久保貞次郎研究所

リーフ
「久保貞次郎研究所2010年6月月報」〜創造美育運動に対する私見〜


 日本では、子どもは親の所有物であるという誤った考えが現存し、無理心中、幼児虐待の報道が後を絶たず、やり切れない悲しみが私達の心を覆う。キリスト教文化圏では、命は神から与えられた物であり、親にとっても、子の命は神聖で不可侵であるという思想が残っており、日本ほど無理心中は多くない。
 久保氏の創美運動の根底にあるものは、子ども時代も、人生において貴重な一時期であり、大人になるための準備段階ではなく、成人期と同等の輝かしい人生の一期間であるという思想である、と私は推測する。子どもは、素晴らしい生活の中で、その喜び、感動を、身振り、踊り、言葉、叫び、笑顔などで表現するだろう。その命の輝き、火花を我々は、感得し、賞賛し、共有できるはずである。その火花を形に残し、共有出来る最良の形態が、久保氏にとって、子どもが自由に楽しく描く「児童画」であったのだろう。人類は、言葉を使う前に、大地に、洞窟の壁に、様々な絵を描いていただろう。豊穣を願い、狩りの絵を描く大人達の傍らで、子ども達も必ずや、自由で命のほとばしる素晴らしい絵を描いていただろう。
 久保氏の創美運動とは、「子供の想像力を絵を通して健全に育てる」と同時に、子ども時代は大人への準備期間だという大人達の「決めつけ」に対する、子ども達の「復権」に光を当て、武器を与えた運動であったのではないか。
 遥か数千年後、全ての人が芸術家で、詩人である社会では、大人ばかりでなく、全ての子ども達も芸術家で詩人である。もしかしたら、子ども達の方が、この人類の夢を先に体現するのだろうか。もしかしたら子ども達こそ、ほんの少しずつ、微かに、この夢を体現しているのではないのだろうか。