久保貞次郎研究所

リーフ
久保貞次郎2010年10月号月報
 10月号月報は、真岡新聞10月22日号に掲載しました拙文にて換えさせて頂きます。また、久保貞次郎研究所設立、渡辺私塾文庫久保関連所蔵品を1章とする、「続 渡辺淑寛著作集」を年内に出版の予定です。刊行出来ましたら、後日詳しくお知らせ致します。

「芳賀教育美術展」を見て
  「真岡市美術展浅香公紀氏を偲んで」を見て

渡辺私塾台町本校塾長渡辺淑寛

 灼熱の夏が終わり、雨巻の山々から吹く秋風の中に紅葉の彩(いろど)りが予感できる10月8日、真岡市民会館隣の久保講堂に展示された、芳賀教育美術展入選作品を見に行った。7696点の中から選ばれた669点 の秀作だけあって、どの作品にも子供の夢や願いや喜びが直接的に表現されていて、傑作揃いであった。私見だが、最高賞である知事賞や久保賞に劣らぬ作品も百点近くあると思われた。
 如何なる強制も既成概念も無く、子供が自由闊達に伸び伸びと心おもむくままに絵を描くことによって、子供の心は解放され、豊かな人格形成が出来ると言ったのは、故久保貞次郎氏であったが、私と家内と、案内してくれた実行委員長と3人で、笑いながら感想を述べあっている内に、あっという間に1時間が過ぎた。子供の絵は、それを見る大人の心も解放してくれるのかも知れない。
 11日の表彰式には、久保貞次郎研究所で副賞を寄贈させて頂いたこともあり、研究所代表として招待された。次々に壇上に上がった数百名の子ども達の、誇りと喜びの表情を見て、副賞を揃えた苦労など、一瞬で消え去った。知事賞と久保賞受賞者13名には、オリジナル大判リトグラフを、運営委員長、芸術協会長、教育会長賞受賞者36名には、1883年出版のギュスタブ・ドレ挿画本から、オリジナル鋼版画を贈呈できた。ドレ挿絵本は高価な稀覯本なので、36枚の挿絵版画を本から切り離すことは愛書家としても極めて辛いことではあったが、36名の子ども達が127年前のドレ鋼版画を見る驚嘆の眼差しを想起し、敢えて決行した。小コレクター運動を提唱した久保氏も草葉の陰から喝采を送ってくださるだろう。
 それにしても7696点の作品の搬入、審査、展示、返却、会場整備等、関係者のご苦労は想像を絶するものであり、真岡青年会議所会員はじめ多くのご尽力頂いた皆様方に心より感謝したい。
 表彰式前の来賓控え室で、久保氏高弟で2次審査委員の島崎先生と高森先生を、ご来場くださっていた真岡市長に御紹介させて頂いた。両先生とも、市立美術館建設を懇願なさっておられた。真岡市には既に「瑛九」の稀少版画が多数寄贈されており、多くの児童画、油彩画、日本画、版画、工芸品等の寄付の申し出もあると聞いている。美術館建設で莫大な費用を要する所蔵品購入の必要が無いのであるから、既に機は熟しているのではないのだろうか。二宮と真岡の合併も成就し、大きな美術館でなく「瑛九」や「児童画」を柱とした真岡市独自の小美術館建設に向けて、これ程恵まれた時は、もはや無いのではないだろうか。
雨巻の山々から降る秋雨の中、10月9日、市内荒町の岡部記念館「金鈴荘」へ、浅香公紀木版画展を見に行った。昨年他界された浅香氏は、県立美術館学芸員を長年務め、日本有数の美術品修復家であったが、また優れた木版画家としても著名であった。久保氏が名著「私の出会った芸術家たち」で取り上げた作家で、世に出なかったのは浅香氏だけだと揶揄されたこともあったが、木版画は趣味だと言って、敢えて、自ら世に出ようとしなかっただけの話である。30年前、御子息が中1から高3生まで6年間塾生であったこともあり、木版画カレンダーを沢山頂いた。趣味で創ったものです、と手渡されたとき、その芸術性の高さに私は絶句したことを覚えている。作品を見ても誰の作なのか解らない作品が横行している昨今、独特な美しい花の木版画を見れば、浅香氏の作とすぐ解る。
 この木版画展に、浅香氏の2点の初期油彩画が展示されていた。デッサン、構成、表現力、どれを取っても完成の域に達している。浅香木版芸術が短期間で確立したのは20数年間の油彩画の厳しい修練の恩寵なのかも知れない。
 真岡市立美術館設立の暁には、我々は、浅香木版芸術も重要な柱にしなければならない。
 10月11日深夜、この拙文も末尾に至り、妙に暑い。美術館建設に向けての関係者諸兄の熱い決意を、私が予感するからか。