久保貞次郎研究所

リーフ
「久保貞次郎研究所2010年9月月報」
 9月は当研究所としては特別な行事もありませんでしたので、私が夢想している「全ての人が芸術家である社会に向けて」の考えと、久保氏の思想についての関連について、簡単にお話ししたいと思います。
 久保氏は、「恩地孝四郎版画集(昭和50年、形象社)」所収の「恩地孝四郎を偲う」の文末で、「もし、もう少しまわりの励ましがあったら、かれの制作はいっそう展開し、われわれが敷いている芸術の戦線をますます強化しえたにちがいない。芸術の戦線とは、あらゆる人間のうちに芸術家を養成すること、人間の関係するあらゆるもののなかに芸術が浸み透るよう努力する戦いである。」と書いている。久保氏は、既に35年前、「あらゆる人間のうちに芸術家を養成すること」、つまり、全ての人が芸術家である社会を、はっきりと視界に入れていたのかも知れない。
 私は学生時代、人類の全的解放は、マルクス哲学であると確信し、学生運動と関わったが、教条主義と暴力と恐怖が支配する政治性の中で、ふと立ち止まると、「人類の全的解放」とは、一体何であるのかも実感していないことに気が付いた。更に、マルクスの「経済学哲学草稿」中の、人類解放の崇高な革命運動のなかで人間は生き死んでいくことが、最高の人生である、という趣旨では、頭では理解できても、幼少から抱いていた純粋な死の恐怖は、全く払拭されなかった。この恐怖が、私がイギリスの霊性哲学に没頭する契機になったのは言うまでもない。それでも、マルクス経済学哲学が根本的に誤っているとは、今でも思っていない。ニュートン等の古典物理学が、マクロの世界では正しいが、ミクロの世界では無力で、相対論や量子論が取って換わったと同様であると思っている。マルクス哲学は、私の精神世界では無力であったにすぎない。
 社会の進化は、無数の試行錯誤と悲しみはあったとしても、善良な多くの政治家に任せるしかない。それよりも、我々一人一人が、優しさや悲しみを知り、様々なことを学びぬき、一人一人が哲学者で、数学者で、詩人で、音楽家で、舞踏家で、赤銅色の肉体を所有する格闘家で、全ての者が宗教団体の教祖で、工芸家で、つまりは全ての人が芸術家に向かって這ってでも突き進むことが、遥かに肝要である。たとえ数千年後ではあっても。その過程で、運悪く、邪悪な政治性に抹殺されたとしても、私はそれを甘受する覚悟は既に出来ている。社会の進化より、個人の進化が先で無い限り、人類は永々と戦争を続けるであろう。集団狂気を行使続けるであろう。
 久保氏は、エスペラントに没頭しながら、国家の無い社会、戦争の無い社会、貨幣の無い社会を夢見たに違いない。そのためには、「芸術の戦線を強化」すべきだと確信したのだろう。その手始めとして、純真無垢な幼児の、全く自由な絵画表現に期待したのだろう。創美運動を始めたのだろう。遠い未来でなく、現在でも、幼児の自由な絵画活動の中に、人類の全的解放を垣間見たのであろう。
 私も微力ながら、この戦線に既に参加している。遥か数千年後の、地上を楽園を夢見ながら。存在とは進化だから。