎展」が開催され、260点余が展示されると聞いたが、点数だけでも同程度の企画展にしようと夢みている。もちろん作品の質、希少性では、月とすっぽん、雲泥の差であるが、アルス児童文庫関連作品は1点物で、当美術館でしか観られないので、その点では、多少胸を張れるかも知れない。来年の夏頃から、全国の恩地研究家に周知し、真岡市に来訪して頂ければと、夢想している。
 来年1月9日、宇都宮大学8号館大教室で、フレンドシップ事業美術シンポジウム「久保貞次郎と北川民次を語る」(参加費無料)が開催される運びとなった。第1部の語り手としてご招待に預かったので、久保研究所代表として参加を予定している。真岡市、芳賀郡の皆様も多数ご参加頂ければ幸いです。
 何度も言及した事であるが、私は、久保氏の活動を10種に分類していて(①美術評論家②美術品コレクター③ヘンリーミラー絵画の紹介者④多くの芸術家の経済的思想的支援者⑤現代版画のプロデューサー⑥創造美育運動の創設者⑦小コレクター運動の提唱者⑧エスペラント学会の会長⑨跡見学園短大学長(教育者)⑩町田市立国際版画美術館館長)、私の久保研究所創設の主な動機は、正直言えば、⑦の「小コレクター運動」と⑧のエスペラント運動」であった。小コレクター運動とは、各自がオリジナル作品を3点所有し「生活の中に芸術を浸透させる」運動であり、エスペラント運動とは、世界共通語のエスペラント語の普及である。当時エスペランチストは、アナキズムや極左と関係を持つ者もいたが、久保氏は中道主義の立場をとった。戦前の中道主義は、当然反体制でもあり、体制側と左翼の両方から非難される一番厳しい立場であったが、終生中道主義を貫き通した。久保氏は、口に出さずとも、遙か数千年後、全ての人が芸術家である社会、全ての人が、哲学者で、同時に科学者で宗教家で、詩人で、褐色の肉体を持つアスリートである社会、国家も、戦争も、暴力も、差別も、貨幣も無い社会を密かに夢見ていたのではないだろうか。そしてこの夢は、私の40年来の夢でもある。


   久保貞治郎研究所2015年12月月報(第69回)
    
~渡辺私塾美術館12月、常設展33点追加し223点に。第1回企画展「竹久夢二版画展」70点、第2回山下清版画展30点同時展示。計323点展示~
      ~12月20日名古屋大教授当美術館に来館、翌21日テレビ番組ディレクター来館~
 
12月追加作品33点のほとんどは、恩地孝四郎作「アルス日本児童文庫挿絵・表紙絵原画」で、残された僅かなスペースに展示した。いつの間にか恩地作品は77点を数え、もう少し追加すれば、小規模の恩地展になりそうだが、既に超過密状態で、今後の追加は困難かも知れない。3月から、少しずつ夢二作品と恩地版画作品を入れ替えて、最終的には、恩地作品300点展示を目論んでいる。第3回企画展「恩地孝四郎展」は10月に開催の予定だが、このようなみすぼらしい倉庫美術館に、恩地作品が300点も展示されようとは、都会の美術愛好家も夢想だにしないだろう。また恩地氏を充分に評価しえなかった事を終生悔やんでいた久保氏も、久保研究所が真岡市で恩地展を開くことになれば、天で、どれほど喜ぶことであろうか。
 12月20日、名大大学院教授が来館され、2時間ほど作品を鑑賞しながら、二人で名大美学美術史時代の思い出話に花を咲かせた。私の方が5年ほど先輩で、師は同じ辻佐保子先生であり、兄弟弟子という事になる。一昨年県立美術館で開催された「瑛九展」について、真岡新聞に掲載して頂いた私の拙文が目にとまり、同窓生だと知って、連絡をくださった次第だ。教授のご専門は西洋美術史と博物館学で、エミール・バーノン、フェレックス・ジーム、シャルル・ラポステル、伝フォンタネージ等の西洋古油彩画の展示作品に見入っていた。
 翌21日、テレビ番組ディレクターが来館された。東京国立近代美術館で1月13日から開催される「恩地孝四郎展」特集番組制作のための来館であった。恩地研究家は大学で数名、在野で数名しかおらず、私が、恩地作品、恩地稀覯本も蒐集している40年来の研究家である事は、中央では周知の事実であるようで、その事を聞きつけ、わざわざ東京から来訪された。やはり2時間ほど滞館し、「本の文明論」、「抽象絵画」についてお話を聞いて頂き、稀覯本撮影の申し出を快諾した。1月中旬に、収録のため5人で再来訪するとの事である。1月は多忙な月だが、東京国立近代美術館恩地展は過去最大の展覧会なので、なんとしても行かねばならない。
 12月の久保氏関連蒐集品は、久しぶりに2点有り、安藤幹衛氏のリトグラフと、久保氏が他界するまで会長を務めていたエスペラント学会関連のガリ版刷り小冊子4冊であった。エスペランティストとしての久保氏については、極めて興味深い研究課題だが、後の機会に譲りたい。


