リーフ

毎夏、高2英語内で「言語と芸術」特別講義を10回〜20回開催
      2006年夏、7月16日第1回「文学における方言とリズム」〜宮沢賢治「永訣の朝」の場合〜、
              7月23日第2回「言語と版画と造形の総合芸術〜挿画本」
              7月30日第3回「言語と音楽のリズム」〜吉増剛造「燃える」と中島みゆき「わかれうた」の場合〜
              8月6日第4回「詩と思想」〜ラングストン・ヒューズ「I’VE KNOWN RIVERS」の場合〜
              8月13日第5回「美術評論」その1,「色と形の感動を言語にのせて」(南都麗)〜ジャック・ジョセフ・ティソの場合〜
              8月27日第6回「海と文学」〜深沢七郎「南京小僧」の場合〜
              9月3日第7回「言語と色・光」〜西脇順三郎「天気」と中島みゆき「ファイト」の場合〜
              9月10日第8回「久保貞次郎氏追悼文」、〜真岡市出身屈指の文化人・美術思想家久保貞次郎について〜
              9月17日第9回「絵と文学、詩と推敲」〜「初夏の風」をめぐって、川上澄生の場合〜
              9月24日第10回「美術評論」その2、「オランダの光を言葉に乗せて」(南都麗)〜ヨハネス・フェルメールについて〜

              (2006年夏はひとまず10回で終了)

      2007年夏、7月8日第1回「詩と思想」〜ラングストン・ヒューズ「I’VE KNOWN RIVERS」の場合〜
              7月15日第2回「文学における方言とリズム」〜宮沢賢治「永訣の朝」の場合〜
              7月22日第3回「海と文学」〜深沢七郎「南京小僧」の場合〜
              7月29日第4回「言語と音楽のリズム〜その1」〜吉増剛造「燃える」と中島みゆき「わかれうた」の場合〜
              8月5日第5回「絵と文学」、詩と推敲」〜「初夏の風」をめぐって、川上澄生の場合〜
              8月19日第6回「美術評論」その1,「色と形の感動を言語に乗せて」(南都麗)〜ジャック・ジョセフ・ティソの場合〜
                        当文庫所蔵のティソの銅版画「春」(1878年)も観賞
              8月26日第7回「言語と音楽のリズム〜その2」〜萩原朔太郎「竹」、「帰郷」と中島みゆき「あした」の場合〜
              9月2日第8回「言語と美術と造形の総合芸術〜挿画本」、恩地孝四郎の場合  
                   恩地挿画本として「飛行官能」、「虫・魚・介」を紹介、また恩地木版「氷島の著者 萩原朔太郎像」(平井刷)を観賞、更に佐々木桔梗本「流線型物語」(振ると機関車の音がする稀覯本)、「異端の花」(ダイアモンド埋め込み試作1部本)等を紹介 
              9月9日第9回「久保貞次郎追悼文(南都麗筆)」、〜真岡市出身屈指の文化人・美術批評家久保貞次郎について〜 
              9月16日第10回「美術評論」その2,{オランダの光を言葉に乗せて」(南都麗)〜ヨハネス・フェルメールの場合〜
              9月23日第11回「言語と良質なキリスト教思想〜サローヤン、「The Human Comedy」の場合〜その1
              10月14日第12回、同その2 
              10月28日第13回、同その3
              (2007年は13回でひとまず終了)

     2008年夏、7月17日、2007年第1回と同じ
             7月24日、2007年第2回と同じ
             7月31日、2007年第3回と同じ
             8月7日、2007年第4回と同じ
             8月21日、2007年第5回と同じ
             9月11日、2007年第6回と同じ
             9月18日、2007年第7回と同じ、当文庫所蔵の恩地孝四郎木版画「萩原朔太郎像」と、萩原朔太郎「月に吠える」(大正6年、感情詩社)を紹介
             (2008年は第7回でひとまず終了)

