新世紀・公明クラブ
会 派 視 察 研 修
1月26日〜28日にかけて、中村が所属する会派
「新世紀・公明クラブ」
では、
香川県東かがわ市と徳島県脇町へ会派視察研修へ赴きました。
今回は、
@市町合併について A中心市街地活性化について
がテーマでした。
今回の視察では、下記の金額が公費でまかなわれました。
(3日間:議員一人あたり) .
総額
97,231
円
出所
政務調査費
内訳
交通費、宿泊費、相手先みやげ代
※ 当然のことですが、視察中の飲食代は、全て議員の自費負担です。
なお、視察の詳しい所見については、
以下
をご覧ください。
○日 時 平成16年1月26日(月)〜28日(水)
○視 察 地 ・香川県東かがわ市(市町合併について)
・徳島県脇町(中心市街地活性化について)
1.東かがわ市視察の所見
今回、我々が合併後の新市として、東かがわ市を視察地に選んだのには、1つの大きな理由がある。それは合併して間もなくの平成15年10月、住民の直接請求によって『議員の在任特例』の是非を問う住民投票にまで至り、結局、賛成1対反対9の得票率で、議会が解散に追い込まれた経緯があったからである。
同市は、平成15年4月に大川郡の引田、白鳥、大内の3町が合併して誕生した。その発端は平成10年12月、住民発議により大川郡(8町)における合併協議会請求が各町長あてに提出されたことにまでさかのぼる。以後、紆余曲折はあったものの、平成12年4月に前述の3町によって合併協議会が発足している。つまり、協議会設置から合併にまで、3年の年月をかけて話し合いが行われていたことになる。
これまで全国各地で見られた合併協議は、とかく『性急すぎる』との批判を受けてきた。その点、東かがわ市の場合は時間をかけて話し合いが行われており、大いに評価できる。また、協議会委員のプロフィールや議論された内容についても、機関誌『さん!みらい』を通じて実に詳細に、分かりやすく紹介されており、住民に対して積極的に情報公開を進めようとしてきた当局の姿勢には、我々も感心させられた。
加えて、合併の枠組みも類似した3つの町によるものであるし、行政サービスを落とさないよう『総合支所方式』を選択した点などを見ても、『極めて妥当である』という評価以外に見当たらないのが事実である。
では、なぜ東かがわ市は住民投票に至る程の混乱が生じたのだろうか。
今回、我々の視察にあたって説明をしていただいた、同市の田中貞男、尾崎照子の両議員は、その原因について次のような理由を挙げていた。
協議会委員の人選が、各町長の一存で決められてしまい、住民には不明瞭なものになっていた
住民投票を実施しなかったため、最終的な部分で住民からの合意が得られなかった
つまり、十分な説明は行ったものの、意思表示の場面で住民が参加できなかったことにより、合併に対する不満が内積し、議員の在任特例を反対する形で爆発したということになる。
今、真岡市においても周辺の4町と合併協議会を設立し、本格的な話し合いが行われている。しかし、住民に対する説明や意思表示の手段については、東かがわ市と比較して、十分であるとは言い難い。合併の是非や枠組みなどについての議論も必要であろうが、それ以前に、住民にどのような対応を取るのかは、最も重要な課題であることを今回の視察では改めて思い知らされた。
その他の課題については、東かがわ市では合併後、職員の人件費が微増しているとの報告を聞いた。職員給与に格差のある真岡を含めた1市4町では、より積極的な議論が必要になるであろう。また、住民からのクレーム・苦情としては『公共料金の変化』が最も多いとの報告も、今後議論していく上で大いに参考になった。
2.脇町視察の所見
脇町は江戸から明治期にかけて阿波藍、繭の集積地として発展をした。その時代に、家屋に設けられたのが、現在同町のシンボルにもなっている『うだつ』である。うだつは本来、防火壁の役目を担っていたが、次第に商人の富・勢いを示すものになった。脇町にとって幸運だったのは、藍の減衰期や太平洋戦争期、あるいは近年のバブル期などを経ても、うだつのある街並みが残っていたことではなかっただろうか。(真岡でこうしたものが残っていたとしても、多分取り壊されていたのではないだろうか)
そして、もう1つ忘れてはならないのは、それに着目するリーダーが存在していたことである。今西日本では、昔の街並みを活用した中心市街地の活性化が目立つ。滋賀県長浜市、昨年視察に訪れた大分県豊後高田市、そして今回の徳島県脇町。共通して言えることは、そこには全て官民の違いこそあれ、強力なリーダーシップを発揮している人物が必ず存在している。
脇町においては佐藤淨町長がそれに当たる。佐藤町長は、長年徳島県庁で観光課の職員として活躍してきた。『今後の世界情勢を考えると、中国では10〜15年後に約1000万人の観光客が海外に出かけると予想されている。それをどう取り込むかは、少子高齢化の中で日本が生き残る方策の1つだと思う』 観光行政に力を入れる理由として、佐藤氏はこのように語る。
うだつの街並み保存・修復を手始めに、観光ボランティアガイドの組織化、グリーンツーリズムの推進、さらには、映画『虹をかける男』(山田洋次監督)の舞台として使われた『脇町劇場(オデオン座)』の修復など、観光カリスマ百選にも選ばれた佐藤氏が手がけた事業は枚挙にいとまがない。
確かに、脇町が今後取り組まなければならない課題は多い。修復されたうだつの街並みを歩いていると、町を代表するような商品、お土産を見つけるのに苦労する。これは豊後高田市の視察時に抱いた感想とよく似ている。また、明石海峡大橋の開通によって、日帰りの観光客が多くなったにせよ、前に述べた佐藤町長の考えを実現させていくならば、宿泊施設の整備は不可欠である。
しかし、リーダーのしっかりとしたバックボーン、哲学に基づいて整備された街並みには、不思議と安心感が漂う。人口2万人弱の小さな町が(平成17年には合併して市になるが)、観光都市として変貌を遂げる日はそう遠くないように思える。
さて、今回視察した脇町と我が真岡市を比較しながら、今後の中心市街地活性化を論じることは極めて難しい。しかし真岡市も、地域のおかれた地理的条件を含め、既存の資源をもう一度発掘、再検討する必要はあるのではないかと思える。佐藤町長が手がけた観光事業をもう一度見てみると、それは全て既存の資源を上手に『再利用』したものに他ならないのである。
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