新世紀・公明クラブ 
 会 派 視 察 研 修 


10月6日〜8日にかけて、中村が所属する会派「新世紀・公明クラブ」では、
大分県豊後高田市と福岡県小郡市へ会派視察研修へ赴きました。
今回は、@中心市街地商店街の活性化策 A運動公園の整備 の2つがメインテーマでした。


 今回の視察では、下記の金額が公費でまかなわれました。
(3日間:議員一人あたり)   . 

総額 108,700 出所 政務調査費
内訳  交通費、宿泊費、相手先みやげ代
※ 当然のことですが、視察中の飲食代は、全て議員の自費負担です。



なお、視察の詳しい所見については、以下をご覧ください。






○日  時    平成15年10月6日(月)〜8日(水)

○視 察 地    ・大分県豊後高田市
         ・福岡県小郡市

○調査事項    ・中心市街地商店街の活性化について
         ・総合運動公園の建設及び運営について


○調査報告

1.豊後高田市「“昭和の街”商店街」

(1)豊後高田市の概況
 豊後高田市は昔、大友時代にその家臣、高田掃部助重定の築城により高田の地名が起こったという歴史の薫り高いまちである。市の東部に国宝「富貴寺」があるなど名所旧跡が点在し、年間80万人の観光客がここを訪れる。
 しかし、滞在時間の短い客がほとんどであり、観光が産業として大きく発展することは難しかったようである。また、前大分県知事、平松守彦氏が提唱した「一村一品運動」の際は、市の特産品である合鴨の飼育に力を入れたが、同県下の湯布院町や大山町のように脚光を浴びることはなかった。加えて、約56haの工業団地(大分北部中核工業団地)が整備されたものの、誘致された企業は3杜にとどまっている。
 そうした状況の中、昭和29年に市制施行した時点で約3万人いたのが、平成14年10月1日現在で、18,658人にまで滅少し、人口の流出が課題となっている。

(2)豊後高田の商店街
 同市の商店街は、市の中心を流れる桂川によって二分されており、西側に6商店街、東側に2商店街があり、かつては国東半島一の繁華街として賑わいを見せていた。
 しかし、前に述べたように人口の流出、加えて大型スーパーの進出と撤退、さらに商店街にあった2つの銀行支店が郊外へ移転したため、いよいよ人通りの減少に追い討ちをかけ、廃業する商店が増加した。
 その間、行政や商工会議所、商店街サイドも手をこまねいていた訳ではなく、平成4年に「豊後高田市商業活性化構想」を策定したのを皮切りに、数々のイベント(音楽祭や芸術祭等)、祭り行事に同調した売り出しや朝市などを開催してきたが、集客効果にはつながらなかった。
 商店街活性化策がイベント等にシフトされていたことは、我が真岡市の現状と極めて似ていると言えよう。

(3)“昭和の街”商店街へ…
 「私たちは単純で元気で自然だった」これが今注目を集めている、“昭和の街”商店街のキャッチコピーである。貧しいながらも安定し、物に感動する時代だった、昭和30年代の街並みがコンセプトとなっている。
 そもそものきっかけは、平成11年1月に豊後高田商工会議所が「既存商店街再生研究会」を立ち上げた際、再開発が遅れたことにより昔の雰囲気が残っていた商店街を、逆に利用することは出来ないか、という声が挙がったことによるらしい。まさに「逆転の発想」であった。
 本格的な事業開始は平成13年度からで、初年度は11店舗が参加に名乗りを挙げた。なお主だった事業は、下記の3つに分類される。
   @修景事業
     ・店舗が建築された当時の趣を再現
     ・アルミ製の建具を木製に復元
     ・看板を木製やブリキ製の「昭和の看板」に修復
   A一店一宝運動
     ・その店に代々伝わる珍しい道具等の展示
        (展示した店は、「昭和のお宝まちかど博物館」)
   B一店一品運動
     ・その店自慢の商品を販売
        (例:精肉店では「揚げたてのコロッケ」)

 ちなみに、最も脚光を浴びている修景事業であるが、2年目の平成14年度にも7店舗が参加を表明した。財政的には決して裕福とは書えない同市において(財政力指数0.303、自主財源率25.4%)、これほどの事業が着々と進展している理由は、1つに店舗の改築を、外装などにとどめているため比較的安価で出来ること。そしてもう1つは、県の補助金を上手く活用していることが挙げられる。