  久保貞次郎研究所2016年1月月報(第70回)
      ~渡辺私塾美術館1月34点追加し常設展257点展示(第3回企画展プレ展として恩地孝四郎作品111点展示)第1回、2回企画展と合わせて計357点展示~
      
~久保研究所代表、1月9日宇都宮大美術シンポジウムで講演~
         ~1月13日、NHKテレビ日曜美術館収録のため撮影クルー5名来訪~
         ~1月22日、ヘンリーミラー協会関連著名画家来館~                                                            
    

 1月追加作品34点は、全て恩地孝四郎作品で、木版画15点と挿絵原画19点であった。木版画の中には、かつて米国人に蒐集され、1988年クリスティーズニューヨークオークションで日本人が落札し、再度海を渡って里帰りした「人体考察 肩」(1924年作)も含まれる。1月31日で、恩地作品も111点展示したので、1月31日以降、第3回企画展恩地孝四郎プレ展開催とした。
 1月13日から東京国立近代美術館で「恩地孝四郎展」が開催されており、その特集番組制作のためNHK撮影クルー5名が来訪した。中央では、恩地研究家として多少は知られているのだが、何故わざわざ真岡市まで収録に来たかは不明である。著名な女性イラストレーターとの対談と、稀覯本撮影で5時間近くかかり撮影の丁寧さには驚かされた。対談では、女性が主役である事をすっかり忘れ、しゃべりすぎたので、私の出演場面はほとんどカットであろう。2月7日放映「NHK日曜美術館」(朝9時~10時)をご覧頂き、恩地孝四郎に少しでも興味を持って頂ければ、在野の一研究家として嬉しい限りである。
 1月9日、宇都宮大学で、フレンドシップ事業シンポジウム「久保貞次郎と北川民次を語る」が開催され、久保研究所代表として、大学の先生方をはじめ150名近くの参加者の前で15分ほど話をさせて頂いた。久保氏の思想を中心に概略は伝えたつもりである。
 1月22日、ヘンリーミラー協会関連の著名な画家が、お弟子さんを一人伴って、渡辺私塾美術館に来て下さった。開館日の日曜ではなかったが、東京からの来館であったので、特別に開館し、1時間ほど館内を案内した。やはり、他の絵描きさん同様、40数年前に描いた、私の訳のわからぬ不気味な絵に興味を抱いてくれた。(15年前出版の拙書、詩画集「潮に聞け」の原画24点)こそばゆい限りである。その後、一流の若手シェフが切り盛りする、久保観光記念館のレストラン「こころ」に案内した。地方なのに一級の料理に出会えて、さぞ驚嘆した事であろう。個人的には、その後高3生の面接が有り、更に高2英語の授業があって、忙しい1日であったが、充実した1日でもあった。
 倉庫を改装しただけの貧弱な三流美術館であるのに、都会の文化人が少しずつ来館してくださるのは有り難い事なのだが、真岡市民、芳賀郡民の来館が少ないのは残念でならない。生活の中に芸術を浸透させる事が、真の豊かさなのだという久保氏の思想を継ぐ私としては、努力不足だと自戒の念を抱きつつ、皆様のご来館を願うしかない。(日曜日午後1時~4時、入館無料,当分オリジナル版画プレゼント)
 

 久保貞次郎研究所2016年2月月報(第71回)

  ~渡辺私塾美術館2月21日第3回企画展恩地孝四郎展開催~
   ~恩地作品182点、第1回企画展竹久夢二展70点、第2回企画展山下清展30点同時展示他計428点展示~
   ~入場無料、当分オリジナル版画プレゼント継続実施、日曜日午後1時~4時開館~            代表 渡辺淑寛
 