    2009年夏、7月10日、2008年第1回と同じ
            7月17日、2008年第2回と同じ
            7月24日、2008年第3回と同じ
            7月31日、2008年第4回と同じ
            8月7日、2008年第5回と同じ
            8月21日、2008年第6回と同じ
            8月28日、2008年第7回と同じ
            9月4日、2007年第8回と同じ
            9月11日、2007年第9回と同じ
            9月18日、2007年第10回と同じ
            9月25日、2007年第11回と同じ
            10月2日、2007年第12回と同じ
            10月16日、2007年第13回と同じ(2009年は第13回でひとまず終了)

            また「言語と芸術」の前後に、高2英語内で、@「A Merry Christmas」(Laura Ingalls Wilder)、A「An Antarctic Tragedy」、B「I bilieve」(Albert Einstein)、C「Youth Never In Despair」(Anne Frank)、D「On Poetry」(小泉八雲)、E「What Is Beautiful」(Mother Teresa)(1981年上智大学講演録)、F「Kayano Nagano’s Story」(長崎の原爆被害について)、Gラフカディオ・ハーン「詩論」の英文を学習、2010年3月終了

なお高一数学内で20数年間毎夏、「特殊相対性理論」〜マイケルソン、モーリーの実験から〜、の演習と講義を実施。2008年は7月26日終了。2009年は8月1日終了。


2010年5月7日、言語と芸術 第一回

外国語学習の意義 『第二外国語学習は人類進化の必須な一場面』 真岡新聞平成21年10月2日号より

数年前、英語が苦手な塾生に、「先生、何で英語なんて勉強するんですか」、という愚痴と非難が交錯する質問を受けたことがあった。「入試に出るから」、「就職に有利だから」、「外国の人と話すため」、「海外旅行の時、役立つから」、「情報収集に有利だから」等の、「国際化」まで含めた直接的実用性が一つと、「もう一つの言語を学ぶことによって、日本語を含めた言語能力を高めるため」という人類進化論に根ざした間接的実用性の二つに、ほぼ大別出来るであろう。そのようなことを考えている時、ふと母校名古屋大英文科の老教授の、あるエピソードを思い出した。様々な分野の学者の集まりで、ビールを飲む段になって、「栓抜き」は英語で何というのかね、という意地悪く準備された質問をされ、とっさに答えられず、悪意と軽蔑に満ちた失笑を浴びたという。英国の詩人ウイリアム・ブレイクの権威であった先生は、授業中、私達学生の前で、怒りと悲しみで氷のような涙を浮かべ、絞り出すように言った。「私が震える程悔しかったのは、答えられなかった事ではなく、私の長年に渡る英文学研究が、「栓抜き」にすり替えられてしまったことだ」と。当然日本国内では「栓抜き」は「栓抜き」で良いのであり、「オープナー」とか「コークスクリュー」などと言う必要は全くなく、優れた英文学者をつかまえて、「栓抜き」を英語で言えなかったからと、鬼の首でも取ったかのように侮蔑するのは、実用英語偏重主義の最悪の形態である。
 この様に、英語学習は、自ら低俗な直接的実用性という落とし穴をいつも引きずっている。だから今後、旅をする外国人に英語で道をきかれたら、片言の英単語を並べた後で、「貴方は日本の地を旅しているのですから、日本語を学んだ方が良いですよ。日本人は外国を旅する時、少しは英語を覚えていきますよ。貴方は、日本人の、直接的実用性尊重という大錯覚に甘えているだけですよ」、と一度くらいは言ってみたいと思っている。
 かの老教授のためにも、私見だが、英語学習のもう一つの意義を付言してみたい。日本人の優秀さは既に言い古されているが、私の経験でも事実である。僅か中学高校6年間の英語学習で、日本の若者は、相当高度な英文を辞書無しで読めるようになっている。例えば、センター入試英語で7,8割以上得点出来る高3生なら、マザーテレサの上智大講演録を容易に精読出来るであろう。アインシュタインの「私は信じる」を、ラフカデオハーンの「詩論」を、ヘミングウェイの「老人と海」を原文で読めるだろう。
 そしてここからが重要なのだが、学生時代、シェイクスピア劇を原文で読んだ時、英国と戦争することは個人的には有り得ないと思えた。ヘルマン・ヘッセの「青春は美し」を独語で読んだとき、ドイツ人とは戦えないと思った。何も文学だけに限ったことではない。直近では、韓国ドラマ「チャングムの誓い」を食い入るように観た時、これだけの作品を作る韓国の民と争うことなど到底出来ないと感じた。他民族の文化、風土、伝統、芸術の本質に触れるとき、私達は無意識にでも、その人達への尊敬、畏敬の念を心の奥底に沈潜させるに違いない。他国の言語学習を通して、他国の文化、芸術を真に理解することは、お互いが核武装し合うことに劣らず戦争抑止力になると言ったら言い過ぎであろうか。人類が他国の言語を学ぶということは、私には、人類の進化の必須で重要な一場面に思えてならない。
 授業の度にブレイクの詩を、窓ガラスも震えるように朗々と、天まで届けと朗々と諳んじてくれたU先生、あの時の先生の涙は、私達の涙でもありました。先生の悔しさは私達の悔しさでもありました。ですから私のこの拙文が、先生の住む天まで届け、朗々と。