(4)今後の課題
 平成14年度から、豊後高田市では大分県の助成を受けて「空き店舗対策」(いわゆる「チャレンジショップ」)事業を開始している。また、同年10月には、商店街近くにあった旧農業倉庫を改装して「昭和ロマン蔵」がオープンした。これは、福岡県に住む「駄菓子屋オモチャ」のコレクターとして名高い小宮裕宣氏を館長として招き、古き良き時代のお宝を展示しているものである。昭和の街並みの雰囲気を高めており、商店街の1大拠点となりつつある。
 しかし、1ヶ月間に全国から約12,000人もの人が訪れるまでに生まれ変わった商店街であるが、いくつかの課題も見受けられた。
 まず、あふれるほどの観光客の中に、土産袋を下げた姿が少なかったことである。これは、いまだ「見るだけ」の客が多いことを物語っている。豊後高田の顔となる商品の開発か急がれる。
 さらに、長年課題であった各商店の後継者不足、店主の高齢化も解消されたとは書えない。「チャレンジショップ」が成功するか否かを含め、これらの点も数年間、事態を観察する必要があるだろう。

(5)所見
 私たちが、豊後高田市の商店街に関心を持ち始めたのは、「昭和ロマン蔵」がオープンしたニュースをテレビで見た時からではないだろうか。
 修景事業やロマン蔵だけを見ると、豊後高田の事業は、あたかも「ハード面に力を入れて成功したもの」と誤解されやすい。しかし、この挑戦における核心の部分は、あくまでも「人材の育成」にあることを忘れてはならない。
 市の担当職員は「個々の店がお客さまと会話のある商いが出来るよう、様々な研修の場を設けることに力を注いできた」という。事実、私たちは商店街を見学した時、団体の観光客で混み合う店内で、自分の店の歴史を汗だくになりながら説明していた、呉服店主の姿を目の当たりにした。また、観光客を案内するガイドとして、市民ボランティアが育ってきている(現在4名)ことも考えると、企画側の意図が、市民にも理解されてきたようだ。
 さらに、「一店一宝運動」を進める中で、各商店主は、自分たちの店の歴史について再評価することになったはずである。「一店一品運動」は、自分たちが売る商品について真撃に考えるきっかけになったはずである。つまり、豊後高田における「“昭和の街”商店街」は単に街並みだけでなく、売る側の心、誇りも「復元」しようとする動きであったように思えてならない。
 無論、前述のように課題も多く存在する。しかし、わずか数年間で商店主たち(支援する市民を含めて)の意識改革が着実に進んできたことは、大いに評価されるべきである。
 翻って、我が真岡市における商店街の活性化事業はどうであろうか。店舗や遺路の再開発、あるいは「○○まつり」といったイベントだけに視点が注がれていなかっただろうか。間題の核心であるrどういう商品を、どのように売るのか」という課題には触れずじまいではなかったか。商品開発や後継者対策を含めてハード、ソフト両面から、事業を再度評価し直すべきであるように思える。
 豊後高田市が事業を開始した平成13年度は、真岡市でもTMOが立ち上がっていた。この事実を、全ての関係者は重く受け止めるべきである。


2.小郡市「総合運動公園」

(1)小郡市の概況
 小郡市の市制施行は昭和47年と比較的新しい。大正13年に西鉄大牟田線が同市を縦断する形で開設すると、福岡市との間が時間的に短縮され、沿線を中心に人口の定着が進んだ。平成12年の国勢調査を見ても福岡市と、隣接する久留米市へ通勤、通学する市民が多く、「ベッドタウン」の性格を持っていることが分かる。
 さらに、昭和48年に九州縦貫道、昭和62年には九州横断道がそれぞれ開通し、インターチェンジが開設されるなど、交通の要衝として脚光を浴びている、人口56,456人(平成14年10月1日現在)の市である。

(2)総合運動公園が建設された背景
 小郡市に現在の総合運動公園が竣工したのは、平成7年3月のことである。きっかけは、同市火葬場の老朽化が激しく、宝満川の河川敷に新たな施設を建設することになり、その周辺整備の一環として運動公園を併せて計画したのである。(着工は平成3年11月)
 それまで市内において、スポーツ大会を行うのに見合った施設はなく、公立学校のグラウンド等を使用していた。そうした中、市民の間からも運動公園の建設を求める声が寄せられていた。真岡市の現状とよく似ている。