 2月の追加作品は67点であり、恩地企画展を開始したので、全て恩地作品であった。本来であれば、2階の夢二作品、山下清作品を撤去して、恩地作品を展示すべきなのだが、2階に上がったご年配の方々が、「わー、すごい。何か胸がすーとする」と言ってくださった事が何度かあったので、どうしても夢二作品、山下清作品を撤去できないでいる。それ故、1階の狭いスペースに、安売りスーパーのような展示スタイルで恩地作品を展示している。ご了承願いたい。
 恩地作品の内訳は木版画63点、リトグラフ2点、油彩画2点、水彩画1点、絵皿1点、アルス日本児童文庫表紙絵原画54点、同挿絵原画59点で、特に表紙絵原画54点と挿絵原画59点は、世界でも当美術館でしか鑑賞出来ない作品なので、ご来館頂ければ幸いである。
 恩地家から、入場券を頂いたので、1月13日から2月28日まで開催されていた東京国立近代美術館「恩地孝四郎展」を観に行った。恩地孝四郎は、日本より欧米の方が遙かに高評価である希有な作家であるから致し方ない事であるが、入場者は予想通り少なかった。圧巻は、具象木版画の最高傑作「萩原朔太郎像」の「恩地摺り」、「関野摺り」、「平井摺り」3点の同時展示であろう。恩地芸術を世界に紹介したオリバー・スタットラーは、形象社「恩地孝四郎版画集」の中で、「恩地の手による摺りには、詩が波の高鳴りのように響いている。関野摺りは散文である。平井摺りは学術書の脚注である。」と書いている。私は、渡辺私塾文庫ホームページの中で、「摺りの精緻さは同じでも、芸術性、詩的感動は順に低下していると言う意味に違いないのだろうが、何という鑑識眼の高さだろう。この3作を比較できるスタットラーの境遇、環境に嫉妬すら感じるのは私だけでは無いだろうが、その当時、恩地の近くいた日本人美術評論家諸兄は、スタットラーと比べて、何という見識眼の低さだろう。」と書いた。だがもうスタットラーの境遇に嫉妬する必要はない。目の前で好きなだけ比較鑑賞出来た。そして驚いた事に、スタットラーは、決して大げさではなかった。同じ版木を使いながら、芸術性の深み、高さが全く異なっている。恩地摺りは、朔太郎の苦渋と刻苦を表現しながら、摺りの濃淡によって存在の震え、喜びまで感得出来る。関野摺りは悲嘆と苦渋だけが感じ取られ、平井摺りは、平坦な苦渋のみしか感じられなかった。蛇足だが残念ながら、当美術館所蔵の萩原朔太郎像は平井摺りである。同じ版木でも摺りによってこれ程の差異が生ずるとは、版画は恐ろしい絵画表現である。
 幾つかの余儀ない理由で恩地芸術を評価出来なかったため、終生後悔し続けた久保氏が、久保氏の故郷真岡市の久保研究所、当美術館が恩地展を開催し、微力ながら芳賀の地で恩地芸術の普及に携わっている事を知って、天でそっと喝采して下されば、当研究所としても幸甚である。

 
 久保貞次郎研究所2016年3月月報(第72回)

~渡辺私塾美術館第3回企画展恩地孝四郎展200点展示~
~第1回企画展竹久夢二70点、第2回企画展山下清30点同時展示、他計448点展示~
~入場無料、当分オリジナル版画プレゼント継続実施、日曜日午後1時~4時開館~       代表 渡辺淑寛

 3月の追加作品は20点で、恩地作品18点と、アイオーのシルク作品1点、大津英敏リトグラフ1点であった。久しぶりに久保関連作品の、アイオー「虹の色」を追加できた。2月月報でも触れたが、第1回、第2回企画展をそのまま展示しているので、恩地作品200点を超えて展示するスペースはもはや無く、当分、恩地作品は200点でストップしようと思っている。どこかスペースを見つけて恩地稀覯本を50点ほど展示出来ればと思うのだが、それは無い物ねだりなのかもしれない。それでも、関東近辺の恩地孝四郎稀覯本収集家の中で、1月、当美術館が選ばれ、NHK日曜美術館がわざわ取材に来たということは、当美術館所蔵恩地稀覯本に、それだけの希少価値が有るという証左であるのだから、何らかの形で、公開する義務がある事は、重々承知している。
 先日、妻の誕生日、久保記念館内のレストラン「こころ」に出かけた。以前にも述べたが、シャガールのリトグラフを数点無理矢理飾らせて頂いている関係上、時々利用させて頂いている。前もって予約を入れて、「お任せ」を注文すると、、若い優れたオーナーシェフが創作料理を提供して下さる。私は、顔に似合わず、生まれつき繊細な味覚を持っていると思い込んでいるので、味にはうるさい方だが、彼の料理には、彼の著名のお師匠さんに劣らず、彼独自の繊細さ・こまやかさが有る。妻の付き合いの関係で、都内の有名レストランに招待に預かり、何度か高級料理を食する機会を得たが、芳賀の大地の旬の素材を用いた彼の料理は、一歩も引けを取らない。
 昨年の、久保氏ゆかりの芳賀教育美術展において、アイオーのオリジナル版画「ラブレターズ」を、700点副賞として当研究所から提供させて頂いたが、「ポスター貰いました」と言われる事がまだあるのは、残念である。あの作品は、ポスターでなく、アイオーの初期のシルクスクリーン版画で、画集にも掲載されているオリジナル版画作品なのだが、美術展表彰式時、言及が無かったため周知されなかったのだろう。まだ在庫が有るので、今年、また副賞提供の機会があれば、周知徹底を条件にしたいと横柄に考えている。そうそう、渡辺私塾美術館へ来館された方々に、プレゼントさせて頂いている版画も、勿論、その「ラブレターズ」である事は言うまでも無い。 