第2回言語と芸術、2010年6月25日 「久保貞次郎について」

平成9年2月29日号に掲載して頂きました、私の「久保貞次郎氏を悼む」の拙文を読み、久保氏の業績について簡単に解説。



第3回言語と芸術、2010年7月9日、「戦争と文学、反戦詩白い花」

アッツ島玉砕について調べ、秋山清の白い花を読み、人類の未開性について考えた。

第4回言語と芸術、2010年7月23日、「文学における方言とリズム〜宮沢賢治の場合」
宮澤賢治の三連詩「永訣の朝、松の針、無声慟哭」を読む。

第5回言語と芸術、2010年7月30日、「詩と思想」
アメリカの黒人詩人、ラングストン・ヒューズの「I’ve known rivers」を読み、有色人種であることを誇りとする思想を学んだ。

第6回言語と芸術、2010年8月6日、「海と文学について」
深沢七郎の「南京小僧」を読む。今年も塾長が声を詰まらせる場面もあったが、多くの塾生は文学の力、素晴らしさを体験したかも知れない。

第7回言語と芸術、2010年8月20日、「「言語のリズムと音楽のリズム〜その1〜」
吉増剛造の「燃える」と、中島みゆきの「わかれうた」を読む。

第8回言語と芸術、2010年8月27日、「言語のリズムと音楽のリズム〜その2〜」
萩原朔太郎の「竹」2編と、「帰郷」、中島みゆきの「あした」を読む。

第9回言語と芸術、2010年9月3日、「美術評論〜色と形の芸術を言葉に乗せて〜」
14年前に真岡新聞に掲載された私の拙文「色彩の魔術師ジェームス・ティソ」を読む。
(この拙文は、拙書「渡辺淑寛著作集」(平成20年、真岡新聞社)にも所収)

第10回言語と芸術、2010年9月10日、「絵と文学 詩と推敲〜川上澄生の場合〜」
川上澄生の代表作「初夏の風」を、「青髭 我が願い」から、「ローマ字版初夏の風」、最終版「初夏の風」に至る推敲箇所を調べ、作者の表現心理を考えた。


第11回〜第13回言語と芸術、2010年9月17日、9月24日、10月1日、「言語と良質なキリスト教思想」と題して、William SaroyanのThe Human Comedyより「Ylysses」をを読む。聖母マリアのごとく語る、マコーリー婦人の言葉、「存在する物全てが繋がっていること」、「人はそれらを喜ぶために、そして神に感謝するためにこの地上に現れた。」という思想を考えた。

今年も以上13回で終了







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