(3)総合運動公園の施設概要
 約15万平方メートノレという広大な敷地を整傭するために、総事業費として70億2千万円がかけられた。現在、公園内には、@陸上競技場A野球場Bテニスコート場C多目的広場Dアスレチック広場と、5つの施設がある。
 主だったものを簡単に説明すると、
  @陸上競技場  ・総面積‐約1,700平方メートル
          ・工事費‐約10億6,000万円
          ・収容人数‐約1万1,000人
          ・トラック‐1周400メートル
                (全天侯ウレタン舗装)
  A野球場    ・総面積‐約3,500平方メートル
          ・工事費‐約15億4,000万円
          ・収容人数‐約1万3,000人
          ・硬式試合可能、オリンピック規格
          (両翼98メートル、中堅122メートル)
  Bテニスコート場・総面積‐約5,700平方メートル
          ・工事費‐約2億1,000万円
          ・全天侯型砂入り人工芝テニスコート(8面)
          ・練習用テニスコート(半面)

 ちなみに、私たちが視察に訪れた当目、陸上競技場ではJリーグ、サガン鳥栖の選手達が練習を行っていた。(佐賀県境に小郡市があるため、何度か利用しているのだとか)また、野球場で行われているイベントを見ると、地元福岡ダイエーホークスの選手による野球教室、プロ野球2軍戦(巨人‐西武戦)などがあり、今後、高校野球の福岡県大会の試合も誘致していくとのことである。
 なお、この総合運動公園の運営は、外郭団体である「(財)小郡市公園ふれあい公社」が行っている。行政が直接管理するのに比べて、収益事業を推進しやすいことが、その大きな理由とされている。

(4)今後の課題
 小郡市が市民を対象にアンケートを実施し、「小郡市で自慢出来るものは何ですか」と質問したところ、49.9%の市民が総合運動公園を挙げている。ベッドタウンからライブタウンヘの発展を目指している(第3次総合振興計画後期基本計画 平成8年より)同市において、運動公園の存在は市民の誇りとなりつつある。
 しかし、こうした施設が抱える課題には、必ず「維持管理費」の問題がつきまとう。小郡市の場合も例外ではない。
 同市の平成15年度当初予算を見ると、運動公園管理費に1億4,633万円もの費用が充てられている。人件費のほか、光熱水費、また清掃や芝生の更新作業を委託する際のコストが多くを占めている。
 一方、主な収入源である利用料も、初年度が約1,000万円あったものが、2年目以降は800万円台で推移している。さらに、利用料の約半分を占めるテニスコートについても、近年、隣接する久留米市に低料金で利用できる施設が登場したことが、関係者の悩みの種となっている。今後は利用料の見直しも考えなくてはならない」とのことだ。

(5)所見
 この10年来、真岡市行政は市民の問から「ハコもの行政」に対する批判を受けてきたが、その一方で、総含的な運動公園の建設を望む声は不思議と根強い。実際、本年8月に行われてた子ども議会においても、「真岡市には本格的な陸上大会が行える400メートルトラックがない。ぜひ早期に競技場を作ってほしい」という声が、中学生からも出されていた。この声は競技の種類を問わず、全てのスポーツを愛する市民の悲願と言ってよいだろう。
 しかし、今回私たちは小郡市の総合運動公園を視察し、施設の素晴らしさに感嘆の声を挙げる一方で、市単独の事業としてこのような施設を建設、運営していく難しさを改めて痛感した。仮に本市が、同様の施設を建設した場合、市財政をより逼迫させることは必至であろう。
 誤解しないでいただきたいのだが、私たちは「運動公園の計画を中止せよ」と主張しているのではない。「一市民一スポーツ」を謳う市に、本格的な運動施設がないことは、あまりにも寂しい。
 本年9月に、私たちの会派(新世紀・公明クラブ)が提出した、平成16年度建議要望書の中に盛り込んだように、県営の運動公園誘致を積極的に進めていくことが、現状では最も良い手段であるように思われる。
 ただ、県サイドの対応に受け身の姿勢で、悠長に構えてはいられないだろう。本市に拠点を置き、来シーズンから日本女子ソフトボールリーグ1部に参戦する、ホンダ栃木女子ソフトボール部に代表されるように、近年、本格的なスポーツクラブが真岡市周辺にも存在するようになった。今まで以上に、総合運動公園の建設を望む声が高まることは十分予想される。
 重ねて言うが、あくまでも「積極的に誘致」していくことが重要なのである。




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