 

 久保貞次郎研究所2016年4月月報(第73回)

 ~渡辺私塾美術館第3回企画展恩地孝四郎210点展示~
 ~第1回企画展竹久夢二70点、第2回企画展山下清30点同時展示、他計460点展示~
 ~入場無料、当分オリジナル版画プレゼント継続実施、日曜日午後1時~4時開館~        代表 渡辺淑寛

 4月の追加作品は12点で、恩地作品10点と、清希卓油彩画、鹿見喜陌日本画であった。恩地小品があと100点近く有るので、稀覯本も含めて展示したいのだが、もはや満杯で、当分460点の展示で我慢しようと思っている。安売りスーパーのような展示スタイルで、美術館としては貧弱この上ないが、元々倉庫を改装しただけの美術館なので、贅沢は言っていられない。展示内容で勝負するしかない。手前味噌だが、都会の恩地研究家も、恩地作品210点には驚嘆の声をあげるに違いない。
 来館者が少ないのは予想通りで、私の努力不足だが、日曜日真岡駅のSLを見に来たついでに来館して頂ければ幸いである。
 4月24日、東京の硬派で社会派の出版社の社長兼編集長が、電車を利用してわざわざ来館された。恩地のアルス日本児童文庫表紙絵原画、挿絵原画を鑑賞しにいらっしゃったのだが、もう一つの来訪目的は、私への執筆依頼であった。多分私しか書けない主題なので、快諾したいところであったが、正式な論文である事、多忙である事を考慮し、検討致しますというお返事のみ差し上げた。「なんでも鑑定団」出演依頼、NHK日曜美術館取材等は有っても、正式な論文執筆依頼は初めてであり、嬉しい限りだが、安請け合いは出来ない。
 当美術館には久保氏関連作品が15点展示されている。内訳は、川崎満孝アクリル画2点、北川民次木版3点、瑛九エッチング1点、竹田鎮三郎リトグラフ3点、アイオーシルクスクリーン5点、ヘンリー・ミラーリトグラフ1点で、真岡市の久保記念館よりは遙かに少ないが、まだ未展示久保関連作品が多少有るので、第4回企画展として久保関連作家展も考えている。
 人類の進化の指標は、経済、物質、軍事の豊かさではなく、生活に対する芸術性の浸透度であると説いたのは久保貞次郎であり、その実践が「小コレクター運動」であった。「小コレクター運動」とは、一人一人がオリジナル芸術作品を3点所蔵し、生活の中に芸術を浸透させる事であり、60年前、真岡の地で始められた運動である。この運動はいまだ朽ち果ててはいない。当美術館来館者に、アイオーのオリジナル版画をプレゼントさせて頂いていることも、この運動のささやかな継承なのだから。


  久保貞次郎研究所2016年5月月報(第74回)

 ~渡辺私塾美術館第3回企画展恩地孝四郎220点展示~
 ~第1回企画展竹久夢二70点、第2回企画展山下清30点同時展示、他計470点展示~
 ~入場無料、当分オリジナル版画プレゼント継続実施、日曜日午後1時~4時開館~         代表 渡辺淑寛

