新版応援歌
全ての受験生への応援歌(その1) 〜存在とは進化だぞ〜
もう覚悟を決めたか。
もう腹をくくったか。
父や母に既に言ったか、ただただ最善を尽くすと。
深夜一人たたずんで心に誓ったか、出来うる限りの最高の答案を書いてくると。
君を愛する人達も君に必ず言うぞ、ベストを尽くしたならいかなる結果にも何ら恥じることはないと。
君は知っているか、学ぶことさえ叶わなかった多くの同朋のことを。
君は自覚しているか、君こそがその人達の代表選手であることを。
君は受け取ったか、戦禍と飢えで旅立つ悲しい少年少女の、君に託した熱い思いを。
君は忘れていないか、君の体を流るる赤き血潮の躍動を、無限の可能性を。
だからこそ、返ってきた模擬テストのおぞましい結果にぼう然と立ちつくしてなどいられないぞ。もう避けては通れないぞ。多くの受験生が通った道だぞ。
そうだ、今の苦渋や悲嘆は、桜咲く春、海に流せばよい、風に流せばよい。
君は今まさに試されているぞ。
真の勇気とは何かを知るときだぞ。
君の本当の力を示すときだぞ。
多くの者が緊張で打ち震えている今が、最大のチャンスだと知るときだぞ。
君の努力は誰かがきっと見ているぞ。
だからこそ、君を愛する人達に伝えよ、私は一人で戦っているのではないと。
声高らかに、笑みさえ浮かべ伝えよ、私は生まれて初めて身も心も研ぎ澄まし、胸を張り、凛々しく、試験に臨むと。
さあれ、既に覚悟を決めた全ての受験生よ 、這ってでも君だけのまばゆい答案を書いてこい。
さあれ、光り輝く全ての、存在とは進化だぞ。
だからこそ、闇を照らす光となって、この受験時代を走り抜けよう、次の時代が見えるまで。
平成20年1月11日真岡新聞所収
全ての受験生への応援歌(その2) 〜だからこそ今学べ〜
緑なす雨巻の山々から吹く風は、初夏(はつなつ)の涼風に似て、あまねく芳賀の地を潤すと言うのに、
遥か極東の地、日本では、薄紅色の林檎の五弁花が秘めやかに咲き、数知れぬ小さな果実は今にも成就しようとしているのに、
東南アジアの悪鬼のごときサイクロンよ、何故に、幾千幾万の罪なき民を、死の淵まで押し流すのか。
黄砂舞うユーラシアの大地よ、何故に、幾千幾万の無垢な少年少女を、瓦礫の下に幽閉するか。
自然よ、我ら人類に今答えよ。いまだ地の歴史は血か。地球は血球か。史は死か。愛は哀か。志は止か。やはり地球は恥丘なのか。
否(いな)、断じて違う。我ら人類は、地を切り裂くように今断言する。存在とは螺旋状の進化だから、遥か数千年後、人類は自然と調和融合し、
氾濫も揺らぎも無い大地、飢えも差別も凌辱も無い大地、貨幣も試験も武器も無い大地を必ずや成就するぞ。さあれ、大いなる宇宙よ、
我ら人類の血染めの決意を、襟を正して今聞け。遥か数万年後、全ての人が、詩人で画家で音楽家で哲学者で科学者で、
赤銅色の肉体を持つ舞踏家で、つまりは全ての者が芸術家である社会だぞ。地の歴史は知で、史は詩で、志は至で、つまりは地球は知丘だぞ。
だからこそ、全ての受験生よ、その時のために、地を這ってでも、濁った水を飲んだとしても、今学べ。
だからこそ、夭折するアジアの子等に代わって、恥辱や汚辱にまみれても、その時のために、今学べ。
「学ぶ」とは人生そのものであり、全ての物は成就するように出来ているから、深く深く海より深く、今学べ。
だからこそ、先に身罷る(みまかる)彼らの果たせぬ夢を胸に、愛する家族や友に、存在する全ての物に、飛び切りの優しさで、今学べ。
今は春、緑なす雨巻の山々から吹く風は、黄砂舞うユーラシアの涼風に似て。
平成20年5月30日真岡新聞所収
お歳を召された方々への応援歌 〜雪が水になるように〜
綺麗にお歳を重ねられた女性ほど美しいものはありませんよ。
物静かな老紳士ほどダンディーな人はいませんよ。
肩は凝りませんか。咳はでませんか。
お孫さん可愛いでしょう、え? 失礼しました、曾孫さんなのですか。お若いですね。
ご家族に囲まれ、笑顔に溢れ、これ以上の幸せ、これ以上の人生はありませんよね。
沢山の思い出がお有りでしょう。四半世紀も美味しいお米を作ってきたのですか。半世紀も主婦として家庭を守ってきたのですか。
立派ですね、偉いですね。総理大臣や大学の先生に負けないくらいですね。
