リーフ

久保貞次郎氏を悼む 
  平成9年2月28日 真岡新聞    渡辺淑寛

 「久保講堂」として真岡市民になじみ深い久保貞次郎氏が昨年10月30日に逝去された。
 久保氏は跡見学園大学学長、町田市立国際版画美術館館長などを歴任し、真岡市の生んだ中央でも著名な傑出した文化人である。氏は、さらに戦前からの優れた美術蒐集家で、現代美術の優秀な美術詳論家でもあり、また1952年に「創造美育協会」を設立して児童美術教育運動の普及に力を注いできた。著書も多く、とりわけ「ピーター・ブリューゲル」「絵画の魔術師ヘンリー・ミラー」「私の出会った芸術家達」は美術史上に残る名著といわれている。
 しかし久保氏の最大の功績は、当時デモクラートと呼ばれていた前衛的版画集団の思想的、経済的支援であった。瑛九もそのひとりであったが、氏が守り育てたデモクラート協会から、池田満寿夫、靉嘔、磯辺行久、河原温など、多くの突出した才能を示した作家が育ち、現代の日本版画界を席捲している。言い古された表現だが、久保氏の存在無くしては現代の日本版画界の状況ははるかに貧弱なものになっていただろう。世に多くの芸術家がおり、その人達を経済的に支えるパトロンも少なくなかったけれど、思想的、経済的中心となって運動を進めた美術思想家は数少ない。その意味で久保氏は、日本美術史上希有な存在である。
 ところで氏は、美術普及運動の一環として1958年真岡市で「第一回日本小コレクターの会」を開催している。当時真岡市が現代美術の最先端基地の一つであったということは驚嘆に値する。
 さて今年十月、跡見学園講堂で前述の池田満寿夫、靉嘔、などの著名な作家と多くの美術評論家、学者が中心となって「追悼の会」が行われるとのこと、美術思想家久保貞次郎研究も進むと思われる。久保氏の功績に対する今後の研究によって、氏の思想的栄光は一層輝きを増すに違いない。


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