 5月の追加作品は10点で、全て恩地孝四郎アルス日本児童文庫挿絵原画であった。もう追加展示出来るスペースは無いと諦めていたが、娘が描いた80号油彩画5点の上に、恩地作品10点を置いて展示した。英国にいる娘も、自分の作品が、世界の恩地作品10点と並んで展示されていると知れば、光栄に思うに違いない。
 久保関連作品は、調べてみたら50点ほど有るので、第4回企画展として久保関連作家展を考えていたが、手強い強敵が私の心の中に現れた。昭和7年生まれの謎の型染め作家、神崎温順だ。昭和30年、土佐和紙に魅了された神崎は、高知市に移り住み、魅力的で芸術性の高い型染め絵本を数多く刊行し、その後消息不明になった謎多き作家である。私は、40年前から、その芸術性の高さに惹かれ、作家の詳細について不明のまま、型染め限定本を少しずつ蒐集してきた。(インターネットで、渡辺私塾文庫27番、神崎温順関係本参照)仕事で消耗した時、神崎作品を見つめ、何回となく清らな気持ちに立ち返ることが出来た。来年の第4回企画展を何にするかはまだ決めかねている。
 手前味噌になるが、先日東京から来館された方が、「建物は強烈だが、恩地作品220点、他計470点をこんな地方で観られるなんて奇跡だね、それに入館無料で、オリジナル版画のお土産付きなんて、有り得ないよ。館長さん、どうかしちゃったんじゃない?」と冗談をおっしゃった。私は、「強烈というのは、強烈に貧弱だという意味だと思いますが、私も同感です。最後のお尋ねについては、どうかしちゃっていません。至って、頭脳明晰です。私は、久保貞次郎研究所代表もしていますので、久保さんの意志を僅かながら継承する意味で、この形を取っています。それに、偉そうに聞こえるかも知れませんが、私が生まれ育った地元への恩返しになればとも思っています」と本音を吐露した。彼は、「いやー、たいしたもんだ」と言って笑ったが、その笑顔の中には、何の得にもならないのに、全く理解出来ない、という不信の笑みがほんの少し混じっていた。無償の行為が理解されにくい今の時代では、もっともな事なのだが、本音だから仕方が無い。
 私は、不定期で、真岡新聞に、「真岡賛歌」を連載していて、5月20日号掲載の真岡賛歌第9回は、「二宮尊徳」であったが、第10回は真岡の花火について書こうと考えている。その時に久保氏が、真岡の地で始めた「小コレクター運動」に触れる予定だが、久保氏の思想、活動は多様であり、未だ全容は闇の中にある。当研究所でも時間をかけて、研究を進めていく所存だ。私個人は、久保氏の思想の中で、「小コレクター運動」を注目していて、遙か数千年後、「全ての人が芸術家である社会」に向けての、人類の第一歩であったのではと思っているのだが、詳しい事は後の機会に譲りたい。


 久保貞次郎研究所2016年6月月報(第75回)
 ~渡辺私塾美術館第3回企画展恩地孝四郎230点展示~
 ~第1回企画展竹久夢二70点、第2回企画展山下清30点同時展示、他計480点展示~
 ~入場無料、当分オリジナル版画プレゼント継続実施、日曜日午後1時~4時開館~       代表 渡辺淑寛