加齢臭がすると言われたのですか。カレイシチューを食べたから、と笑い飛ばしてくださいね。
痰がきれませんか。何か心配事がお有りですか。え? 愛する人達との別れが辛いですって。
宮澤賢治も「雨にも負けず」で言っているでしょう。「南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい」と。
彼は、永続する生命には、生も死も無いと知っていたのかも知れませんね。雪が水になるように、水が蒸気になるように、
蛹(さなぎ)が蝶になるように、命は、過去世から、今生、来世、来々世と永遠に進化し、ただ存在する場を変えるだけかも知れないと。
その過程で、我々個は、宇宙の大生命に埋没することは決して無く、我々個は、無限の過去から無限の未来を旅し、
その個性を益々輝かせ、一人一人が皆その大宇宙の重要な役割を担うと。その大宇宙を仮に神と呼べば、我々は、いや、存在する物全ては、まさに神の一部だと。
え?人を憎み嫉んでばかり人生だったから、地獄に堕ちないかですって。地獄なんて有りませんよ。少しだけ反省して、また無限の旅を続けて下さいね。
え?早く別れた人達に会いたいですって。それは駄目ですよ。この地上では、這ってでも、濁った水を飲んだとしても、
汚辱にまみれても生き延びなければ、愛する人達は迎えに来てくれませんから。私にしても、恥辱の中で生き抜いて、
父や兄との再会を本当に楽しみにしているのですよ。
肩は懲りませんか、咳は出ませんか。
美しいおばあ様、ダンディーなおじい様、心配いりませんよ。
ただ旅を続けるだけですから、雪が水になるように、水が蒸気になるように。
平成20年6月27日真岡新聞所収
全ての女性への応援歌 〜姫百合の花〜
昔、日の国では、南の島で、夕暮れ色の姫百合の花が散るように、岸壁から身を投げる少女達がいた。
昔、東洋では、「美」の名のもと、女児の足を弱める「纏足」(てんそく)という悲しい風習があった。
昔、アフリカでは、「美」の名のもと、女性の首に幾重にも鉄輪を重ね、脊髄を痛める恐ろしい風習があった。
昔、西洋では、女性の優れた能力を恐れるあまり、魔女狩りという悲惨な歴史があった。
今、日の国、南の島では、夕暮れ色の姫百合の花が、少女の数だけ咲いている。
舞い落ちる花びらを天まで届けた姫百合風が、「全て、一部の男達の罠ですよ。」と、泣くように吹いている。
世の女性達よ、一部の男達の言いなりになってはいけない。「美」の名のもと、やせ細ってはならない。
「聖戦」の名のもと、一部の男達が起こした戦争を止めなければならない。
世の母達よ、如何なる理由があっても、二度と、夫を、愛する子を、戦場に送ってはならない。
世の少女達よ、男の子より数倍学べ。人類の哀しみの歴史を学べ。飢餓の地があるのに、何故飽食の地が有るのか、
政治を学べ、地理学、文化人類学を学べ。人類史が何故戦争史なのか、国際関係論を学べ、宗教学、語学、社会工学を学べ。
一人一人は善人なのに、人は集団になると何故暴徒化するのか、組織論を学べ、集団心理学を学べ。宇宙の秘密、生と死の秘密を知るために、
宇宙物理学を学べ、リーマン幾何学、相対論を学べ。遥か数千年後、全ての人が芸術家である社会に向けて、芸術学を学べ、文学、哲学、倫理学、医学を学べ。
戦いで、はかなく散ってゆくのは名も無き男性兵士なのだから、男達も歴史を変えるには女性の力が必要だと薄々気づき始めている。
女性のしなやかな感性、海のような母性を密かに求め始めている。
世の女性達よ、子を授かり、人類を永続させる事は代え難き必須の使命だが、直情に走る男性を母性で包み、
地球の消滅を阻止する事も不可避の使命だと銘記せよ。今の今、女性のみに内在する無窮の力に覚醒せよ。
女性に頼りすぎだとは誰にも言わせない。悠久の人類史で、幾年(いくとせ)も地底深く封印された女性の神秘の力を、今の今、女性自身で開封せよ。
この地球を、血球から知球に変えるため。存在とは、紛れもなく進化であるために。
明日、日の国、南の島では、朝焼け色の姫百合の花が、少女の数だけ歓喜の中で咲くだろう。
朝焼けに染まる姫百合風が、「人類を救うのは女性達ですよ。」と、微笑むように吹くだろう。
平成20年7月25日真岡新聞所収