 6月の追加作品は、5月と同様、10点で、全て恩地孝四郎アルス日本児童文庫挿絵原画であった。展示スペースは皆無に近かったが、私が15年前に文芸社から出版した「詩画集 潮に聞け」の挿絵原画24点の間に、恩地作品を無理矢理展示した。世界的芸術家恩地孝四郎挿絵原画と、全く無名の田舎のおじさんの、訳のわからぬボールペン原画が一緒に展示されていて、恥ずかしい限りだが、二種の異形な作品群が妙に共鳴していなくもない。「潮に聞け」の原画は、44年前、名大の美学生時、深夜、やむにやまれぬ思いで、数百枚書き殴ったボールペン画の一部で、詩画集に所収した24点以外は全て廃棄してしまったと思う。稚拙だが、マグマの様に噴出した24点の拙作をご覧になりたい方は、是非来館なさって頂ければ幸いである。
 当美術館の場所が解りにくいとよく言われるので、簡単に説明させて頂く。真岡駅東口からSL館の方、南に下ってすぐT字路を左折し、日赤、真岡女子高に向かう路を10メートルも行かない右側に、「渡辺私塾真岡駅前校」があり、その奥の倉庫風建物が当美術館で、安売りスーパーのような展示スタイルの極貧の美術館ですので、お解りになると思いますが、発見できない時は、0285-83-3447までご連絡くださいませ。詳しくご案内致します。
 久保研究所の現在の活動について触れてみたい。まず第1は、当美術館の運営であり、入場無料で、当分オリジナル版画プレゼントを継続実施の予定である。全ての人が3点のオリジナル芸術作品を蒐集し生活の中に芸術を浸透させ、全ての人が感性的に芸術的に進化するという「小コレクター運動」を提唱し、芸術の普及に一生を捧げた久保氏も喜んでくださるに違いない。
 第2は、久保氏の思想の研究と紹介で、原則、月報内で報告していきたい。月報は、ホームページで公表し、真岡新聞に掲載し、最後に渡辺淑寛著作集に所収している。
 第3は、久保氏が創設に関わった「芳賀教育美術展」の支援で、副賞を提供させて頂いてから、今年で7年目になる。昨年は入賞者全員に、アイオーのオリジナル版画700点を進呈させて頂いた。今年度も同じ作品700点を既に入手し、昨年同様進呈させて頂く予定である。
 第4に、久保研究所代表として、真岡新聞に、「真岡賛歌」を掲載し真岡市を応援する事。現在第10回まで発表出来た。タイトルのみ、列記すると、➀神の魚の住む川、②井頭公園の薔薇の園、③いちごてれびと真岡新聞、④久保記念観光文化交流館、⑤SLの走る町真岡、⑥真岡木綿小論、⑦フルーツの町真岡、⑧桜咲き、菜の花香る町真岡、⑨二宮尊徳の生きた町真岡、⑩花火が夜空を彩る町真岡。(お問い合わせは、久保研究所℡0285-83-3447まで)今後粘り強く、地を這うように継続していきたいと思っている。
 

 
久保貞次郎研究所2016年7月月報(第76回)
   ~渡辺私塾美術館第3回企画展恩地孝四郎232点展示~
   ~第1回企画展竹久夢二70点、第2回企画展山下清30点同時展示、計482点展示~
   ~入場無料、当分オリジナル版画プレゼント継続実施、日曜日午後1時~4時開館~(8月14日はお盆休みで休館)    代表 渡辺淑寛

 7月の追加作品は2点で、展示スペースが皆無に近い中、何とかアルス日本児童文庫挿絵原画2点を展示出来た。あと18点展示して、恩地作品250点、展示作品数計500点で、恩地作品が丁度半分になり、渡辺私塾美術館のサブタイトルを恩地孝四郎美術館にすることも考えているが、展示スペースをどう創るか思案中である。
 去る7月29日号真岡新聞に、久保研究所代表、美術館館長として、「真岡賛歌その11」を掲載させて頂いた。「祭りの町 真岡」というタイトルで、大衆の側からの祭り論を少し書かせて頂いた。大衆と権威が対立する場面の多い現代社会において、宗教における「神の元での平等」と同様、「祭りの元での平等」の無礼講の中で、祭りこそが、大衆と権威の利害を超える希有な創造的空間なのだ、という趣旨なのだが、一読して頂ければ幸いである。
 久保研究所との関連性は薄いが、渡辺私塾文庫所蔵の江戸木版本85冊揃い「集古十種」について重要な事実が判明した。当文庫のホームページを見て、元弘前市図書館館長の方から、「集古十種」の多くのページに押印されている「奥文庫」の印は、弘前藩(津軽藩)第九代藩主津軽寧親の印章であると、お知らせ頂いた。18年前購入時、「奥文庫」について気になり、何人かの研究者にお尋ねしたのだが、皆目わからず、そのままになっていた。さすが地元の知識人、「奥文庫」の印章を見て、すぐに弘前藩主の旧蔵品であると看破なさった。「集古十種」の来歴が判明し、稀覯本コレクターとして嬉しい限りである。近く、青森県の新聞社が、取材に来るという。「集古十種」については、以前テレビ局から取材を受けた事があるので、当文庫の蔵品の中では、出世頭であろう。透き通るような美しい木版画本85冊で、入手するのに25年を要したいわく付きの稀覯本である。詳しくは、「渡辺私塾文庫」ホームページ⑶「集古十種」を見て頂ければ幸甚である。数年後当美術館で、企画展として江戸和本展の開催も考えており、実現すれば、その時展示したい。
 久保氏が江戸本・和本を蒐集していたという資料は無いようだが、もし「集古十種」を一瞥していたら、その資金力で、江戸和本の一大コレクターになっていたかも知れない。
 久保氏の多くの活動の中で、研究が進んでいない分野は、「エスペラント活動」と、「晩年の精神世界」であるが、急がず着実に研究していこうと考えている。